葛城山の麓に、静寂の中にただならぬ気配を漂わせる古社が鎮座しています。 葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)。
「鴨社三社」の一つとして「中鴨社」の異名を持つこの神社は、単なる神社ではありません。ここは、私たちが毎年正月に親しむ「お年玉」の習慣が生まれた場所であり、国家の祭祀制度の根幹に関わる重大な神話の舞台でもあります。
さらに現在、この静かな境内では、失われた宝剣を伝統製鉄「たたら」で復元するという、現代の歴史ロマンが進行しています。
「中鴨」という結節点 葛城の地勢と鴨氏の謎
奈良県御所市には、「鴨」の名を冠する重要な神社が三社存在します。
- 上鴨社:高鴨神社(死者を蘇らせるほどの霊力を持つカモの神の本拠地)
- 下鴨社:鴨都波神社(事代主神を祀る、葛城の平野部の守護神)
- 中鴨社:葛木御歳神社(五穀豊穣と時間を司る神)
なぜ「中鴨」なのか。地図を見ると、山岳信仰の色彩が濃い「高鴨」と、里の政治的中心であった「鴨都波」のちょうど中間に位置していることがわかります。 しかし、その意味は地理的な中間点にとどまりません。
扇状地の守護神
葛木御歳神社が鎮座するのは、金剛山から流れ出る水が平野へと広がる「扇状地」の要(かなめ)です。 古代において、山から平野へ水を引く治水技術は、そのまま権力(稲作の支配権)に直結しました。つまり、この場所を押さえることは、葛城地方全体の農業生産力を支配することと同義だったのです。
この地を治めた鴨氏は、神話の世界では「大国主神」の系譜に連なるとされ、出雲勢力との深い関わりも指摘されています。ヤマト王権成立の影で、独自の祭祀体系を持っていたこの氏族の聖地。それが、この神社の歴史的位相です。
「お年玉」の正体は神様の魂だった

「お年玉」といえば、正月に子供たちがもらうお小遣い。現代人にとっては楽しいイベントですが、その起源を遡ると、背筋が伸びるような厳粛な意味が見えてきます。
「トシ(年)」=「稲(イネ)」の神学
主祭神である御歳神(ミトシノカミ)の名の「トシ」とは何でしょうか。 現代語でこそ「年(時間)」を意味しますが、古語における「トシ」は、「穀物(特に稲)」そのものを指す言葉でした。「トシ」は「疾し(早い)」に通じ、一粒の種が数ヶ月で爆発的に成長し、豊かな実りをもたらす「稲の生命力」を表現しています。
つまり御歳神は、「一年の時間を司る神」であると同時に、「穀物の生命エネルギー」を神格化した存在なのです。
魂の分配システム
古代の日本人は、正月(年頭)になると、山から「歳神(トシガミ)」が下りてくると信じていました。 神様を迎える依代(よりしろ)として供えられたのが、心臓の形を模した「鏡餅」です。
- 歳神様が鏡餅に宿る。
- 鏡餅に、神様の霊力(新しい一年の生命力)が充填される。
- 祭祀の後、家長がその餅を砕き、家族や使用人に分け与える。
- それを食べることで、体内に神の魂(タマ)を取り込む。
これが「御歳魂(オトシダマ)」。 かつてお年玉がお金ではなく「お餅」だったのは、このためです。私たちが何気なく行っているお年玉のやり取りは、実は「神様の生命力をシェアする」という、数千年前から続く壮大な儀式だったのです。
『古語拾遺』が伝える「イナゴ退治」と祟り神の恐怖

葛木御歳神社を語る上で避けて通れないのが、平安時代の歴史書『古語拾遺(807年)』に記された、ある衝撃的な神話です。 それは、慈悲深い神の姿ではなく、人間を恐怖に陥れる「祟り神」としての姿でした。
禁忌 牛を食らうなかれ
神代の昔、ある大地主神(オオトコヌシノカミ)が田んぼを作った際、農作業の労働力として神聖視されていた「牛」の肉を、あろうことか農民たちに食べさせてしまいました。
これを見た御歳神は激怒します。 「我が田に穢れをもたらすとは何事か」
神の怒りは、「イナゴ(蝗)」という形で顕現しました。 御歳神が放ったイナゴの大群は、またたく間に稲を食い尽くし、青々としていた田んぼは、まるで枯れた篠竹の林のように変わり果ててしまいました。
白い動物たちの献上
飢饉の恐怖に怯えた大地主神は、占いの結果、これが御歳神の祟りであることを知ります。 許しを請うために捧げられたのが、以下の三種の動物でした。
- 白猪(しろいのこ)
- 白馬(しろうま)
- 白鶏(しろかけ)
「白」は神聖な色であり、最高級の供物を意味します。 これを受け入れた御歳神は怒りを解き、「麻の葉で掃き、鳥扇であおげばイナゴは去るだろう」と教えました。その通りにするとイナゴは消え去り、再び豊作が訪れたといいます。
国家祭祀「祈年祭」のルーツ
この時に捧げられた「白馬・白猪・白鶏」は、その後、朝廷の神祇官が行う最重要祭祀「祈年祭(としごいのまつり)」の正式な供物(幣帛)として制度化されました。
つまり、葛木御歳神社のこの伝承が、日本の国家的な豊作祈願祭の「マニュアル」となったのです。 この神社が、平安時代の『延喜式神名帳』で「名神大社(みょうじんたいしゃ)」という最高ランクに格付けされている理由は、まさにここにあるのです。
現代の「たたら」プロジェクト 失われた宝剣「高照丸」の復活
葛木御歳神社は、過去の遺産を守るだけの場所ではありません。今、ここで起きているのは、「令和の神話作り」とも呼べる熱いプロジェクトです。
空の桐箱からの挑戦
大正時代、この神社の本殿から一振りの太刀が盗まれました。 長らく空のままだった桐箱。しかし、宮司様の「いつか必ず取り戻す」という想いと、それに共鳴した多くの人々の支援により、宝剣復元プロジェクトが始動しました。
新しく作られる宝剣の名は、配祀神である高照姫命(タカテルヒメ)にちなみ、「高照丸(たかてるまる)」と名付けられました。
境内で鉄を沸かす
このプロジェクトの凄みは、その徹底した「真正性」へのこだわりにあります。 通常、刀剣制作には既存の「玉鋼(たまはがね)」を使いますが、このプロジェクトでは、神社の境内から採取された砂鉄を原料の一部に使用しています。土地の霊力を、物理的に刀身に練り込むのです。
そして令和6年(2024年)11月。 神社の境内に、伝統的な製鉄炉「たたら」が築かれました。 夜を徹して炎を燃やし続け、神職と職人たちが祈りを込めて鉄を生み出す。神社の境内でたたら操業が行われるなど、現代では極めて稀なことです。
古代、葛城や鴨の氏族は、金属精錬技術を持っていたとも言われています。このプロジェクトは、単なる刀の制作を超えて、かつてこの地にあった「鉄と神の記憶」を呼び覚ます儀式だったのかもしれません。
現在は刀身が打ち上がり、鞘(さや)や拵(こしらえ)の制作が進められています。令和8年(2026年)の奉納を目指すこの物語に、今からでも注目(あるいは奉賛という形で参加)してみてはいかがでしょうか。
アクセス情報

基本情報
- 名称:葛木御歳神社(かつらぎみとしじんじゃ)
- 住所:奈良県御所市東持田269番地
- グーグルマップの位置情報

コメント