日本の昔話として有名な「羽衣伝説」。 「天女が水浴びをしていると、男が羽衣を隠してしまい、天に帰れなくなった天女は仕方なく男の妻になる」 ……そんなロマンティックで、少し切ない物語を思い浮かべる方が多いでしょう。
しかし、京都府北部、丹波国に残る日本最古の羽衣伝説は、私たちが知っている物語とは根本的に異なります。
そこに描かれているのは、恋愛感情など微塵もない「老夫婦による拉致監禁」、「労働力の搾取」、そして用済みになったら切り捨てる「追放」という、闇深い物語です。
そして、この物語で地上に取り残された天女こそが、伊勢神宮外宮に鎮座する豊受大神(トヨウケオオカミ)であるという伝承も残ります。
なぜ、尊い神は天に帰らなかったのか? いや、なぜ「帰してもらえなかった」のか? 今回は、美しい丹後の風景の裏に隠された、古代史のミステリーを紐解きます。
『丹後国風土記』が描く「救われない」リアリズム
奈良時代に編纂された『丹後国風土記』逸文。ここに記された「奈具(なぐ)の社」の由緒こそが、日本最古級の天女伝説です。その内容は、お伽話というよりは、冷徹な「事件記録」のようです。

犯人は「和奈佐(わなさ)」という老夫婦
物語の舞台は、丹後国丹波郡の比治(ひじ)の里。現在の京丹後市峰山町にある「磯砂山(いさなごさん)」と比定されています。 山の頂にある「真奈井(まない)」という泉で8人の天女が水浴びをしていたところ、それを覗き見る者たちがいました。「和奈佐(わなさ)」という老夫婦です。
彼らは一人の天女の羽衣を隠し、天へ帰れなくなった彼女にこう迫ります。 「私たちには子供がいない。どうか私たちの娘になってほしい」
婚姻ではなく「養子縁組」と「労働搾取」
一般的な羽衣伝説(三保の松原や余呉湖)では、若者が天女を「妻」としますが、丹後の伝説では老夫婦が「娘」にします。
地上に残された天女は、ただ泣いていたわけではありません。彼女は「万病に効く霊酒」を醸造する技術を持っていました。 老夫婦はこの酒を人々に売りさばき、巨万の富を得ます。家は大きくなり、土形(ひじかた=田畑)も大いに富み栄えました。「比治(ひじ)」という地名は、この「土形」が由来とも言われています。
つまり、天女は家族として迎えられたのではなく、「富を生み出す装置(労働力)」として搾取されていたのです。
衝撃の結末 追放
十数年の歳月が流れ、老夫婦は十分に裕福になりました。すると彼らの態度は豹変します。天女に向かって、信じられない言葉を放つのです。
「お前は我々の子ではない。他人の子だ。さっさと出ていけ」
天女は泣き叫びました。「私は勝手に来たのではありません。あなたがたが頼むから留まったのです」と。 しかし、老夫婦は聞く耳を持ちません。羽衣も返さず、彼女を家から追い出しました。
天女は天を仰いで慟哭し、荒塩(あらしお)の村、哭木(なき)の村などを彷徨い歩き、最終的に竹野郡の船木の里、「奈具の村」にたどり着きます。 「ここで私の心は奈具志久(なぐしく=穏やか)になった」 そう言って彼女はその地に留まり、やがて豊宇賀能売命(トヨウガノメノミコト)として祀られました。
これが、『丹後国風土記』が伝える真実です。ここには「愛」も「再会」もありません。あるのは人間の業(エゴ)と、裏切られた神の悲しみだけです。
『丹後国風土記逸文』【書き下し文】
丹後国の風土記に曰(い)わく、丹波郡(たにわのこおり)比治(ひじ)の里、比治山の頂に井(い)あり。名を真名井(まない)と曰う。此れ今は已(すで)に沼と成れり。
当に天女八人ありて、降り来たりて水を浴みき。時に老夫婦あり。名を和奈佐老夫(わなさのおじ)・和奈佐老婦(わなさのおば)と曰う。此の老夫婦、行きて此の井に至り、天女等を見て、其の一つの衣(きぬ)を蔵(かく)し取りき。即ち一つの衣ある天女、敢えて天に飛ぶことを得ず。之に依りて、身を水に隠し、独り自ら羞(はじ)を含みき。
老夫等、謂(かた)りて曰く「吾に子無し。願わくは我が子と為れ」と。天女、答えて曰く「妾(わらわ)、独り人(ひと)に勝(た)えず。何ぞ敢えて従わざらんや。請う、我が衣を還(かえ)せ」と。老夫、許さず、引いて將(もち)て家に帰りき。
居ること十余歳(とあまりとせ)、此の天女、善く酒を醸む。一杯を飲めば、万病吉(い)ゆ。其の酒の利を得て、家豊かに土(ひじ)富めり。此に因りて之を名づけて土形(ひじかた)の里と曰う。今、比治の里と云うは、辭(ことば)の訛(なま)れるなり。
既にして老夫婦等、天女に謂りて曰く「汝は、吾が子にあらず。暫(しばら)く仮(か)れる兒(こ)なり。宜(よろ)しく早く出で去るべし」と。遂に之を追い出しき。天女、天に退(しりぞ)き仰ぎ哭(な)き、志(こころ)を収め俯(ふ)して吟(うた)いて曰く、「天の原 ふりさけ見れば 霞立ち 家路まどいて 行方しらずも」と。
遂に退き去りて、荒塩(あらしお)の村に至りて云わく、「此の村は、荒塩(あらしお)の如し」と。亦(また)、丹波の里、哭木(なき)の村に至りて、槻(つき)の木に依りて哭きき。因りて哭木の村と云う。又、竹野郡(たかののこおり)船木の里、奈具(なぐ)の村に至りて云わく、「此の処(ところ)、我が心奈具志久(なぐしく=穏やか)なり」と。乃(すなわ)ち此の村に坐(いま)す。此れ豊宇賀能売命(とようかのめのみこと)なり。
天女の正体と「元伊勢」論争
この「追い出された天女」である豊宇賀能売命は、伊勢神宮外宮の祭神「豊受大神」と同一視されています。 ここから、物語は単なる民話を超え、国家祭祀の核心へと繋がっていきます。

アマテラスの「食事相手」としての召喚
平安時代の文献『止由気宮儀式帳』には、伊勢神宮外宮の創祀についてこう記されています。
雄略天皇の夢枕に天照大神(アマテラス)が現れ、こう告げました。 「自分一人では食事が安らかにできない。丹波国の比治の真奈井にいる御饌都神(ミケツカミ=食事の神)である豊受大神を呼び寄せなさい」
こうして、丹波にいた豊受大神は伊勢へと迎えられ、外宮が建立されました。 つまり、丹後の「比治の真奈井」こそが、伊勢神宮外宮のルーツ(元伊勢)なのです。
「和奈佐の罪」がもたらしたパラドックス
ここで一つの逆説が浮かび上がります。
もし、和奈佐の老夫婦が強欲でなければ? もし、彼らが羽衣を隠さず、あるいは天女を追放せず、天に帰していたら?
豊受大神はこの地上に留まることはなく、伊勢神宮外宮も存在しなかったかもしれません。 人間の「罪(略奪と搾取)」が、結果として日本を守る「神」をこの国土に定着させる契機となった。 丹後の天女伝説は、きれいごとだけでは済まされない「神と人との緊張関係」を今に伝えているのです。
もう一つの羽衣伝説 「三右衛門」と七夕
一方、公的な記録である『風土記』とは別に、京丹後市峰山町周辺には、地元の人々によって語り継がれたもう一つの伝承があります。それが「三右衛門(さんねも)」伝説です。

搾取ではなく「家族」の物語
こちらでは、羽衣を隠すのは「狩人の三右衛門」という若者です。
- 関係性: 養子ではなく「夫婦」となります。
- 結末: 天女は三人の娘を産みます。その後、隠されていた羽衣を見つけて天へ帰ります(あるいは七夕の日だけ会えるようになります)。
娘たちは地域の神になった
重要なのは、残された三人の娘たちの行方です。彼女たちは、それぞれ地域の神様として祀られました。
- 長女:乙女神社(京丹後市峰山町鱒留)
- 次女・三女:周辺の神社(多久神社など諸説あり)
また、三右衛門の子孫とされる「安達家」は実在し、代々「七夕」を屋号や家紋として、独自の七夕祭りを続けているといいます。 『風土記』が「中央から見た神の履歴書」だとすれば、三右衛門伝説は「自分たちの祖先神」としての、親愛の情が込められた物語だと言えるでしょう。
丹後「天女伝説」聖地巡礼ガイド
この壮大な伝説を追体験するために訪れるべき、現地のスポットをご紹介します。一般的な観光ガイドには載らないマニアックな場所も含みます。
磯砂山(いさなごさん)

伝説の舞台である「比治山」。標高661mの山頂付近には、天女が水浴びをしたとされる「女池(めいけ)」という窪地が現存します。
- 見どころ: 実際に山に登り、古代人がここを「異界への入り口」と感じた空気を体感してください。
比沼麻奈為神社(ひぬまないじんじゃ)
峰山町久次にある式内社。こここそが「元伊勢」の最有力候補地の一つです。
- 見どころ: 本殿は伊勢神宮と同じ神明造。近くには豊受大神が稲作を教えたとされる「月の輪田(つきのわでん)」もあり、古代の農耕祭祀の面影を色濃く残しています。
藤社神社(ふじこそじんじゃ)と「和奈佐の祠」
。峰山町鱒留にあるこの神社の本殿裏手には、なんと天女を陥れた「和奈佐夫婦」を祀る祠があります。
- 考察: なぜ「悪役」が祀られているのか? 実は彼らは悪人ではなく、古い時代の土着の豪族であり、渡来人(天女=新しい技術を持った人々)を受け入れた功労者だったのではないか? そんな想像を掻き立てられます。
奈具神社(なぐじんじゃ)
家を追われた天女が、長い漂泊の末にたどり着き、「心が穏やか(なぐしく)になった」場所。
- 由緒: ここに豊宇賀能売命が鎮座し、現在の祭祀へと続いています。天女の長い旅の終着点です。
神話は「産業の記憶」でもある
丹後地方は、古くから酒造りや、「丹後ちりめん」に代表される織物が盛んな土地です。 天女が伝えたとされる「霊酒」や「機織り」の技術は、まさにこの地域の産業そのものです。
天から降りてきた未知の女性(あるいは渡来系の技術者集団)がもたらした、稲作、酒、織物の技術。 それらを必死に取り込み、自分たちのものにしようとした古代丹後人の情熱と、その過程で起きた摩擦や悲劇が、「羽衣伝説」という物語に昇華されたのかもしれません。
次の休日は、伊勢神宮の「ふるさと」である丹後・峰山の地を訪れ、神と人が交錯した古代のドラマに想いを馳せてみてはいかがでしょうか。






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