日本海の荒波が打ち寄せる京都府北端、丹後半島。 ここに、高さ20メートル、周囲1キロメートルにも及ぶ巨大な一枚岩がそびえ立っています。その名は「立岩(たていわ)」。
一見すると自然が作り出した雄大な景観ですが、この岩には古くから鬼を封じ込めた牢獄であるという伝説が語り継がれています。しかも、その鬼を退治したのは、あの聖徳太子の異母弟とされる人物でした。
なぜ、この地に鬼伝説が残り、今もなお「鬼の哭く声」が聞こえると言われるのか? 今回は、地質学的な驚異と古代史のミステリーが交差する、丹後「立岩」と麻呂子親王の伝説を深く掘り下げていきます。
聖徳太子の弟「麻呂子親王」とは何者か?
伝説の主人公は、麻呂子親王(まろこしんのう)。 第31代用明天皇の第三皇子であり、聖徳太子(厩戸皇子)の異母弟にあたる人物です。
史実においては「当麻皇子(たいまのみこ)」として知られ、征新羅将軍として九州まで遠征した記録がありますが、丹後地方においては、彼は強大な霊力と武力で土着の勢力を平定した「鬼退治の英雄」として神格化されています。
母・間人皇后の記憶

立岩のある地域は「間人(たいざ)」と呼ばれています。これは難読地名としても有名ですが、その由来は聖徳太子の生母・穴穂部間人皇女(あなほべのはしうどのひめみこ)にあります。 政争を避けてこの地に滞在していた皇后が、都へ戻る際に自らの名「間人(はしうど)」を贈ったところ、村人たちが「畏れ多い」として、皇后が「退座(たいざ)」されたことにちなみ、「たいざ」と読むようになったと伝わります。
つまり、この地は飛鳥時代の中央政権、特に聖徳太子の一族と極めて深い縁(えにし)で結ばれていたのです。
三匹の鬼と「土蜘蛛」の正体

麻呂子親王が討伐を命じられたのは、大江山(三上ヶ嶽)を拠点とする三匹の鬼でした。
- 英胡(えいこ): 知略に長けた首領格
- 軽足(かるあし): 山野を疾駆する俊足の持ち主
- 土熊(つちぐま): 怪力を誇る最強の鬼
この「土熊」という名は、大和朝廷が従わぬ地方豪族を蔑んで呼んだ「土蜘蛛(つちぐも)」と符合します。
鬼=製鉄集団説
丹後地方は古代より鉄の産地でした。「赤ら顔」で「金棒」を持つ鬼のイメージは、製鉄の炉の炎で顔を赤くし、金属加工技術を持っていた集団の姿をデフォルメしたものではないでしょうか? また、彼らが「岩穴」に住んでいたという描写は、鉱山の坑道や穴居生活を示唆しています。
麻呂子親王の鬼退治とは、単なる怪物退治ではなく、「大和朝廷による、鉄資源と製鉄技術を持つ土着勢力の平定・統合の歴史」を神話的に語り直したものだと考えられるのです。
立岩 鬼が封印された「地質学的結界」
親王軍の猛攻に対し、英胡と軽足は討ち取られますが、怪力の土熊だけは頑強に抵抗し、北へ北へと逃走しました。そして最後に追い詰められたのが、この立岩のある海岸でした。
親王は土熊を岩穴に追い込み、巨大な岩で蓋をして封じ込めたとされます。これが現在の「立岩」です。

1500万年前の柱状節理
地質学的に見ると、立岩は約1500万年前に地下から上昇したマグマが冷え固まってできた「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」が見事な安山岩(または玄武岩質)の巨石です。 岩肌に走る無数の幾何学的な割れ目は、あたかも神や巨人が意図的に積み上げたかのような威容を誇ります。古代の人々がここに「人知を超えた力」を感じたのも無理はありません。
今も聞こえる「鬼の哭く声」
立岩には「強風や波の高い夜になると、岩から鬼の号泣する声が聞こえる」という伝承があります。 科学的には、日本海特有の強い季節風が柱状節理の隙間に吹き込むことで発生する「風鳴り(エオルス音)」です。しかし、冬の荒れた海を背にその音を聞くとき、そこに封じられた者たちの無念や怨嗟を感じずにはいられません。
霊的防衛ライン「丹後七仏薬師」
麻呂子親王の伝説が興味深いのは、鬼を倒して終わりではない点です。 親王は、戦いの前に「もし鬼を平らげることができれば、七つの寺を建てて薬師如来を祀る」と誓願を立てていました。
鬼を封印した後、実際に丹後・丹波地方に7つの寺院が建立されました。これを「丹後七仏薬師」と呼びます。
- 多禰寺(舞鶴市)
- 清園寺(福知山市)
- 施薬寺(与謝野町)
- 等楽寺(京丹後市)
- 成願寺(宮津市)
- 願興寺(京丹後市)
- 神宮寺(京丹後市・廃寺)
地図上でこれらを結ぶと、あたかも丹後地方を災厄や疫病、そして怨霊から守る結界のように配置されていることがわかります。薬師如来は「病を治す仏」です。鬼(=反乱分子や疫病)を鎮め、国を治療するという、古代国家の壮大な霊的防衛プロジェクトがここにあったのです。
地元に残る禁忌と鬼神塚
立岩の周辺には、この伝説が単なる昔話ではないことを物語る、生々しい風習が残っていました。
地元の竹野神社で行われていた「鬼祭り(丑の日の神事)」では、かつて厳格な「見るなのタブー」が存在しました。祭りの間、住民は決して外を見てはならず、大きな音を立てることも禁じられ、もし見てしまえば「3年以内に死ぬ」と言い伝えられていたのです。
また、立岩の近くには「鬼神塚」と呼ばれる場所があり、バラバラにされた鬼の身体を埋めたとされる石が集められています。それらは丁寧に祀られているというよりは、「封印のため粗末に置かれている」ような独特の雰囲気を漂わせています。
これは、鬼とされた人々への畏怖が、何百年もの時を超えて地域社会の深層心理に残っていた証拠と言えるでしょう。
立岩へのアクセスと周辺情報
古代のロマンと、少しの怖さを秘めた立岩。現在は「山陰海岸ジオパーク」の主要スポットとして整備され、誰でも安全に訪れることができます。砂州(トンボロ)で陸続きになっているため、足を濡らさずに岩の直下まで行くことができます。
アクセス情報
- 住所: 京都府京丹後市丹後町間人
- お車の方: 山陰近畿自動車道「京丹後大宮IC」から約30分。
- 公共交通機関: 京都丹後鉄道「峰山駅」または「網野駅」から丹後海陸交通バス(経ヶ岬行き等)に乗車、「立岩」バス停下車すぐ。
Google Maps: [立岩の地図リンク]

コメント