【中之嶽神社】日本一の大黒様と1200年の歴史、野球の聖地たる所以

群馬県
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日本三大奇景の一つ、妙義山。その険しい岩肌が続く山中に、古代の信仰と現代の祈りが交差する稀有な神社があります。それが中之嶽神社(なかのたけじんじゃ)です。

黄金に輝く「日本一の大黒様」が有名ですが、その歴史は1200年以上前に遡ります。さらに、なぜこの山中の神社が「野球の聖地」として球児やプロ選手たちの信仰を集めるのでしょうか。

1200年を超える神社の歴史と伝承

中之嶽神社の信仰は、古代の自然崇拝から始まり、神話、仏教、そして近世の武家政権と結びつきながら、重層的に発展してきました。

古代の信仰 御神体は「岩」

中之嶽神社の最大の特徴は、一般的な神社にある「本殿」を持たないことです。その代わり、社殿の背後にそびえ立つ巨大な奇岩「轟岩(とどろきいわ)」そのものを御神体としています 。これは、自然の巨岩を神の依り代とする、日本古来の「磐座信仰」の形を色濃く残すものです 。  

神社の記録によれば、太古の昔、この地は「波胡曽神(はこそかみ)」が山の主として祀られていたとされます 。  

創建神話 日本武尊と819年

伝説によれば、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が関東巡行の際に妙義山に登ったと伝えられています 。この伝承が基となり、819年(平安時代)に神社が創建されたと公式に定められました 。現在も、中之嶽神社の主祭神は日本武尊です 。  

中世から近世 神剣奉斉と小幡藩の鎮守

神社の歴史は、時代と共にさらに深まります。

  • 大和時代: 第29代欽明天皇(在位539-571年)の御代に、妙形氏(みょうがたし)が社殿を建立したとされます 。  
  • 平安末期: 1183年、藤原祐胤卿(ふじわらのすけたねきょう)が名工に作らせた「神剣」を奉斉しました 。  
  • 江戸時代: 1616年に加藤長清(道士)によって中興され 、地元の小幡藩主であった織田氏や松平氏から篤く崇敬されました 。社殿の改築や寄進が行われ、1720年には皇室から「十六葉菊御紋付」の幕や提灯が下賜されるなど、「小幡藩の鎮守社」として高い社格を誇りました 。  

「日本一の大黒様」  なぜ小槌ではなく剣を持つのか?

中之嶽神社を訪れる参拝者の度肝を抜くのが、境内に鎮座する「日本一のだいこく様」です。

圧巻のスケールと信仰の起源

その高さは20メートル、重さは8.5トンにも及び、金色に輝く姿はまさに圧巻です 。  

この大黒様信仰の起源も古く、伝承によれば約1300年前に弘法大師(空海)によって奉祀されたと伝えられています 。神社の創建(819年)とほぼ同時期であり、神仏習合の中で古くから大黒天(大国主命)が祀られていたことがわかります。  

「剣持甲子大黒」の謎

最大の特徴は、そのお姿です。一般的な大黒様が「打出の小槌」を持つのに対し、この大黒様は右手に「」を持っています 。このため「剣持甲子大黒」と呼ばれています 。  

なぜ剣を持っているのか? これには二つの説が伝えられています 。  

  1. 不動明王習合説 密教において剣で魔を祓う「不動明王」と大黒様が習合した姿であるという説。
  2. 神宝反映説 中之嶽神社の神宝が1183年に奉斉された「神剣」であることから、その神宝を大黒様も反映して持ったという説。

小槌が「福を打ち出す」のに対し、剣が象徴するのは「守護」と「厄除け」。この大黒様のご利益は、まず「病や厄、悪性を祓い、その上で福を招く」という、非常に力強いものです 。  

野球の聖地へ  「甲子」が繋ぐ甲子園との縁

近年、中之嶽神社は「野球の神様」「野球の聖地」として、全国から球児やプロ野球選手が参拝に訪れるようになりました 。その理由は、神社で約300年間続く重要なお祭り「甲子祭」にあります 。  

甲子園球場との運命的な繋がり

  1. 中之嶽大国神社は、古くから「甲子の日」を大黒様の縁日とし、「甲子祭」を斎行してきました 。  
  2. 一方、野球の聖地「甲子園球場」は、1924年に完成しました。この年が、「甲子の年」であったため、「甲子園」と名付けられました 。  

この「甲子」の一致により、「甲子園に縁のある神社」として、野球関係者の間で篤く信仰されるようになったのです。

奉納された「聖遺物」

そのご利益を裏付けるように、境内には野球にまつわる奉納品が数多く見られます。

  • 前橋育英高校の千羽鶴: 2013年に夏の甲子園で全国制覇を成し遂げた際、アルプススタンドに飾られていた千羽鶴が奉納されています 。  
  • プロ野球選手のユニフォーム: 埼玉西武ライオンズの髙橋光成選手(前橋育英高校出身)が実際に着用したユニフォームも奉納されており、社殿内に飾られています 。  

中之嶽神社へのアクセスガイド

中之嶽神社は山中にあるため、アクセスは車が基本となりますが、公共交通機関とタクシーを組み合わせる方法もあります。

所在地

  • 住所: 〒370-2621 群馬県甘楽郡下仁田町大字上小坂1248
  • Googleマップ

車でのアクセス

  • 上信越自動車道「松井田妙義IC」から
    • 国道18号・県道196号経由で約15分
  • 上信越自動車道「下仁田IC」から
    • 国道254号・県道196号経由で約25分

駐車場: 神社の向かいにある「県立妙義公園大駐車場」が利用できます。広大で、駐車料金は無料です(バス30台、普通車500台収容可能)。

公共交通機関でのアクセス

最寄り駅からのバス路線はないため、駅からはタクシーの利用が必須です。

  • JR信越線「磯部駅」から
    • タクシーで約25分
    • (高崎駅から磯部駅まではJR信越線で約20分)
  • 上信電鉄「下仁田駅」から
    • タクシーで約25分
    • (高崎駅から下仁田駅までは上信電鉄で約1時間)

もっと深く知るための関連書籍

中之嶽神社が鎮座する妙義山や、その背景にある修験道、群馬の神社についてさらに深く知りたい方のために、関連書籍をいくつかご紹介します。

  • 『日光山と関東の修験道(山岳宗教史研究叢書8)』(宮田登・宮本袈裟雄 編)
    • 妙義山を含む上毛三山や、関東の山岳信仰と修験道の歴史を専門的に解説しています。
    • 名著出版で購入
  • 『役行者と修験道の歴史(歴史文化ライブラリー)』(宮家 準 著)
  • 『群馬 ご朱印めぐり旅 乙女の寺社案内』(ジェイアクト)
    • 中之嶽神社も含む、群馬県内の神社仏閣を御朱印という切り口で紹介しています。
    • 楽天ブックスで購入

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