神話の国、出雲。この地には、日本最古の歴史書『古事記』に記された神々の息吹が、今なお色濃く残っています。数ある神社の中でも、ひときわ切なく、そして生命の力強さに満ちた物語を秘めているのが、出雲市斐川町に鎮座する御井神社(みいじんじゃ)です。
ここは、単なる神社ではありません。『古事記』の有名なエピソード「因幡の白兎」のヒロインである女神・八上姫(やかみひめ)が、愛する人の子を産んだ聖地。そして、その御子の命を育んだ「三つの聖なる井戸」が湧き続ける、生命誕生の源泉なのです。
この記事では、御井神社の核心に迫るべく、その壮大な神話の物語をひもとき、歴史的な裏付けを探り、なぜこの地が「安産の第一霊場」と謳われるのか。その答えを探す旅に、ご案内しましょう。
神話の幕開け 八上姫の愛と試練の物語
御井神社の存在を理解するには、まず『古事記』に記された、一人の女神の数奇な運命を辿らねばなりません。
因幡の白兎と大国主神との出会い

物語の主人公は、因幡国(現在の鳥取県東部)に住む絶世の美女、八上姫 。その美しさは遠く出雲国にまで届き、大国主神(おおくにぬしのかみ、この時点では大穴牟遅神(おおなむぢのかみ)という名)とその多くの兄弟神(八十神)が、こぞって彼女に求婚します 。
この道中で起こるのが、有名な「因幡の白兎」の神話です。兄弟神たちに騙され、全身の皮を剝がれて苦しんでいた白兎を、心優しい大穴牟遅神が助けます 。感謝した白兎は「八上姫は、残忍な八十神ではなく、必ずあなた様をお選びになるでしょう」と予言し、その言葉通り、八上姫は心優しい大穴牟遅神を夫として選びました 。
許されざる愛 正妻・須世理姫の影
大国主神と結ばれた八上姫は、やがて御子を身ごもります。そして愛する夫のいる出雲国へと旅立ちますが、彼女の前に大きな壁が立ちはだかります。それは、大国主神の正妻であり、荒ぶる神スサノオノミコトの娘である須世理姫(すせりひめ)の存在でした 。
『古事記』は、八上姫がこの須世理姫を「畏(かしこ)み」――つまり、恐れ敬ったために、大国主神と共に暮らすことを断念した、と記しています 。須世理姫は、父スサノオが課した数々の試練を大国主神と共に乗り越えた、正統なパートナー。その嫉妬深さは神話の中でも語り継がれており、因幡から来た八上姫が、その威光の前に立ちすくんだとしても不思議ではありません 。
古代日本の婚姻制度において、正妻の地位は絶対的でした。八上姫の決断は、個人的な恐怖心の発露であると同時に、当時の社会秩序を反映した、悲しくも現実的な選択だったのです。
聖地の誕生 直江の里での出産
愛する人と共に暮らすことを諦めた八上姫は、故郷・因幡への帰路につきます。しかしその途中、現在の御井神社が鎮座する直江(なおえ)の里で、産気づいてしまいました 。
身重の体で、たった一人。その絶望的な状況の中で、八上姫は驚くべき行動に出ます。自らの手で三つの井戸―「生井(いくい)」「福井(さくい)」「綱長井(つながい)」―を掘り、その清らかな水で身を清め、生まれたばかりの御子の産湯(うぶゆ)としたのです 。
この行為こそが、この地を聖地へと変貌させた奇跡でした。神社の名「御井(みい)」は、この「尊い三つの井戸」に由来します。
木俣神の誕生と母の決断

しかし、物語はここで終わりません。須世理姫への恐れが消えない八上姫は、生まれたばかりの我が子を木の俣(きのまた)にそっと置き、自身は一人、因幡へと帰ってしまいます 。この悲痛な別れにより、御子は木俣神(このまたのかみ)と名付けられました。『古事記』は、この木俣神の別名を「御井神(みいのかみ)」であると明確に記しており 、御祭神と神社の名が神話の中で分かちがたく結びついていることを示しています。
こうして、母の愛と苦悩、そして生命の誕生という奇跡が凝縮された聖地として、御井神社の物語は始まったのです。
神話はどのように事実となったか
この壮大な物語は、単なるおとぎ話ではありません。奈良時代から平安時代にかけて編纂された国家の公式記録が、その存在を歴史的な事実として裏付けています。
『出雲国風土記』と『延喜式神名帳』への記載
天平5年(733年)に完成した地方地誌『出雲国風土記』。これは、古代出雲の実情を知るための第一級史料です 。この風土記の出雲郡の条に、「御井社(みいのやしろ)」という名がはっきりと記されています 。『古事記』の成立からわずか20年余りで、すでに朝廷に認識される公的な神社であったことがわかります。
さらに時代は下り、延長5年(927年)に完成した『延喜式神名帳』。これは、朝廷から幣帛(へいはく、供物)を受ける資格があると認められた全国の神社リストですが、ここにも出雲国出雲郡の「御井神社」の名が見えます 。ここに記載された神社は「式内社」と呼ばれ、最高の社格を与えられた存在。御井神社が、平安時代において国家祭祀の対象となるほどの重要な神社であったことの動かぬ証拠です。
考古学が語る古代の姿 杉沢III遺跡の発見
文献上の記録を物理的に補強するのが、近隣で発掘された杉沢III遺跡です。この遺跡からは、9本の巨大な柱の穴(柱穴)が検出されました 。この柱の配置は、出雲大社に代表される古代出雲独特の神殿建築様式「大社造(たいしゃづくり)」の遺構である可能性が極めて高いと考えられています 。
これは何を意味するのか。それは、古代の御井神社が、出雲地方で最高位の建築様式で建てられた、壮麗で大規模な社殿を誇っていた可能性を示唆します。神話と歴史、そして考古学という三つの視点が交差する時、私たちは御井神社が古代出雲において、いかに重要視されていたかを立体的に理解することができるのです。
いまも湧き出る三つの聖なる井戸

御井神社の神性の核心であり、その名を「御井」たらしめているのが、「出雲三井(いずもみつい)」とも称される三つの聖なる井戸です。これらは神話の舞台であるだけでなく、今もなお清らかな水を湛え、信仰の中心となっています 。
- 生井 (いくい):「生命の井戸」。安産と子の健やかな成長、生命力そのものを司ります 。
- 福井 (さくい):「幸福の井戸」。「栄久井」とも書き、母子の未来の幸福と家運の隆昌を司ります 。
- 綱長井 (つながい):「長寿の井戸」。井戸のつるべ縄が長いことに由来し、母子の長寿と家内の安全を司ります 。
この三井は、誕生(生井)、幸福(福井)、長寿(綱長井)という、人の一生を包括的に守護する一つのシステムとして機能しています。
驚くべきことに、江戸時代の国学者・本居宣長は、この三つの井戸の神々が、宮中の神祇官で祀られていた国家鎮護の神「座摩神(いかすりのかみ)」五座のうちの三柱に比定されると指摘しています 。もしこれが事実であれば、出雲の一地方の井戸の神が、中央の国家祭祀体系に組み込まれるほどの重要性を持っていたことになります。

神話の舞台を巡る 関連史跡・神社仏閣ガイド
御井神社の物語は、出雲の地だけで完結するものではありません。登場人物たちの故郷や本拠地を訪れることで、その神話世界はさらに深く、豊かに広がります。
【八上姫の故郷】賣沼神社(めぬまじんじゃ) – 鳥取県鳥取市
八上姫が生まれ育ち、そして傷心の末に帰り着いた場所が、因幡国八上郡、現在の鳥取市河原町です。この地に鎮座する賣沼神社は、八上姫を主祭神として祀る、まさに彼女の故郷の神社です 。『延喜式神名帳』にも「売沼神社」として記載のある古社で、境内には八上姫と大国主神の恋物語が刻まれた石碑が並ぶ「八上姫公園」も隣接しています 。出雲で彼女の苦難に思いを馳せた後、その故郷を訪れれば、物語への感慨もひとしおでしょう。

- 所在地: 鳥取県鳥取市河原町曳田169
- Googleマップ: 賣沼神社
- アクセス:
- 車: 鳥取自動車道「河原IC」から約5分 。
- 公共交通機関: JR因美線「河原駅」からタクシーで約10分。または徒歩約45分 。
【物語の始まりの地】白兎神社(はくとじんじゃ) – 鳥取県鳥取市
大国主神と八上姫の縁を取り持った「因幡の白兎」を祀るのが、鳥取市の白兎海岸に鎮座する白兎神社です 。神話の通り、皮膚病ややけどに霊験あらたかとされるほか、二人の縁を結んだことから、日本最古の恋物語の地として「恋人の聖地」にも認定されています 。境内には、白兎が体を洗ったとされる「御身洗(みたらし)池」があり、今も水位が変わらない不思議な池として知られています 。

- 所在地: 鳥取県鳥取市白兎603
- Googleマップ: 白兎神社
- アクセス:
- 車: 山陰自動車道「瑞穂宝木IC」から約10分。道の駅「神話の里 白うさぎ」の駐車場を利用できます 。
- 公共交通機関: JR「鳥取駅」から日ノ丸バス(鹿野行き)で約40分、「白兎神社前」下車すぐ 。
【須世理姫の本拠地】出雲大社(いずもおおやしろ) – 島根県出雲市
八上姫が目指し、そしてその門前で引き返すことを決意した場所こそ、大国主神と正妻・須世理姫が鎮座する出雲大社です。境内には、須世理姫を祀る摂社「御向社(みむかいのやしろ)」があり、本殿の西側に位置しています 。八上姫が畏れた女神の神気を感じながら参拝するのも、神話の旅の醍醐味と言えるでしょう。

- 所在地: 島根県出雲市大社町杵築東195
- Googleマップ: 出雲大社
- アクセス:
- 車: 山陰自動車道「出雲IC」から約15分 。
- 公共交通機関: JR「出雲市駅」から一畑バスで約25分、「正門前」または「出雲大社連絡所」下車 。または、一畑電車「電鉄出雲市駅」から「出雲大社前駅」下車、徒歩約10分 。
【須世理姫生誕の地】那売佐神社(なめさじんじゃ) – 島根県出雲市
出雲市東神西町には、須世理姫の生誕伝説が残る那売佐神社が鎮座します 。『出雲国風土記』によれば、この地に住んでいた須世理姫のもとに大国主神が通った際、社の前にあった岩が大変滑らかだったことから「滑磐石(なめしいわ)なるかも」と感嘆し、それが「なめさ」の地名の由来になったとされます 。嫉妬深いと語られる彼女の、また違う一面に触れられるかもしれません。

- 所在地: 島根県出雲市東神西町720
- Googleマップ: 那売佐神社
- アクセス:
- 車: 山陰自動車道「出雲IC」から約3分 。
- 公共交通機関: JR山陰本線「出雲神西駅」から徒歩約20分 。
御井神社への参拝案内
神話の旅の目的地、御井神社へのアクセス情報です。

- 所在地: 〒699-0631 島根県出雲市斐川町直江2518
- Googleマップ: 御井神社
【車でのアクセス】
- 山陰自動車道「斐川IC」から約5分です 。
- 出雲縁結び空港からはタクシーで約20分 。
- 駐車場は30台分あります 。
- ご注意: カーナビで住所検索をすると、神社の裏手に案内されることがあるため、ご注意ください 。
【公共交通機関でのアクセス】
- JR山陰本線「直江駅」で下車します 。
- 直江駅からタクシーで約5分です 。
参考文献:神話の世界をさらに深く知るために
この記事を読んで『古事記』や『出雲国風土記』に興味を持たれた方のために、読みやすく、かつ内容の深いおすすめの現代語訳をご紹介します。
- 『現代語訳 古事記』福永武彦 訳(河出文庫) 「もっとも読みやすい古事記」として長年支持されている決定版 。流麗な文章で、神話の物語を生き生きと描き出しています。初めて古事記に触れる方に最適の一冊です。
- 『出雲国風土記 全訳注』荻原千鶴 訳注(講談社学術文庫) 現存する風土記の中で唯一の完本である『出雲国風土記』を、詳細な注釈と共に現代語訳。原文も併記されており、古代出雲の地理や文化、神話を深く研究したい方におすすめです 。
生命の物語は、今もここに
出雲の地に静かに佇む御井神社。その背景には、愛、嫉妬、苦難、そして誕生の喜びという、時代を超えて人の心を揺さぶる壮大なドラマがありました。
八上姫が掘った三つの井戸は、1300年以上経った今も枯れることなく、清らかな水を湛え続けています。それはまるで、困難な状況にあっても決して尽きることのなかった母の愛と、力強く生まれ出た新しい生命の象徴のようです。
この地を訪れることは、単なる観光ではありません。それは、日本の神話の原点に触れ、生命の尊さと母の偉大さに思いを馳せる、魂の旅となるでしょう。安産を願う人も、歴史を愛する人も、ただ美しい物語に心を寄せたい人も。ぜひ一度、この聖なる水の湧く地を訪れてみてください。八上姫と木俣神の母子が、あなたを優しく迎えてくれるはずです。

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