京都府京丹後市峰山町。丹後半島の付け根に位置するこの地は、古代より大陸文化の玄関口であり、ヤマト王権にとっても重要な意味を持つ場所でした。
その峰山の地に、一見すると静寂な鎮守の杜でありながら、歴史の重層的な記憶を驚くほど鮮明に留めている古社があります。式内社・多久神社(たくじんじゃ)です。
今回は、単なるパワースポット巡りでは見えてこない、神話学、建築史、そして民俗学の観点から、この神社の深層を徹底的に解剖します。
「丹波」発祥の地と「天酒」の正体
「あなにえし、田庭(たにわ)矣」
多久神社が鎮座する峰山町「丹波(たんば)」という地名には、深い意味が隠されています。
社伝によれば、祭神がこの地で稲作を興し、秋に見事に実った稲穂を見て「阿那邇恵志(あなにえし)、田庭(たにわ)矣」(ああ、なんと素晴らしい田の庭=稲作地であろうか)と感嘆したことが、「丹波(たにわ→たんば)」の語源とされています。
つまりここは、旧丹波国(丹後・丹波)における「農耕発祥の聖地」としての記憶を刻む場所なのです。
「天酒大明神」と呼ばれた医療の神

多久神社の主祭神は豊宇賀能咩命(トヨウカノメノミコト)。伊勢神宮外宮の豊受大神と同体とされる穀物神です。しかし、地元では明治時代まで「天酒大明神(あまさけだいみょうじん)」という名で呼ばれていました。
これには、『丹後国風土記』逸文に見られる「羽衣天女伝説」が関わっています。伝説において、比治山(ひじやま)に降り立った天女は、単に美しいだけでなく、「万病を治す酒」を醸す技術者でした。
飮一杯、吉萬病
その酒を一杯飲めばすべての病が治る
古代において「酒」と「薬(くすり)」は同義であり、発酵技術は神聖な呪術でもありました。多久神社は、豊作を祈る場であると同時に、醸造の技術と、それによってもたらされる「治癒・医療」の霊場として機能していたのです。
古墳の上に建つ聖域
神社の境内に入ると、独特の「奥行き」を感じるはずです。現在の多久神社は、涌田山(わくだやま)という小高い山の中腹に位置していますが、ここは単なる山林ではありません。
涌田山古墳群との習合
本殿の背後には、「涌田山古墳群」(古墳時代前期)が広がっています。 日本の神社の多くは、もともと地域の首長の墓所(祖霊崇拝の場)であった場所に、後に社殿が築かれたケースが多々あります。多久神社もその例に漏れず、古代の政治的リーダーの眠る場所(死の世界)の上に、天女の生命力(生の世界)を祀るという、生死が融合した聖域構造を持っています。
中世の遷座「神座の尾」から里へ
実は、現在の鎮座地は1443年(嘉吉3年)以降のものとされます。それ以前は、現在地よりもさらに4km以上奥まった山間部、「神座の尾(かみざのお)」と呼ばれる場所にありました。 中世における山岳奥地から、平野部を見下ろす涌田山への遷座は、神社の性格が「隠遁的な山岳信仰」から、村落共同体を守護する「里の鎮守(総氏神)」へと変化した歴史的転換点を示しています。
名匠・吉岡嘉平治と「奇跡の本殿」
歴史好き、建築好きにとっての最大のハイライトは、江戸時代後期(文化11年・1814年)に再建された本殿です。

昭和の大震災に耐えた構造
1927年の北丹後地震で、峰山町は壊滅的な被害を受けました。しかし、この本殿は倒壊を免れました。再建を手掛けたのは、地元丹後の名匠・吉岡嘉平治。彼の技術の粋が、神の居場所を守り抜いたのです。
「一間社隅木入春日造」の特異性
この本殿の建築様式は、非常に珍しい特徴を持っています。
- 春日造の採用: 丹後地方では伊勢系の「神明造」や一般的な「流造」が多い中、奈良系の「春日造」が採用されています。
- 隅木入(すみぎいり): 通常の春日造は切妻屋根ですが、ここでは「隅木」を入れることで、入母屋造のように軒を深く、優美に張り出させています。
- 正面の唐破風: 向拝(こうはい)部分に曲線の唐破風を付けることで、装飾性と威厳を高めています。
さらに、「W拝殿」とも言うべき配置にも注目です。手前に「割拝殿(神門的機能)」があり、その奥に「拝殿」、そして最奥の覆屋の中に「本殿」があるという、結界を何重にも重ねた厳重な構成となっています。
神事「丹波の芝むくり」
毎年10月の例祭で奉納される無形民俗文化財「丹波の芝むくり」。地元の男児が演じるこの芸能には、歴史の闇が投影されているという説があります。
「チャア!」の叫びと蒙古襲来説
演者(猿役)が互いに組み合い、回転するアクロバティックな所作の中で、「チャア!」という独特の掛け声を発します。 この芸能の起源には、「蒙古襲来(元寇)説」が根強く残っています。
- シバ=縛る
- ムクリ=蒙古(ムクリ・コクリ)
つまり、襲来した蒙古兵を捕らえて縛り上げる様を演じ、神に感謝を捧げたという解釈です。日本海側の神社には、こうした「異国防衛」の記憶が祭礼の中に化石のように残されていることがあります。 (※学術的には、中世の「笹ばやし」や田楽が独自に進化したものという説が有力ですが、土地の人々が「元寇の記憶」としてこれを語り継いできたこと自体が、重要な民俗的事実です)
境内社に見る織物の神
本殿脇に並ぶ境内社の中に、「楯縫神社(たてぬいじんじゃ)」があります。 祭神は天鷲命。これは、忌部氏系の神であり、織物や製紙に関わる産業の神です。「丹後ちりめん」の産地であるこの地域において、神社の起源(タク=栲の織物を奉納したこと)とも共鳴する、重要な産業神がひっそりと祀られている点も見逃せません。
多層的な歴史を読み解く旅へ
多久神社は、以下の4つの顔を持つ稀有な古社です。
- 神話: 豊受大神と羽衣天女が習合した「医療・醸造」の聖地
- 歴史: 古代丹波王国の記憶と、古墳文化の継承地
- 建築: 震災を生き抜いた江戸の匠の技「隅木入春日造」
- 民俗: 蒙古襲来の記憶を秘めた奇祭「芝むくり」
ただ手を合わせるだけでなく、その背後にある数千年のレイヤー(地層)を読み解くことで、参拝はより深い知的冒険へと変わります。京丹後を訪れる際は、ぜひこの「歴史のタイムカプセル」の蓋を開けてみてください。
【多久神社】
- 鎮座地: 京都府京丹後市峰山町丹波小字涌田山2
- グーグルマップの位置情報
- 文化財: 本殿(京都府登録有形文化財)、丹波の芝むくり(京都府登録無形民俗文化財)
- アクセス: 京都丹後鉄道「峰山駅」よりタクシー5分、または徒歩20分(ハイキングコースとして推奨)




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