鳥取県の東部、のどかな田園風景が広がる鳥取市国府町に、日本の古代史における最大のミステリーの一つが静かに眠っています。その名は「岡益の石堂(おかますのいしどう)」 。建立者、年代、目的、そのすべてが謎に包まれ、見る者を時空を超えた思索の旅へと誘う不思議な石造建築物です。
この石堂には、二つの全く異なる時代の物語が重なっています。一つは、遠くギリシャやペルシャからシルクロードを経て伝わった文化の香りを放つ、7世紀・白鳳時代の国際色豊かな物語。そしてもう一つは、壇ノ浦の悲劇から500年の時を経てこの地に重ねられた、幼き安徳天皇の悲しい伝説です。
この記事では、考古学と建築史が解き明かす「石堂の真実」と、人々の間で語り継がれてきた「安徳天皇の神話」という二つの側面から、岡益の石堂が持つ多層的な魅力に迫ります。さあ、古代因幡国に隠された壮大な歴史ロマンを巡る旅に出かけましょう。
石堂の正体 – 考古学と建築史が語る真実
まず、この石堂を包む伝説のベールを一枚剥がし、その物理的な姿と、科学的な分析が明らかにした本来の姿を見ていきましょう。
時空を超えた建築様式 シルクロードの終着点

岡益の石堂を目の前にして、まず驚かされるのはその異質なまでの造形美です 。約6.6メートル四方の堅固な基壇の上に、厚さ40センチもの一枚岩でできた壁石が方形に組まれています 。そして、その内部に足を踏み入れると、この石堂の最大の特徴である、中央が優美に膨らんだ石の円柱が目に飛び込んできます 。
この柱の形状は「エンタシス(胴張り)」と呼ばれ、その起源はなんと古代ギリシャのパルテノン神殿にまで遡ります。さらに、柱の上に載る斗(ます)形の石には「パルメット文様(ナツメヤシを図案化した文様)」が彫刻されていますが、これもまた古代エジプトやメソポタミアに起源を持つ意匠です 。
これらの西方の文化要素は、仏教美術とともにシルクロードを東へ東へと伝播し、中国の雲崗石窟などを経て、朝鮮半島を経由し、ついにユーラシア大陸の東端である日本の因幡国にまで到達したのです 。7世紀の地方豪族が、これほどまでに洗練された国際的なデザインを取り入れていたという事実は、当時の因幡が決して文化の辺境ではなく、大陸の最先端の文化とダイレクトに繋がる国際港湾都市のような役割を担っていた可能性を示唆しています。
岡益廃寺の仏塔か?失われた寺院の謎
この特異な石堂は、単独で存在していたわけではありません。近年の発掘調査により、石堂の周辺一帯が「岡益廃寺」と呼ばれる7世紀後半の古代寺院の跡地であることが判明しました 。かつてこの地には、本尊を祀る金堂や、僧侶が学ぶ講堂などが立ち並んでいたのです 。
では、寺院全体の中で石堂はどのような役割を担っていたのでしょうか。最も有力な説は、これが仏舎利(釈迦の遺骨)を納める「仏塔」であった、というものです 。石堂を「塔」、西側にあった建物を「金堂」と仮定すると、その配置は奈良の法起寺などに見られる「法起寺式伽藍配置」という先進的な様式と一致します 。
しかし、日本の古代仏塔がほとんど木造であるのに対し、岡益の石堂は総石造りです。その手本は朝鮮半島、特に百済や新羅の石塔文化にあると考えられます 。しかし、朝鮮半島の石塔が外部から仰ぎ見る記念碑的な性格が強いのに対し、岡益の石堂は壁に囲まれた「内部空間」を持ち、その中に礼拝の対象である中心柱を秘めるという、極めて独創的な構造をしています 。
これは、大陸の文化をただ模倣するのではなく、一度自分たちの価値観で咀嚼し、全く新しい形を創造しようとした古代因幡人のクリエイティビティの証と言えるでしょう。
重ねられた物語 安徳天皇陵墓伝説の誕生
建立から数百年が経ち、岡益廃寺が歴史の彼方に忘れ去られた頃、この謎多き石堂に全く新しい物語が重ねられます。それは、源平合戦の悲劇の主人公、安徳天皇の伝説でした。
壇ノ浦の悲劇と、語り継がれる生存伝説
『平家物語』が描くように、第81代安徳天皇は1185年の壇ノ浦の合戦で、祖母・二位の尼に抱かれ、わずか8歳で海の底へと沈んだとされています 。しかし、そのあまりに悲劇的な最期からか、「実は天皇は生きていた」という伝説が、西日本各地に数多く残されることになりました 。

鳥取に伝わる伝説もその一つです。それによれば、安徳天皇は密かに壇ノ浦を脱出し、小舟で日本海を漂い、鳥取の賀露の浜に上陸しました。地域の人々に匿われましたが、長旅の疲れからかほどなくして崩御され、その亡骸が手厚く葬られた場所こそが、この岡益の石堂だというのです 。
なぜ「陵墓参考地」になったのか
この地域的な伝承が、国家的な権威を持つようになったのは明治時代のことでした。麓にある長通寺の住職・牛尾得明師がこの伝説を固く信じ、石堂を安徳天皇の真の陵墓として認定するよう、宮内省(現在の宮内庁)に十数年にもわたる粘り強い陳情活動を行ったのです 。
その熱意は、天皇を中心とした国家体制を強化しようとしていた明治政府の時流にも乗り、1896年(明治29年)、岡益の石堂はついに「宇倍野陵墓参考地(うべのりょうぼさんこうち)」として、宮内庁の管理下に置かれることになりました 。

しかし、この指定は、遺跡の本来の姿を大きく変えてしまう結果を招きます。陵墓としての威厳を保つため、周囲の地面が深く掘り下げられ、元々は岡益廃寺の他の建物と同じ平面上にあったはずの石堂が、小高い丘の上に孤立する現在の姿に作り変えられてしまったのです 。
500年の時を超えた「嘘」 史実との決定的な乖離
もちろん、考古学的な見地から言えば、この伝説は史実ではありません。最大の根拠は、その圧倒的な年代のズレです。前述の通り、岡益の石堂が建立されたのは7世紀後半。一方、安徳天皇が生きたのは12世紀後半です 。両者の間には、実に500年もの時間の隔たりがあります。
この事実は、安徳天皇陵墓伝説が、本来の意味を失った古代の聖地に、後世の人々が新たな物語を投影して生まれた民間伝承であることを示しています。科学的真実と、人々が信じたいと願った物語。岡益の石堂は、その二つが交錯する、稀有な歴史のモニュメントなのです。
岡益の石堂を巡る旅 – 周辺の史跡探訪
岡益の石堂の謎をより深く理解するためには、周辺に点在する関連史跡を巡るのがおすすめです。古代因幡の豪族たちの息吹と、安徳天皇伝説の痕跡をたどってみましょう。
長通寺(ちょうつうじ)
石堂のすぐ麓にある曹洞宗の寺院。岡益廃寺から出土したとされる古代の瓦が保管されているほか、安徳天皇陵墓伝説とも深く関わっています 。見どころは、鳥取市出身の日本画家・八百谷冷泉が描いた襖絵の数々。特に、本堂16枚の襖に描かれた「冬の日本海大波涛」は圧巻の一言です 。

- 所在地: 鳥取県鳥取市国府町岡益285
- Google Maps: 長通寺
石舟古墳(新井の石舟)
岡益の石堂から約2kmの場所にある、6世紀末~7世紀初頭の円墳です 。安徳天皇伝説では、天皇と共に入水した祖母・二位の尼の墓所とされています 。これは、「新井(にい)」という地名と、尼の官位である「二位(にい)」の語呂合わせから生まれた伝説と考えられていますが、伝説の世界観をより深く味わうことができます 。
- 所在地: 鳥取県鳥取市国府町新井
- Google Maps: 石舟古墳
- 見学: 見学自由。集落内は道が狭いため、手前の案内板付近に駐車し、徒歩での見学が推奨されます 。
梶山古墳(かじやまこふん)
岡益の石堂と同じく、7世紀前半に築造された飛鳥時代の古墳 。全国的にも珍しい「変形八角墳」で、石室内部には魚や幾何学文様が描かれた彩色壁画が残されています 。岡益の石堂を建立したであろう、当時の因幡を支配した豪族の墓と考えられており、その権力と文化水準の高さをうかがい知ることができます。
- 所在地: 鳥取県鳥取市国府町岡益589
- Google Maps: 梶山古墳
- 見学: 石室内部は通常非公開ですが、毎年10月上旬に特別公開されます 。
鳥取市因幡万葉歴史館
因幡国の国府が置かれたこの地域の歴史と文化を総合的に紹介する施設です 。館内には、岡益の石堂の中心柱の実物大レプリカが展示されており、その大きさと精緻な文様を間近で体感することができます 。また、梶山古墳の石室の精巧な複製もあり、古代因幡の世界に浸ることができます 。
- 所在地: 鳥取県鳥取市国府町町屋726
- Google Maps: 因幡万葉館
- 開館時間・料金: 公式サイトでご確認ください。
訪問ガイド:岡益の石堂へのアクセス
- 所在地: 鳥取県鳥取市国府町岡益
- Google Maps: 岡益の石堂
- 見学情報: 見学は無料・終日可能ですが、石堂は保存のための覆屋に覆われ、柵の外からの見学となります 。
自動車でのアクセス
- JR鳥取駅から車で約15分 。
- 無料駐車場が完備されています 。
公共交通機関でのアクセス
- JR鳥取駅バスターミナルから日交バス「中河原線(路線番号:32)」に乗車 。
- 「岡益橋」バス停で下車し、徒歩約10分。
- バス路線情報: バスの時刻や路線は変更される可能性があるため、事前にバス会社の公式サイトでご確認ください。
参考文献
岡益の石堂と因幡の古代史について、さらに深く知りたい方におすすめの書籍をご紹介します。
- 『白鳳・天平文化の華ー因幡・伯耆の古代寺院』(中原 斉 著、鳥取県発行)
- 岡益廃寺を含む、鳥取県内の古代寺院について網羅的に解説されています。専門的な内容も分かりやすく書かれており、古代史ファン必携の一冊です。
- 購入情報: 鳥取県内の博物館や公文書館、一部書店で販売されています 。
- 『古代因幡の豪族と采女』(石田 敏紀 著、鳥取県発行)
- 岡益の石堂を建立したであろう古代豪族「伊福吉部氏」など、因幡地方の有力者たちの実像に迫ります。
- 購入情報: 上記と同様に、鳥取県内の施設等で入手可能です 。
- 『安徳天皇漂海記』(宇月原 晴明 著、中央公論新社)
- 安徳天皇生存伝説をモチーフにした歴史ファンタジー小説。史実とは異なりますが、伝説が持つロマンと悲哀の世界観に浸ることができます。
- 購入ページ: Amazon

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