【田道間守】垂仁天皇の忠臣。お菓子の神様と不老不死の実「非時香菓」の正体

歴史探訪
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私たちが日常で親しむ「お菓子」。その起源を遡ると、一人の悲劇の英雄にたどり着きます。その名は田道間守(たじまもり)。 『古事記』『日本書紀』に記された彼は、単なる忠臣ではありません。彼は新羅由来の渡来系氏族「三宅連」の祖であり、彼が求めた「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)」には、古代の世界観と王権の政治的意図が隠されていました。 今回は、垂仁天皇陵に寄り添う伝説の墓所、植物学的なミステリー、そして現代の「スイーツ」へと繋がる信仰の系譜を、徹底的に深掘りします。

予言された悲劇と「常世国」への旅

第11代垂仁天皇の治世、それはヤマト王権が基盤を固め、野見宿禰(のみのすくね)によって殉死の風習が改められようとしていた変革の時代でした。

その晩年、天皇は忠臣・田道間守にこう命じます。

「常世国(とこよのくに)に渡り、非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を持ち帰れ」

「常世国」とはどこか?

記紀において「常世国」は、海の彼方にある理想郷であり、死者が赴く場所とも、神仙が住む場所ともされます。 田道間守の旅は、現代の地図で言えばどこを目指したのでしょうか。

  • 済州島説 彼の祖先が新羅系であることから、朝鮮半島南端や済州島。
  • 沖縄・南西諸島説 常緑樹林文化圏の広がりから、ニライカナイに通じる南方。
  • 中国神仙境説 秦の始皇帝が目指した蓬莱山のような、大陸奥地の聖域。

いずれにせよ、それは「生きて帰れる保証のない異界」への旅でした。 『日本書紀』には、彼が帰国するまでに10年もの歳月を要したと記されています。数々の困難を乗り越え、ついに霊薬を手にした田道間守。しかし、彼が帰国したとき、垂仁天皇はすでにこの世の人ではありませんでした

陵墓の前で彼が叫んだ言葉は、千年の時を超えて胸を打ちます。

「常世の国の非時香菓を持ちて参上り侍り」(『古事記』)

彼は持ち帰った実の半分を皇太后に、残りを御陵に捧げ、悲嘆のあまり泣き叫びながら絶命します。これは単なる死ではなく、主君への「後追い(殉死)」の精神性が極まった姿として描かれているのです。


不老不死の実「非時香菓」はタチバナか、デーツか?

田道間守が命がけで持ち帰った「非時香菓」。 「時を選ばず(=いつでも)」「香る」「木の実」という意味を持つこの実の正体については、二つの有力な説があります。

定説:日本固有の「橘(タチバナ)」

記紀の記述に基づき、最も広く信じられている説です。

  • 永遠性の象徴 タチバナは常緑樹であり、雪の降る冬でも青々とした葉と黄金色の実をつけます。この「変わらぬ姿」が永遠の命(不老不死)の象徴とされました。
  • 邪気払いの香り: 柑橘特有の強く清浄な香りは、神霊を招き、邪気を払う力があると信じられていました。
  • 菓子の語源: 古代、加工食品がない時代の「菓子(かし)」は「果子(果物)」を指しました。タチバナはその最高級品だったのです。

異説:シルクロードの記憶「ナツメヤシ(デーツ)」

近年、比較神話学や植物学の視点から浮上しているのが、ナツメヤシ説です。

  • 保存と生命維持: タチバナの実は保存が利きませんが、乾燥させたデーツは何年も保存が可能で、砂漠の民の命を繋ぐ「非時」の食料です
  • 黄金の輝き: 熟したデーツは飴色に輝き、神話的な「黄金の実」のイメージに合致します。
  • 弱水(じゃくすい)の記述: 田道間守が渡ったとされる難所「弱水」は、中国の伝説で西方の砂漠地帯にある川を指すことが多く、西アジア原産のナツメヤシとの関連を匂わせます。

おそらく、「大陸から伝わった不老不死の実(デーツ等)の伝説」が、日本に定着する過程で、「日本における聖なる常緑樹(タチバナ)」へと置き換わった(習合した)のが真相ではないでしょうか。


天日槍の末裔「三宅連」が誓った絶対忠誠

見逃せないのが、田道間守の出自(血筋)です。 彼は、新羅の王子であり渡来神とされる天日槍(アメノヒボコ)の曾孫(または玄孫)にあたります。

渡来系氏族「三宅連」の戦略

彼の一族は「三宅連(みやけのむらじ)」を名乗りました。「三宅」とは「屯倉(みやけ)」、すなわちヤマト王権の直轄領や倉庫を管理する重要な役職です。 天日槍の伝説には、播磨国などで在地の神(伊和大神など)と土地を巡って争った話が残されています。つまり、彼らは強力な武力や技術を持った、一筋縄ではいかない集団でした。

そんな一族の末裔である田道間守が、天皇のために命を捨てて異界へ赴く。 この物語は、「かつては独立勢力であった渡来系氏族が、ヤマト王権に対して完全なる服属と忠誠を誓った」という政治的な契約(アピール)の側面を持っています。

田道間守の「忠誠」は、個人的な感情であると同時に、一族の命運を背負った氏族としての生存戦略だったのかもしれません。


垂仁天皇陵の堀に浮かぶ「田道間守の墓」

この伝説を肌で感じられる場所が、奈良市にあります。 垂仁天皇陵(宝来山古墳)です。

全長227メートルの美しい前方後円墳。満々と水をたたえた周濠の南東隅に、ぽつりと浮かぶ小さな島があります。 江戸時代や明治時代の記録にも残るこの小島こそ、伝承上の「田道間守の墓」です。

本来、天皇の陵墓の濠の中に他人の墓があることは異例中の異例。 しかし、『釈日本紀』などの古文献は、後の景行天皇が田道間守の忠烈を哀れみ、主君のそばに葬ることを許したと伝えています。 (※考古学的には「陪塚(ばいちょう)」と呼ばれる、主墳に付随する小型古墳の一つと考えられます)

現在、島への立ち入りはできませんが、拝所の近くからその姿を望むことができます。 巨大な王の墓の足元で、永遠に主君を守り続けるかのような小さな島。その光景は、記紀神話の中でも屈指の美しい情景と言えるでしょう。


神となった田道間守と「中嶋神社」の信仰

田道間守の物語は、過去のものではありません。現代において彼は「菓祖(お菓子の神様)」として、巨大な産業の守護神となっています。

菓祖の総本社「中嶋神社」(兵庫県豊岡市)

田道間守の故郷とされる但馬国(兵庫県豊岡市)には、彼を祀る中嶋神社が鎮座しています。 毎年4月の「菓子祭」には、日本を代表する製菓企業のトップやパティシエたちが集結し、商売繁盛と業界の発展を祈願します。

橘本神社(和歌山県海南市)

田道間守が持ち帰ったタチバナを最初に植えたとされる場所は「六本樹の丘」と呼ばれ、現在は橘本(きつもと)神社が鎮座しています。ここは「みかん発祥の地」であると同時に「お菓子発祥の地」としても信仰されています。

古代の「果物」が、加工技術の進歩とともに「和菓子・洋菓子」へと姿を変えた現代。 それでも、人々を笑顔にする「甘味」の根源に、田道間守の祈りがあることは変わりません。


時空を超える「非時」の遺産

田道間守の物語を紐解くと、そこには幾層もの歴史の地層が現れます。

  1. 神話の層: 不老不死を求める王と、異界へ渡る英雄の冒険譚。
  2. 歴史の層: 渡来系氏族が王権の中枢へ食い込んでいく政治的ドラマ。
  3. 文化の層: タチバナから現代のスイーツへと続く、食文化の系譜。

次に甘いお菓子やミカンを口にする時、ふと想像してみてください。 2000年前、荒波の向こうに「永遠」を求めた一人の男の姿を。 それが、歴史を旅する醍醐味です。


【アクセス・史跡情報】

  • 垂仁天皇陵(田道間守の墓伝承地)
    • 奈良県奈良市尼辻西町
    • 近鉄橿原線「尼ヶ辻駅」より徒歩約5分
  • 中嶋神社(菓祖総本社)
    • 兵庫県豊岡市三宅1
    • JR山陰本線「豊岡駅」より全但バス奥野行き「森尾口」下車
  • 橘本神社(みかん・菓子発祥の地)
    • 和歌山県海南市下津町橘本
    • JR紀勢本線「加茂郷駅」よりタクシー等
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