【鬼ヶ城】坂上田村麻呂伝説。海賊王・多娥丸の悲哀と絶景

三重県
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三重県熊野市。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部でありながら、どこか異界のような恐ろしさと美しさを併せ持つ場所があります。

それが、「鬼ヶ城(おにがじょう)」です。

1km以上にわたって続く凝灰岩の大岩壁。無数の洞窟と奇岩は、まるで地球そのものが荒波に削り出された彫刻のようです。しかし、この場所が「鬼ヶ城」と呼ばれる理由は、単にその見た目が恐ろしいからだけではありません。

ここにはかつて、平安時代の英雄・坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろと、この地を支配した「鬼」との激闘の伝説が残されています。

今回は、絶景スポットとして知られる鬼ヶ城を、「まつろわぬ民(朝廷に従わなかった人々)の悲哀」という視点から歩いてみたいと思います。


熊野灘を支配した「多娥丸」

伝説の舞台は平安時代初期。 当時、この鬼ヶ城の洞窟(現在の千畳敷あたり)を拠点とし、熊野灘を荒らし回る海賊の首領がいました。

その名は、多娥丸(たがまる)

彼は手下を率いて沖を通る船を襲い、財宝を奪っては岩屋に隠していたといいます。その武力は凄まじく、誰も手出しができない存在として、都の人々から「鬼」と恐れられていました。

この噂を聞きつけた桓武天皇は、東北のアテルイをも降伏させた伝説の征夷大将軍・坂上田村麻呂に討伐を命じます。

「最強の将軍 vs 熊野の海を知り尽くした鬼」。 日本の歴史に残るビッグネームによる決戦の火蓋が切られました。

魔見ヶ島の舞と千畳敷の決戦

意気揚々と軍を率いて熊野に入った田村麻呂でしたが、戦いは困難を極めました。 鬼ヶ城は天然の要害。断崖絶壁と荒波に守られた多娥丸の砦を、力攻めで落とすことはできなかったのです。

そこで田村麻呂は、武力ではなく「知略」を使います。

彼は鬼ヶ城の正面、沖合約1.5kmに浮かぶ無人島「魔見ヶ島」に目をつけました。 田村麻呂はこの島に美しい童子を送り込み、煌びやかな衣装で舞を舞わせ、笛や太鼓を賑やかに奏でさせたのです。

不思議な音色は風に乗って鬼ヶ城の岩屋まで届きました。 「なんだ、あの音は?」 警戒心の強い多娥丸でしたが、あまりに美しい音色と舞に心を奪われ、思わず岩戸(千畳敷)から身を乗り出してしまいます。

その一瞬の隙を、田村麻呂は見逃しませんでした。

将軍が放った神通力の宿る矢は、吸い込まれるように多娥丸の胸を貫き、岩の上にどうと倒れ伏しました。 こうして、熊野灘を震え上がらせた鬼の支配は終わりを告げたのです。

勝利した田村麻呂軍は、笛や太鼓を鳴らしながら凱旋しました。その時に通った橋は、今も「笛吹橋(ふえふきばし)」として松本峠近くにその名を残しています。

「鬼」と呼ばれた男の真実

勝者の歴史において、多娥丸はあくまで「討伐されるべき悪鬼」として描かれています。しかし、本当にそうだったのでしょうか?

日本の歴史や神話において、「鬼」や「土蜘蛛」という言葉は、しばしば「大和朝廷(中央政権)の支配に従わなかった地方豪族や先住勢力」への蔑称として使われてきました。

多娥丸もまた、怪物などではなく、熊野の複雑な海岸線と潮流を知り尽くし、この海域の制海権を持っていた強力な水軍の長だった可能性が高いのです。

実は地元には、多娥丸の人間味あふれる伝承も残っています。 「彼は仲間思いで面倒見が良く、南紀のみかんが好物だった」——。 そんな話を聞くと、彼が単なる悪党ではなく、部下や地元民から慕われる「頼れる親分」だった姿が浮かび上がってきます。

彼の遺骸は、熊野市井戸町の「大馬神社」に埋葬されたと伝わっています。この神社には狛犬がいませんが、それは海岸にある「獅子岩」が狛犬の代わりをしているからだと言われています。 敗者となり「鬼」の汚名を着せられながらも、地元の神として静かに眠る多娥丸。彼もまた、時代に翻弄された「まつろわぬ民」の一人だったのかもしれません。

伝説を追体験するスポットガイド

この物語を知った上で鬼ヶ城を歩くと、見える景色がガラリと変わります。

  • 千畳敷(せんじょうじき) 遊歩道の入り口にある巨大な海食洞。ここが多娥丸の「アジト」であり、彼が最期を迎えた場所とされます。頭上を覆う岩盤の圧迫感は、まさに鬼の棲み家。ここから海を眺め、彼が見ていた景色を想像してみてください。
  • 魔見ヶ島(まみるがしま/マブリカ) 千畳敷から沖を見ると、ぽつんと浮かぶ島が見えます。ここが、田村麻呂が童子を舞わせた舞台です。1.5kmという距離は、音が届くか届かないかの絶妙な距離。風向きまで計算した田村麻呂の軍略がうかがえます。
  • 蜂の巣(はちのす) 遊歩道の奥にある、無数の穴が開いた奇岩。「タフォニ」と呼ばれる風化現象ですが、伝説を知ってから見ると、まるで戦いの爪痕や、無念の思いが刻まれたようにも見えてきます。

鬼ヶ城

所在地: 〒519-4323 三重県熊野市木本町1835-7 電話番号: 0597-89-1502 (鬼ヶ城センター) グーグルマップの位置情報

アクセス方法

自動車の場合

  • 熊野大泊IC (熊野尾鷲道路) から国道42号を南へ約1分(すぐ近くです)。
  • 駐車場: 鬼ヶ城センターに無料駐車場があります(普通車 約70台)。

公共交通機関 (電車・バス) の場合

  • 最寄駅: JR紀勢本線 「熊野市駅」
  • バス: 熊野市駅から「大又大久保行」などの三重交通バスに乗り約5分、バス停「鬼ヶ城東口」下車すぐ。
多娥丸の眠る社
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