【御穂神社】三保松原の聖なる社。出雲の神と羽衣伝説

静岡県
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静岡県静岡市清水区、三保。 世界文化遺産「富士山」の構成資産として登録された「三保松原」は、歌川広重の浮世絵にも描かれた絶景として世界的に知られています。

しかし、多くの観光客はこの松原がある神社の「境内の一部」であることを知らずに通り過ぎてしまいます。

その神社の名は、駿河国三之宮 御穂神社(みほじんじゃ

平安時代の『延喜式神名帳』に記載された古社であり、徳川将軍家が威信をかけて庇護した聖地。そして何より、出雲の国譲り神話が東国の果てに投影された、神学的に極めて興味深い場所です。

今回は、単なる観光ガイドでは語られない、御穂神社の歴史的・民俗学的深淵へご案内します。


海と陸の境界「三之宮」

『延喜式』に見る格式

御穂神社の歴史は古く、創建年代は不詳ながら、延長5年(927年)の『延喜式神名帳』に「駿河国 庵原郡 御穂神社」として記載されています。これは当時すでに朝廷から幣帛(捧げ物)を受ける官社として確立していたことを意味します。

駿河国(現在の静岡県中部)においては、富士山本宮浅間大社(一之宮)豊積神社(二之宮)に次ぐ「三之宮」の地位にあり、地元では親しみを込めて「三保大明神」と呼ばれてきました。

境界領域としての三保半島

地図を見ると、三保半島が駿河湾に突き出す「砂嘴(さし)」であることがわかります。 古代、こうした半島状の地形は、海という「異界(常世の国)」と、陸という「現実世界」が交錯する境界領域として認識されました。御穂神社は、海から寄り来る神(マレビト)を迎えるための、最前線の祭祀場として機能していたのです。


なぜ東国に「出雲の神」がいるのか?

御穂神社の祭神構成は、この地が古代においてどのような政治的・文化的影響下にあったかを示唆しています。

主祭神:大己貴命(大国主命)と三穂津姫命

ここには、出雲神話の主役である大己貴命(オオナムチ=大国主命)と、その后神である三穂津姫命(ミホツヒメ)が祀られています。

  • 大己貴命:国造りの神。
  • 三穂津姫命:高皇産霊尊(タカミムスビ)の娘。

『日本書紀』によれば、大国主命が国譲りを行った際、高天原側から「国譲りの報償」として娶らされたのが三穂津姫命です。つまり、この二柱は「天津神(天界)」と「国津神(地上)」の和解と融合を象徴する夫婦神なのです。

「国譲り」の再演

社伝には、両神が「羽車(はぐるま)」に乗って三保に降臨したとあります。 これは、出雲を平定した大国主命が、さらに東方へ巡行してこの地を「新たな国」として開発したという神話的記憶の投影と考えられます。三保(ミホ)という地名が、三穂津姫命の神名(瑞穂=美しい稲穂)に由来することからも、ここが海洋信仰と農耕信仰が習合した重要な拠点であったことがわかります。


「仮宮」という名の芸術

御穂神社の社殿には、徳川家との深い因縁が隠されています。

徳川幕府による壮大な伽藍とその焼失

江戸時代、御穂神社は徳川幕府の直轄領的な扱いを受け、慶長年間には壮大な社殿群が寄進されました。家康公にとって、駿府(静岡)の鬼門・裏鬼門を守る重要社寺の一つだったからです。

しかし、寛文8年(1668年)の落雷により、その絢爛豪華な社殿は灰燼に帰しました。

350年残る「仮宮」の奇跡

現在の本殿は、火災直後に「仮宮(かりみや)」として急造されたものです。 通常、「仮」の建物は数年で建て替えられるものですが、この社殿は350年以上経った現在もその姿を留めています。

しかし、ただの仮普請ではありません。 「三間社入母屋造」の優美な屋根、正面の向拝(こうはい)、そして細部に施された職人技の彫刻(獅子や牡丹)。これらは当時の徳川幕府がいかに豊富な資金と最高レベルの技術を、たとえ「仮」であっても惜しみなく投入したかを物語っています。現在、この本殿は静岡市の有形文化財に指定されています。


神の道と羽衣伝説

御穂神社を語る上で欠かせないのが、本殿から海岸へと伸びる参道空間です。

神の道

鳥居から「羽衣の松」まで続く約500メートルの松並木。 これは、海から来臨した神が、依代(よりしろ)である松を中継点として本殿へ入るための道です。樹齢200〜400年の老松が並ぶこの道は、歩くだけで神聖な気配を感じさせます。近年は松の根を保護するための木製ボードウォークが整備され、厳かな散策路となっています。

羽衣の松と羽車神社

海岸に立つ「羽衣の松」は、現在は三代目。天女が羽衣をかけたとされる伝説の松であると同時に、神を迎える御神木です。 その傍らに鎮座する「羽車神社(はぐるまじんじゃ)」は、神々が最初に降り立った場所(離宮)とされ、ここから「神の道」を通って本殿へ遷座するという祭祀構造が可視化されています。

秘宝「羽衣の裂(きれ)」

御穂神社には、羽衣伝説の証拠品とされる「羽衣の裂」が所蔵されています。常時公開はされていませんが、伝説を「物語」で終わらせず、「モノ」として所有し続けることに、神社の正統性を主張する意図が見て取れます。


底抜け柄杓と筒粥神事

華やかな世界遺産の陰で、御穂神社には極めて土着的な信仰が息づいています。

子安神社の「底抜け柄杓」

境内社の「子安神社(祭神:須佐之男命・稲田姫命)」には、底の抜けた柄杓が奉納されています。 水が抜けるように、お産も軽く という類感呪術(模倣呪術)に基づく風習です。妊婦やその家族が、あえて柄杓の底を打ち抜いて奉納する姿は、現代医学が発達した今も変わらぬ、人々の切実な祈りの形です。

筒粥神事(無形民俗文化財)

毎年2月中旬に行われる「筒粥神事(つつがゆしんじ)」は、海からの神迎えと農耕占いがセットになった古い儀礼です。 神職が海岸で神を迎え、大釜で炊いた小豆粥の中に竹筒を入れ、その入り具合でその年の豊凶を占います。これは、御穂神社が海洋信仰(神迎え)と農耕信仰(五穀豊穣)の結節点であることを象徴する神事です。


参拝ガイド

御穂神社は、単なる「三保松原の近くにある神社」ではありません。 そこは、出雲神話と東国が出会い、海と陸が交わり、徳川の威光と庶民の信仰が重層的に積み重なった、稀有な歴史空間です。

三保松原を訪れる際は、ぜひ「羽車神社(海)」から「神の道」を通り、「御穂神社本殿」へと歩いてみてください。古人が意識した「神の視点」を追体験できるはずです。

参拝データ

  • 名称:御穂神社(みほじんじゃ)
  • 住所:静岡県静岡市清水区三保1073
  • グーグルマップの位置情報
  • 授与所:9:00~16:00(御朱印、お守り等)
  • アクセス
    • JR清水駅より静鉄バス三保山の手線「三保松原入口」下車、徒歩約10分。
    • 車の場合、近隣に「羽衣公園駐車場(無料)」あり。

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