【葛井神社】諏訪神話の核心へ 葛井神社の「片目の魚」から辿る、一つ目神と英雄・甲賀三郎の謎

長野県

長野県茅野市に鎮座する葛井神社(くずいじんじゃ)。この神社の神池にひっそりと伝わる「片目の魚」の伝説。それは単なる地方の奇譚ではありません。諏訪信仰の最も深遠な謎、すなわち諏訪大明神の正体へと繋がる、重要な伝説なのかもしれません。さあ、この小さな池から、古代の「一つ目の神」、そして異界を旅した英雄「甲賀三郎」の物語へと、時空を超えた謎解きの旅に出ましょう。

第一の謎 なぜ池の魚は「片目」なのか?

葛井神社の信仰の源泉は、社殿の裏手にある神池「葛井の池」です 。この池には古くから奇妙な伝説が伝わっています。池の主は「片目の魚」であり、これを捕らえれば祟りがある、というのです 。  

この「片目」というモチーフに、民俗学の巨匠・柳田国男は鋭い考察を加えています。彼は、神に捧げる魚を俗なるものと区別するため、あえて片方の目を取って神池に放ったのではないか、と考えました。つまり「片目」とは、神聖な存在であることの「印」だというのです 。さらに柳田は、古代において神に仕える神官などが、俗世と自身を区別するために身体の一部を損なう風習があった可能性も指摘しており、「片目」や「片足」の神々の伝説はその名残ではないかと論じています 。  

この説は非常に示唆に富んでいます。もし、池の魚が片目なのが、その池の主、ひいては信仰の対象である神自身が「一つ目」であることに由来するとしたらどうでしょうか?

時空を超える神事と、遠州へ繋がる池

「片目の魚」伝説と並び、この池の神秘性を物語るのが、毎年大晦日に行われる「御手幣送り(みてぐらおくり)」という神事です 。これは諏訪大社上社の一年を締めくくる重要な儀式で、一年間祭祀で使われたすべての御幣や榊などを、この葛井の池に沈めるのです 。  

信濃の山中にあるこの池に沈められたはずの幣帛が、翌朝の元旦には遠く離れた遠江国(現在の静岡県西部)の「さなぎの池」に浮かび上がるというのです 。

この壮大な伝説は、決して後世の創作ではありません。鎌倉時代の嘉禎4年(1238年)の記録である『嘉禎神事事書』に、すでにこの伝承が記されており、中世の人々が固く信じた奇跡であったことがわかります 。

第二の謎 「一つ目の神」の正体と諏訪の鉄

日本神話において「一つ目」の神は、決して珍しい存在ではありません。その代表格が、製鉄・鍛冶の神である天目一箇神(あめのまひとつのかみ)です 。  

鍛冶師は、炉の燃え盛る炎の色で鉄の温度を判断する際、片目をつぶって見ます 。また、飛び散る火の粉で片目を失明する職業病も多かったといいます 。このため、「一つ目」は古来より鍛冶職人の象徴とされてきました。ギリシャ神話に登場する一つ目の巨人キュクロプスもまた、優れた鍛冶神であったことは興味深い偶然の一致です 。  

そして、この「一つ目の鍛冶神」と諏訪の地は、決して無関係ではありません。諏訪湖周辺は良質な黒曜石の産地として縄文時代から栄え、古代には湖沼から採取できる湖沼鉄を用いた製鉄が行われていた可能性が指摘されています 。特殊な技術を持つ漂泊の民であった鍛冶集団が、この地で山の神として「一つ目の神」を祀っていたとしても、何ら不思議はないのです 。

片目の魚」の伝説は、諏訪の地に根付いていた古代の「一つ目の鍛冶神」への信仰の記憶を、今に伝えているのかもしれません。そしてこの「異形なる神」という観念は、諏訪大明神のもう一つの姿、英雄「甲賀三郎」の物語へと直結していきます。

第三の謎 英雄「甲賀三郎」はなぜ蛇になったのか?

諏訪大社の祭神・諏訪大明神の本地(本来の姿)を語るものとして、中世に成立した『神道集』に収められた「諏訪縁起事」甲賀三郎(こうがさぶろう)伝説があります 。この物語こそ、諏訪神話の核心に触れる壮大な異界譚なのです。  

物語はこうです。近江国(現在の滋賀県)の領主の末子・甲賀三郎は、才覚にも優れ、美しい春日姫を妻に迎えます 。しかし、その幸せを妬んだ兄たちの奸計により、信濃国・蓼科山にある人穴(洞窟)の底へと突き落とされてしまうのです 。

「同じ腹に生まれた兄弟の兄である自分は当然上にあるべきだ。なのに弟三郎に先を越され、彼の命令に従わねばならぬとはどうも心穏かでない。今この機会にこの繩を切り落とし、三郎を穴の底で責め殺した上、春日姫を妻にして世の中を治めよう」 (『神道集』より意訳)  

人穴の底は、地上とは異なる理で動く「地底国」でした。三郎はそこで幾多の国を遍歴し、ついには異郷の姫・維摩姫と結ばれ、13年以上の歳月を過ごします 。しかし、春日姫への想いを断ちがたく、ついに地上への帰還を決意します。  

ですが、苦難の末に浅間山の麓から地上へ生還した彼の姿は、もはや人間のものではありませんでした。その身は、巨大な蛇(龍)へと変容していたのです 。

父の為に造った笹岡の釈迦堂の中で念誦していると、子供たちが「大蛇がいる」と云って逃げた。三郎は我が身が蛇になった事を知り、仏壇の下に身を隠した。 (『神道集』より意訳)  

物語の結末で、三郎は最終的に諏訪の神(上社)となり、彼を待ち続けた春日姫もまた下社の神となった、と語られます 。

この物語の核心は、三郎が「異界(地底国)での遍歴」と「異形(蛇体)への変容」を経て神になった点にあります。これは、古代における神の観念を考える上で極めて重要です。常人ならざる力を持つ神は、しばしば常人ならざる姿(=異形)で表象されます。「一つ目の神」もその一つであり、甲賀三郎の「蛇体」もまた、神へと至るための通過儀礼、聖なる変身だったのです。

伝説の点が線になるとき

葛井神社の小さな池に伝わる「片目の魚」。それは、神聖なるものの「印」でした。その源流には、古代諏訪の地で信仰されたであろう、製鉄と結びつく「一つ目の神」の存在が見え隠れします。そして、その「異形の神」という観念は、諏訪大明神の本地とされる英雄・甲賀三郎が、人間から蛇へと姿を変え、神へと昇華する壮大な物語に見事に結実しています。

葛井神社を訪れることは、この幾重にも重なった神話の地層に触れることに他なりません。池を覗き込み、そこに片目の主の姿を想像するとき、私たちの思考は時空を超え、古代の鍛冶師たちの祈りや、地底を旅した英雄の孤独、そして神へと生まれ変わる瞬間の荘厳さにまで、思いを馳せることができるでしょう。

葛井神社への誘い(アクセスと基本情報)

神話のレイヤーを体感する旅へ、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

アクセス
  • 車でのアクセス:
    • 中央自動車道「諏訪IC」より約10分 。
    • 参拝者用の駐車場(約10台)があります 。
  • 公共交通機関でのアクセス:
    • JR中央本線「茅野駅」より徒歩約20分 。
    • 茅野駅よりアルピコ交通バス「岡谷駅行き」に乗車し、「葛井神社入口」バス停で下車、徒歩約3分 。

さらに深く諏訪信仰を知るための参考文献

今回の探訪で諏訪の魅力に取り憑かれた方へ、さらなる知識の扉を開く書籍をいくつかご紹介します。

  • 『諏訪の神さまが気になるの 古文書でひもとく諏訪信仰のはるかな旅』 (北沢房子 著 / 信濃毎日新聞社)
    • 古文書ビギナーの著者が、専門家に教えを請いながら諏訪信仰の謎に迫る、非常に読みやすい入門書です。今回のテーマである建御名方神や神官の歴史についても分かりやすく解説されています 。
    • 購入ページ:
  • 『一つ目の諏訪大明神 一目一足の鍛冶神と諏訪氏の謎』 (皆神山 すさ 著 / 彩流社)
    • 本記事のテーマである「一つ目の神」と諏訪信仰の繋がりを、神仏習合の歴史や鍛冶神の伝説から深く掘り下げた一冊です。葛井池の片目の魚伝説から説き起こし、諏訪の神の多様な貌と、その根源にある一つ目神の謎に迫る労作です 。
    • 購入ページ:
  • 『諏訪市史』 (諏訪市史編纂委員会 編)
    • より深く、学術的に諏訪の歴史を学びたい方向けの決定版です。原始・古代から近現代まで、豊富な史料に基づいて解説されています。特に中世編では、武田氏の支配についても詳細に触れられています 。
    • 購入ページ:
  • 『御柱祭と諏訪大社』 (上田正昭 ほか著 / 筑摩書房)
    • 諏訪信仰を象徴する御柱祭を中心に、その歴史や民俗学的意味を多角的に解説した一冊です。葛井神社もまた、地域独自の小宮祭で御柱を建てており、諏訪全体の信仰圏を理解する上で参考になります。

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