【天空の城・竹田城】竹田城に隠された悲劇の城主・赤松広秀と石垣の謎

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雲海の向こうに眠る、本物の物語へ

天空の城」「日本のマチュピチュ」―。雲海に浮かぶその幻想的な姿で、多くの人々を魅了してやまない竹田城 。しかし、その息をのむほどの美しさの裏に、一人の悲劇の武将の野望、戦国末期の技術革新、そして権力闘争の生々しいドラマが刻まれていることをご存知でしょうか?  

この記事は、単なる観光ガイドではありません。歴史を愛するあなたにこそ届けたい、竹田城が持つ奥深い物語への招待状です。さあ、雲海のベールをめくり、石垣が語りかける本物の歴史を紐解く旅に出かけましょう。

土の砦から石の要塞へ 竹田城、二つの顔

今日の私たちが目にする壮大な総石垣の城郭。しかし、これは竹田城がその生涯で見せた最後の姿に過ぎません。この城には、大きく分けて二つの時代、二つの顔が存在します。

前史:山名氏と太田垣氏が築いた「土の城」

竹田城の歴史は室町時代、嘉吉年間(1441-1443年)に遡ります。但馬の守護大名であった山名宗全が、播磨・丹波からの侵攻に備える戦略拠点として築城を命じたのが始まりです 。  

築城後、約130年もの間、城を預かったのは山名氏の重臣・太田垣氏でした 。この時代の竹田城は、石垣ではなく、土塁や堀切、木柵を駆使した典型的な中世の山城でした。その痕跡は、今も主郭の下に残る「畝状竪堀(うねじょうたてぼり)」群に見て取ることができます 。これは、斜面を駆け上がろうとする敵兵の動きを阻害するための防御施設であり、石垣以前の戦いの姿を雄弁に物語っています。  

転換期:織田・豊臣の波と、城の革命

静かな山城の運命を大きく変えたのが、織田信長の天下統一事業でした。天正5年(1577年)、羽柴秀吉の但馬侵攻軍の前に、竹田城は落城します 。  

この出来事は、単なる城主の交代劇ではありませんでした。それは、竹田城が「土の砦」から「石の要塞」へと生まれ変わる、建築革命の序曲だったのです。城を支配下に置いた羽柴秀長(秀吉の弟)は、旧来の城郭が豊臣政権の拠点として不十分であると判断し、新たな「縄張(城の設計図)」を構想したとされています 。ここに、近世城郭としての竹田城の原型が生まれたのです。  

赤松広秀 城を完成させ、城に殉じた最後の城主

竹田城の歴史を語る上で、最後の城主・赤松広秀(斎村政広とも)の存在は欠かせません 。彼こそが、この城を現在我々が目にする壮大な姿へと昇華させた人物であり、その生涯は関ヶ原の動乱に翻弄された悲劇そのものでした。  

壮大な大改修と「仁政の主君」

天正13年(1585年)、播磨龍野から2万2000石の領主として入城した広秀は、城の大改修に着手します 。山全体を総石垣で覆うこの一大プロジェクトは、豊臣中央政権の強力なバックアップなしには不可能だったでしょう 。  

この工事は、領民に「田に松が生えた」と言われるほどの負担を強いたと伝わります。農作業の担い手が長期間動員され、田畑が荒れ果てた様を揶揄した言葉です 。しかしその一方で、広秀は「仁政の主君」として領民から慕われていたという記録も残っており 、巨大プロジェクトの遂行と民政との間で苦悩する領主の姿が目に浮かぶようです。  

関ヶ原の悲劇 彼はなぜ死なねばならなかったのか

慶長5年(1600年)、天下分け目の関ヶ原の戦いが勃発。豊臣恩顧の大名であった広秀は、当然のごとく西軍に与し、丹後田辺城攻めに参加します 。しかし、西軍敗北の報を受け、彼は生き残りのため東軍へ寝返り、西軍方の鳥取城を攻撃するという苦渋の決断を下します 。  

これは当時の武将として現実的な選択でした。しかし、運命は彼に味方しませんでした。鳥取城下で発生した火災の責任を問われ、徳川家康から切腹を命じられてしまうのです 。  

この悲劇の裏には、隣接する鹿野城主・亀井茲矩の存在があったとされています。東軍に属していた亀井は、広秀に東軍への寝返りを勧めながら、裏では家康に「広秀が城下を焼き払った」と讒言(ざんげん)したというのです 。広秀の領地を狙う亀井の政治的策略と、寝返り大名を信用しなかった家康の冷徹な判断が、一人の有能な築城家の命を奪いました。広秀の死と共に竹田城は廃城となり、400年にわたる静かな眠りについたのです 。  

石垣の解剖学 「石の声」が築いた要塞美

竹田城の最大の魅力は、何と言ってもその石垣です。一見、無造作に積まれたように見える自然石の壁には、安土桃山時代の最先端技術と、石工たちの叡智が凝縮されています。

穴太衆の神業「野面積み」

竹田城の石垣は、「野面積み」という技法で築かれています 。これは、近江国(現在の滋賀県)からやってきた石工集団「穴太衆」が得意とした技術です 。彼らは織田信長の安土城築城にも関わった、当時のトップエンジニア集団でした 。  

野面積みは、自然石をほとんど加工せずに、パズルのように巧みに組み上げていくのが特徴です 。石工たちは「石の声を聞き、石に従う」と言い、一つ一つの石が持つ形や重心を完璧に見極めて配置したといいます 。  

この技法は、見た目の豪壮さだけでなく、機能的にも極めて優れていました。石と石の隙間が水はけを良くし、大雨による水圧で石垣が崩れるのを防ぎます 。また、コンクリートのように固められていないため、地震の揺れを柔軟に吸収し、倒壊しにくい構造だったのです 。400年以上もの風雪に耐え、今なおその姿を留めていること自体が、その技術力の高さを証明しています。  

天守台の隅など、特に強度が必要な部分には、長方形の石をL字型に組む「算木積み」という、より高度な技法も用いられています 。ぜひ現地で、その精緻な仕事ぶりを確認してみてください。  

雲海ハンティング完全ガイド

竹田城を訪れるなら、誰もが一度は見てみたいのが雲海に浮かぶ絶景でしょう。この幻想的な風景は、いくつかの気象条件が重なった時にだけ現れる、自然からの贈り物です。

雲海の正体と発生条件

雲海の正体は、城下を流れる円山川から発生する濃い「川霧」です 。以下の条件が揃うと、発生確率がぐっと高まります。  

  • 季節: 9月~12月上旬。特に11月下旬がピーク 。  
  • 時間帯: 夜明けから午前8時頃まで 。  
  • 天気: 前日の夜からよく晴れていること 。  
  • 気温差: 前日の日中と当日の早朝の気温差が10∘C以上あること 。  
  • 風: 風がほとんどない穏やかな朝 。  

準備と心構え

雲海ハンティングは早朝、まだ暗いうちからの行動になります。以下の準備を万全にして臨みましょう。

  • 服装: 歩きやすい靴(スニーカーやトレッキングシューズ)は必須。早朝は冷え込むため、体温調節しやすい服装と防寒着を忘れずに 。霧で濡れることもあるので、防水性のある上着があると安心です 。  
  • 持ち物: 懐中電灯やヘッドライトは絶対に必要です 。温かい飲み物を入れた水筒もあると心強いでしょう 。  

城跡と城下町を歩く 

竹田城の魅力は、山頂の城跡だけではありません。麓に広がる城下町にも、歴史の息吹が色濃く残っています。

寺町通りをそぞろ歩き

城の廃城後、但馬街道の宿場町として栄えた城下町 。特に、かつての武家屋敷跡に寺院が集められた「寺町通り」は必見です 。白壁の土塀、錦鯉が泳ぐ水路、そして江戸時代に架けられた石橋など、風情ある景観が広がっています 。最後の城主・赤松広秀の菩提寺である法樹寺もこの通りにあり、彼の墓碑が静かに祀られています 。  

竹田城へのアクセス

Googleマップで位置を確認

竹田城跡の場所は、以下のリンクからGoogleマップでご確認いただけます。Googleストリートビューでは、実際に城内を歩いているかのような体験も可能です 。  

車でのアクセス

  • 最寄りIC: 北近畿豊岡自動車道・播但連絡自動車道「和田山IC」から約10分 。  
  • 駐車場: 中腹の「山城の郷」駐車場(約120台、無料)か、城下町の「まちなか駐車場」(無料)を利用します 。
    • 注意: 山城の郷から竹田城跡までの道は一般車両の乗り入れが禁止されています 。駐車場からは、徒歩または有料の「天空バス」で中腹のバス停まで向かいます 。  

公共交通機関でのアクセス

  • 最寄り駅: JR播但線「竹田駅」 。  
  • 主要駅からのアクセス例:
    • 大阪から: 特急「こうのとり」で和田山駅へ(約2時間10分)、JR播但線に乗り換え竹田駅へ(約10分) 。  
    • 京都から: 特急「きのさき」で和田山駅へ(約1時間40分)、JR播但線に乗り換え竹田駅へ(約10分) 。  
    • 姫路から: 特急「はまかぜ」で生野駅または和田山駅へ、JR播但線で竹田駅へ 。  
  • 竹田駅から城跡へ:
    • 天空バス: 駅前から乗車し、中腹のバス停まで約10分 。  
    • 徒歩: 「駅裏登山道」など複数のルートがあり、約40分~60分 。  
    • タクシー: 中腹の乗降場まで約20分 。  

さらに深く知るために おすすめの一冊

竹田城の歴史や構造をさらに深く探求したい方には、こちらの専門書がおすすめです。縄張り、石垣、出土遺物など、多角的なアプローチから竹田城を丸裸にする、まさに決定版と言える一冊です。

  • 書籍名: 『シリーズ・城郭研究の新展開1 但馬竹田城―雲海に浮かぶ天空の山城』
  • 編者: 城郭談話会
  • 出版社: 戎光祥出版
  • 概要: 新稿7本を含む論文18本を掲載し、竹田城研究の最前線を知ることができます。図版や遺構写真も豊富です 。  
  • 購入ページ:

石垣が語り継ぐもの

竹田城は、ただ美しいだけの廃墟ではありません。それは、時代の大きなうねりの中で生きた人々の息吹、技術の進化、そして権力者の野望と悲哀を今に伝える、石造りの歴史書なのです。

次にあなたがこの城を訪れる時、目の前に広がる石垣の一つ一つが、きっと違う物語を語りかけてくるはずです。雲海の絶景と共に、その声に耳を澄ませてみてはいかがでし

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