【猿神社・志呂神社】猿神伝説と人身御供。『今昔物語集』が語る神と人の血の契約と、消えた犬たちの行方

岡山県
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岡山県津山市一宮。中国山地のなだらかな山並みを背に、威風堂々たる社殿を構える美作国一宮・中山神社。 慶雲4年(707年)創建と伝わるこの古社は、鏡作神を主祭神とし、この地域の政治・宗教の中心として崇敬を集めてきました。

しかし、その静謐な神域の奥底には、かつてこの地を支配していた「荒ぶる神」と、それに対する「人身御供」という、血塗られた記憶が封印されていることをご存知でしょうか。

今回は、平安末期の説話集『今昔物語集』に記された戦慄の猿神伝説を紐解きながら、古代日本における「神と人との契約」の変遷、そして伝説の舞台に残る痕跡を巡る歴史探訪へとご案内します。


『今昔物語集』が語る恐怖 猿と蛇の支配

中山神社の縁起を語る上で欠かせないのが、『今昔物語集』巻第二十六・第七話「美作国神依猟師謀止生贄語(美作国の神、猟師の謀りに依りて生贄を止むる語)」です。

美作の二大荒神「中参」と「高野」

物語の舞台となる平安時代の美作国には、人々に恐れられる二柱の神が存在しました。

  • 中参(ちゅうさん): その正体は「大猿」(中山神社の原型)
  • 高野(こうや): その正体は「大蛇

山を支配する「猿」と、水脈を支配する「蛇」。この二柱は、毎年の祭礼において、国人(地元民)の「未だ嫁がざる娘」を生贄として要求しました。 選ばれた娘は、祭りの一年前から特定され、家族と共に悲嘆に暮れながら「神の供物」としての一年を過ごすのです。これは、共同体の安寧と引き換えに捧げられる、あまりにも残酷な交換儀礼でした。

異邦人・猟師「犬山」の登場

この絶望的な状況を打破したのは、東国から流れてきた「犬山」という名の猟師でした。 彼は生贄に選ばれた美しい娘とその家族の悲劇を知り、こう言い放ちます。

「親が子のために命を惜しむのは当然だが、子を殺されてまで生きることに意味はない。私が娘の身代わりとなって、神と対峙しよう」

犬山は、単なる精神論ではなく、極めて実践的な「神殺し」の計画(謀)を巡らせました。彼は山で生きた猿を捕らえ、自身の飼い犬の中でも特に獰猛な2頭を選抜し、「猿を見るや否や噛み殺す」という戦闘訓練を徹底的に行ったのです。


祭礼の夜 神の「料理」と逆転劇

祭りの当日、犬山は娘の身代わりとして長櫃(ながびつ)に入り、2頭の犬と共に神社へと運ばれました。 人々が立ち去り、静寂が訪れた社殿で、犬山が長櫃の隙間から見た光景は、戦慄すべきものでした。

人間を「料理」する神

現れたのは、丈七、八尺(約2.4メートル)もの巨大な猿神と、百匹ほどの眷属たち。 しかし、最も恐ろしいのはその姿ではなく、彼らが持っていた道具です。 「俎(まな板)、長刀、酢、塩、酒」。 猿神は、獲物を野獣のように喰らうのではなく、人間と同様に「調味料」を使って調理し、宴を開こうとしていたのです。これは、神が人間を完全に「食材」として見下していることを示す、グロテスクな文明の逆転現象と言えるでしょう。

犬による制圧と「契約」の成立

猿神が長櫃を開けようとした瞬間、犬山は叫びました。「喰へ(食え)!」 放たれた2頭の犬は、訓練通りに猿神に襲いかかり、瞬く間にこれを制圧します。犬山は刀を猿神の首に当て、恫喝しました。

「貴様が今まで人を食ってきた報いだ。もし真の神なら俺を殺してみろ。できないなら、ただの獣としてここで殺す」

圧倒的な武力の前に、神は平伏し、涙を流して命乞いをしました。 ここで興味深いのは、犬山が猿神を殺さなかったことです。宮司に神託が下り、「今後は人身御供を要求しない。祟りもなさない」という誓約が交わされたことで、猿神は山へと逃がされました。


伝説の痕跡を歩く

この伝説は、単なる昔話として終わってはいません。中山神社の境内や周辺には、この物語の痕跡が数多く残されています。

鎮められた神「猿神社」

かつての荒ぶる神は、現在、本殿裏手の小さな祠「猿神社」に祀られています。 公式な祭神は「猿田彦神」とされることが多いですが、地元の伝承や『美作国神社資料』などの文献は、これが『今昔物語集』の猿神そのものである可能性を指摘しています。 かつて人を食らった神は、強力な霊力を持つがゆえに、現在は「牛馬の守護神」「安産の神」として信仰されています。「祟る神」を鎮めて「守り神」へと転化させる、日本特有の御霊信仰の形がここにあります。

消えた犬たちの行方「志呂神社」(岡山市建部町)

ここで一つの謎が浮かびます。猿は祀られているのに、英雄である「犬」の社が中山神社には見当たらないのです。 その答えは、南へ約20km離れた岡山市北区建部町の「志呂神社」にありました。

志呂神社の伝承によれば、この地に移り住んだ豪族が祀った「贅賂ゴ狼神(ゼイロゴロウガミ)」という謎めいた神こそが、猿神退治で活躍した2頭の犬、「シロ」と「ゴロウ」であると伝えられています。 強力すぎる「犬神」と「猿神」を同じ場所に置くことを避けたのか、あるいは猟師集団の移動に伴ったものか。いずれにせよ、犬たちは今も少し離れた場所から美作の地を睨んでいるのです。


現代に息づく信仰 身代わり申(猿ぼぼ)

猿神社の前には、赤い布で作られた小さな猿の人形が数多く吊るされています。これは「身代わり申(猿ぼぼ)」と呼ばれています。

  • かつて: 生きた人間(娘)が、共同体の犠牲として捧げられた。
  • その後: 鹿や猪などの動物が、代わりの供物とされた。
  • 現在: 人形(ひとがた)が、個人の災厄や病気を肩代わりする。

「身代わり」という概念は形を変えながら継承され、血なまぐさい儀式は、穏やかな個人の祈りへと昇華されました。赤い色は魔除け(特に天然痘除け)の意味を持ち、参拝者の願いを背負って静かに揺れています。


訪問ガイド

美作国一宮・中山神社

アクセス方法

車でお越しの方

  • 中国自動車道「院庄IC」または「津山IC」より約15分。
  • 無料駐車場あり。

公共交通機関でお越しの方

  • JR津山線「津山駅」からタクシーで約15分。
  • または、津山駅より中鉄バス(一宮方面行き)に乗車、「中山神社前」下車すぐ(※本数が少ないため、事前の時刻表確認を強く推奨します)。

志呂神社

  • 住所: 〒709-3113 岡山県岡山市北区建部町下神目1834
  • Google マップ

アクセス方法

車でお越しの場合

  • 国道53号線沿いにあります。「志呂神社」の看板が目印です。
  • 境内には広い駐車場(約200台)があります。

公共交通機関でお越しの場合 最寄り駅は JR津山線・福渡(ふくわたり)駅 です。

  1. タクシー利用(推奨):
    • 福渡駅からタクシーで約5分。
    • ※福渡駅は特急も停車する主要駅ですが、タクシーが常駐していない場合もあるため、事前に予約や確認をしておくと安心です。
  2. バス利用:
    • 中鉄バス(岡山~津山線)に乗車し、「志呂神社前」バス停で下車。
    • バス停から徒歩約5〜10分で社殿に到着します。

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