【角宮神社】賀茂別雷命の「父」は誰か?乙訓坐火雷神社と丹塗矢の伝説

京都府
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京都で最も古い歴史を持つ神社のひとつ、上賀茂神社(賀茂別雷神社)。 世界遺産にも登録され、優雅な王朝文化を今に伝えるこの神社には、非常にミステリアスな「神の誕生神話」が伝わっています。

祭神である賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)は、人の父を持たず、丹塗矢(にぬりのや)」によって生まれたという伝説です。

川遊びをしていた母・玉依日売(タマヨリヒメ)のもとに、川上から一本の赤い矢が流れてくる。それを持ち帰った彼女は、不思議な霊力によって懐妊し、神の子を産んだ――。

あまりにも有名なこの説話ですが、ひとつの大きな疑問が浮かびます。 この矢(父親)の正体は誰なのか?

多くの解説書では「神の化身」と曖昧にされがちですが、実は古文書を紐解き、歴史地理学の視点で京都盆地を見渡すと、その正体は実在する「ある特定の神」であることがはっきりと分かります。

今回は、賀茂神話最大のミステリー「丹塗矢の正体」と、その背景にある古代氏族の政治的ドラマについて、徹底的に深掘りしていきます。


『山城国風土記』逸文が明かす真実

その答えは、鎌倉時代の『釈日本紀』に引用された『山城国風土記』の逸文に残されていました。

そこには、成人した別雷命が、祖父から「お前の父と思う神に酒を飲ませよ」と言われた際、屋根を突き破って天へ昇り、父の正体を明かす場面が描かれています。そして、文献はこう断言しています。

  即ち、彼の矢は、乙訓の郡の社に坐せる火雷神なり。

推測ではありません。「すなわち~なり」と断定しています。 つまり、賀茂別雷命の父親は、現在の長岡京市・向日市周辺にあたる「乙訓(おとくに)」地方に鎮座する「火雷神」なのです。

火雷神とは何者か?

火雷神は、その名の通り「雷」と「火」の神です。 古代において雷(稲妻)は「稲の夫(つま)」と呼ばれ、その光が田んぼに入ることで稲が妊娠し、米が実ると信じられていました。つまり、火雷神は恐ろしい祟り神であると同時に、強力な五穀豊穣の神でもあったのです。


「川上」のパラドックスと歴史地理学の謎

ここで、京都の地理に詳しい方なら「おや?」と思うはずです。

神話では、矢は「川上から流れてきた」とされています。 玉依日売がいたのは現在の鴨川上流(上賀茂)。一方、父である火雷神がいる乙訓(長岡京)は、京都盆地の南西です。

鴨川は北から南へ流れます。 南西にある乙訓から流した矢が、北にある上賀茂に流れ着くことは、物理的にあり得ません。

では、この神話は嘘なのでしょうか? いいえ、ここにこそ古代人の「思想」と「歴史的真実」が隠されています。

「川上」とは「文化の供給源」である

歴史学的に有力な説の一つが、「川上=政治的・技術的優位者」のメタファーだとする考え方です。

当時、乙訓地域を拠点としていたのは、渡来系氏族の雄・秦氏(ハタ氏)でした。彼らは最先端の治水技術、養蚕、そして金属精錬技術を持っていました。 一方、賀茂川流域にいた賀茂氏は、古くからの土着豪族です。

つまり、「川上から矢が来た」というのは、水の流れのことではなく、「先進的な秦氏(乙訓)の文化や技術が、賀茂氏へともたらされた」ということを表しているのです。


「赤い矢」が象徴する鉄と血の同盟

なぜ、神は「赤い矢」の姿をしていたのでしょうか。

  • 丹(赤)=水銀朱・鉄・生命
  • 矢=武力・祭祀具
  • 火雷=ふいごの火と轟音

これらを繋ぎ合わせると、一つの仮説が浮かび上がります。 「丹塗矢」とは、乙訓の秦氏グループが賀茂氏にもたらした「製鉄・金属加工技術」の象徴だったのではないでしょうか。

山城国(京都)を開発するために、北の賀茂氏と南西の秦氏は手を組む必要がありました。 賀茂の女性(巫女)が、乙訓の男性(技術集団の首長)を招き入れ、その強大な力を取り込む。この「政略結婚」こそが、神話における「丹塗矢による懐妊」の正体なのかもしれません。

生まれた「別雷命(わけいかづち)」は、父(秦氏・雷神)の荒々しいエネルギーを、母方(賀茂氏)が「別(わけ)」て制御し、自分たちの守護神として生まれ変わらせた存在といえるでしょう。


葵祭(賀茂祭)に見る「証拠」

この「父=乙訓の神」説を裏付ける証拠は、現代の葵祭の中にもはっきりと残っています。

葵祭の主役たちが身につける「葵の葉」。実はこれ、単体ではなく「桂の枝」と一緒に飾られていることをご存知でしょうか?

  • 葵(あおい): 賀茂氏のシンボル(母方の象徴)
  • 桂(かつら): 乙訓を流れる桂川流域の樹木(父方・秦氏の象徴)

神話の中で、天へ帰る別雷命はこう言い残しました。 私に逢いたければ、葵と桂をあわせて待て

これは、「賀茂(葵)と乙訓(桂)が協力して初めて、最強の神(別雷)が現れる」という、古代の氏族同盟の契約書そのものなのです。私たちが葵祭で目にするあの緑の飾りには、1000年以上前の政治的融和の記憶が刻まれているのです。


父神に会いに行く

上賀茂神社の参拝後、ぜひ足を延ばしてほしいのが、父神が鎮座する乙訓の地です。

乙訓坐火雷神社(論社:角宮神社)

現在、風土記に記された「乙訓坐火雷神社」の最有力候補とされているのが、長岡京市にある角宮神社です。 決して大きな神社ではありませんが、延喜式内社の名神大社にも列せられた由緒ある古社です。

境内には静謐な空気が漂い、上賀茂神社のような華やかさとは対照的な、古層の神威を感じることができます。

  • 住所: 京都府長岡京市井ノ内南内畑34
  • Google Maps: 角宮神社の位置情報
  • アクセス:
    • 公共交通機関: 阪急京都線「西向日駅」から徒歩約20分。またはJR「長岡京駅」から阪急バス「井ノ内」下車徒歩5分。
    • 車: 専用駐車場は小規模なため、近隣のコインパーキング利用推奨。

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