岐阜県岐阜市の北部に、古代史ファンならずとも心惹かれる不思議なミステリーが眠っています。
平安時代の神社リスト『延喜式神名帳』に記された名社「方県津神社(かたがたつじんじゃ)」。 かつて朝廷から幣帛(捧げ物)を受けるほど格式高かったこの神社ですが、現在、その「正統な後継者」を名乗る(あるいは論じられる)神社が二つ存在することをご存知でしょうか?
一つは、巨大な古墳の上に鎮座する山の社。 もう一つは、伝説の将軍が最期を迎えたとされる川辺の社。
「山」と「川」。対照的な場所にある二つの神社は、一体どちらが本物なのか? 今回は、古代美濃の風景を想像しながら、二つの「方県津神社」を巡る歴史探索の旅へご案内します。
謎の式内社「方県津神社」とは?
まず、「方県津(かたがたつ)」という不思議な名前を解読してみましょう。
- 「方県(カタガタ)」:古代の美濃国にあった地名(郡名・県名)。
- 「津(ツ)」:港、船着き場。
つまり、文字通り解釈すれば「方県という地域にある港の神様」ということになります。 古代の岐阜は、長良川の水運を利用して東国と畿内を結ぶ物流の大動脈でした。この神社は、そんな水運と地域の政治を司る重要な聖地だったのです。
しかし長い歴史の中で、その正確な場所についての記憶は曖昧になり、現在は以下の二社が「論社(後継候補)」として有力視されています。
- 【八代】方県津神社(旧称:県神社)
- 【曽我屋】津神社
それぞれの現地を歩いてみると、古代人がどのように土地を利用していたのか、驚くべき事実が見えてきました。
古墳の上に建つ天空の聖地 八代「方県津神社」
岐阜駅から北へ約5キロ。金華山から続く山並みの麓、八代(やしろ)地区の少し高くなった丘の上に、一社目の「方県津神社」はあります。
衝撃の「古墳オン・ザ・神社」
参道の石段を登りきると、鬱蒼とした森の中に社殿が現れます。 ここで足元に注目してください。実はこの本殿、「枡塚(ますづか)古墳」という巨大な円墳の上に建てられているのです。
直径約40メートル、高さ4.5メートル。かつてこの地を治めた豪族(美濃県主の一族でしょうか?)の墓の上に、社殿が鎮座しています。これは「祖先の墓(死者の領域)」が、長い時間をかけて「神様を祀る社(神の領域)」へと変化していった、日本固有の信仰の原形を今に伝える貴重な姿です。
祀られているのは「王権の母」
ここで祀られている神様に注目してみましょう。 主祭神は、丹波之河上之摩須郎女命(たにわのかわかみのますのいらつめのみこと)。
非常に長い名前ですが、彼女は第11代垂仁天皇の皇后となる「日葉酢媛命(ひばすひめ)」の母にあたる人物です。つまり、天皇家の「母方の祖先」にあたる極めて高貴な女性です。
彼女の夫の一族(日子坐王の系譜)は、美濃に派遣されて治水や開拓を行った「開発のリーダー」でした。
境内には、子宝祈願の「子持石」信仰が残っています。古墳という「死」の場所で、偉大な母神に「生」を祈る。この聖地は、王権と繋がる**「血縁」と「繁栄」**を象徴する場所だったと言えるでしょう。
将軍伝説が残る川の聖地 曽我屋「津神社」
八代から西へ数キロ移動し、伊自良川(いじらがわ)のほとりへ。 田園風景が広がる曽我屋(そがや)地区に鎮座するのが、二社目の論社「津神社」です。
名は体を表す「津」の神
八代が「山」なら、こちらは完全に「水」の領域。 社名の通り、ここは古代の「津(港)」でした。かつて長良川本流や根尾川が合流していたとも推測されるこの地は、物資が集まる物流センターだったのです。
こちらも実は、盛り土(円墳の可能性あり)の上に社殿が建っていますが、特筆すべきはその「祭神」と「伝説」です。
四道将軍・武渟川別命の終焉の地
ここで祀られているのは、第10代崇神天皇の時代に「東海」へ派遣された四道将軍の一人・武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)。 社伝によれば、東国平定の英雄である彼は、遠征の途上(あるいは帰路)、この曽我屋の地で亡くなり、神として祀られたと伝えられています。
『日本書紀』には書かれていない、将軍の死。 古代の軍事遠征において、この「津」が最前線の兵站基地であり、そこで激しいドラマがあったことを想像させます。また、彼と共に県須美命(あがたすみのみこと)という地主神も祀られており、外来の「征服者(将軍)」と、在地の「守護神」が融合している点も興味深いです。
対立ではなく「役割分担」だった?
「山の県神社(八代)」と「川の津神社(曽我屋)」。 どちらが本物の「方県津神社」なのでしょうか?
最新の調査や研究を紐解くと、一つの面白い仮説が浮かび上がってきます。それは、「どちらも本物であり、セットだったのではないか」という説です。
- 八代(アガタ):水害を避けた高台にある、政治・祭祀の中心(支配者の居館や墓)。
- 曽我屋(ツ):河川交通の結節点にある、経済・軍事の拠点(港や市場)。
古代の「方県(カタガタ)」という地域は、この二つの拠点が両輪となって機能していたのではないでしょうか。 そう考えると、「方県津神社」という名は、この地域全体の守護神を指す総称だったのかもしれませんし、時代によって中心地が移動したのかもしれません。
「政治の山」と「経済の川」。 二つの神社を巡ることで、古代の都市計画が立体的に見えてくるようでワクワクしませんか?
探訪ガイド 古代美濃へ行ってみよう
歴史の深層に触れるなら、ぜひこの二社をセットで巡拝することをおすすめします。
アクセス情報
1. 方県津神社(八代)
- 住所: 岐阜県岐阜市八代3-13-1
- グーグルマップの位置情報
- 交通: JR岐阜駅から岐阜バス(三田洞線など)で「長良八代公園前」下車、徒歩すぐ。
- 注意: 駐車場はありますが、道が狭い箇所があるため注意が必要です。
2. 津神社(曽我屋)
- 住所: 岐阜県岐阜市曽我屋字屋敷1631
- グーグルマップの位置情報
- 交通: 岐阜市街から車で伊自良川右岸へ。公共交通機関は本数が少ないため、車でのアクセスが推奨されます。


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