群馬県沼田市の深い山中に、訪れる者を圧倒する「深山霊域」が存在します。その名は、迦葉山龍華院弥勒寺(かしょうざん りゅうげいん みろくじ)。
一般に「日本三大天狗」として知られ、境内の中峯堂には、顔丈6.5メートル、鼻高2.8メートルにも及ぶ「日本一の大天狗面」 をはじめ、無数の天狗面が奉納されています。その光景は、まさに圧巻の一言です。
しかし、この寺院の奥深さは、その異様なまでの「天狗信仰」の奥に隠されています。なぜ、この寺は「天狗の寺」となったのか。そして、なぜその正式名称に「弥勒(みろく)」と「迦葉(かしょう)」という、仏教の根幹に関わる重要な名が刻まれているのでしょうか。
天狗信仰の核心 「中峯尊者」と「倍返し」の習俗
迦葉山が「天狗の寺」と呼ばれる所以は、室町時代に遡る「中峯尊者(ちゅうぶそんじゃ)」の伝説にあります。
中峯尊者の神格化
寺伝によれば、中峯尊者は、この寺を曹洞宗として中興した天巽慶順(てんそんけいじゅん)禅師に随伴してきた高僧でした。彼は神童のようであったとされ、その超人的な「神通力」をもって伽藍の造営や険しい奥の院の開拓に尽力し、寺の基盤を確立します。
そして、寺が安泰すると、彼は自らの正体を明かします。
「実は私は、釈迦の十大弟子・迦葉尊者(摩訶迦葉)の化身である。仏法を広める役目は終わった。今後は永久にこの山に住み、末法の世の人々の苦しみを救い、楽しみを与える(抜苦与楽)」。
この言葉を残し、中峯尊者は一体の天狗面を残して昇天したと伝えられています。
これにより、中峯尊者は「迦葉尊者の化身=天狗=中峯大菩薩」として神格化され、本寺院の鎮守として、強力な現世利益信仰の中心となったのです。
圧巻の二大天狗面と「倍返し」の習俗

現在、中峯尊者を祀る中峯堂には、二つの巨大な天狗面が安置されています。
- 日本一の大天狗面: 顔丈6.5m、鼻高2.8m。「戦勝祈願」のために作られました。
- 交通安全身代わり大天狗: 顔丈4.0m、鼻高2.7m。現代的な「交通安全」の願いを背負っています。
これら大天狗の周囲、そして堂内の壁一面を埋め尽くすのが、信者から奉納された無数の天狗面です。これは、迦葉山独自の「天狗面の貸借」という習俗によるものです。
参拝者はまず、寺から「御祈祷天狗」と呼ばれる小さな天狗面を一体借り受け、自宅に持ち帰り祀ります。そして、その祈願が成就(願成就)すると、次の参拝の機会に、①借りていた面と、②新しく購入した面の二体を寺に奉納するのです。
まさしく「倍返し」とも言えるこの習俗が、中峯大菩薩の「抜苦与楽」の霊験が今なお篤く信仰されている証左として、中峯堂の異様なまでの光景を生み出し続けています。
寺名に秘められた壮大な神話「弥勒下生」の待機所

多くの参拝者は、この強烈な天狗信仰に圧倒され、それで満足して山を降ります。しかし、本寺院の本当の凄みは、その正式名称「迦葉山 龍華院 弥勒寺」を解読したときに初めて明らかになります。
この名称は、仏教の壮大な「未来の救済」の物語(=弥勒下生神話)そのものを、この沼田の地に具現化する神学的装置なのです。
- 弥勒寺(みろくじ)これは「弥勒菩薩」を本尊格とすることを示します。弥勒菩薩とは、釈迦の入滅後、56億7000万年後にこの世に出現し、釈迦に代わって人々を救済する「未来仏」です。
- 龍華院(りゅうげいん)弥勒菩薩は、未来において「龍華樹(りゅうげじゅ)」という木の下で悟りを開き、三度にわたる説法(龍華三会の説法)を行うとされています。龍華院とは、まさしくその龍華樹の庭、すなわち「弥勒菩薩の説法のステージ」を意味します。
- 迦葉山(かしょうざん)寺伝によれば、平安時代に円仁がこの地を訪れた際、インドに実在する「鶏足山(けいそくせん)」に地形が似ていることから命名したとされます。この鶏足山こそ、釈迦の十大弟子筆頭である「摩訶迦葉(まかかしょう、迦葉尊者)」が、弥勒菩薩が出現する56億7000万年後まで、釈迦の衣(法衣)を護持し、入定(禅定に入ったまま生き続けること)していると信じられている聖地なのです。
先ほどの中峯尊者(天狗)の伝説が、ここで神話と結びつきます。中峯尊者は、自らを「迦葉尊者の化身である」と名乗りました。
つまり、これら3つの名を統合すると、この寺院の空間には以下の壮大な時空間が構築されていることがわかります。
「【迦葉山】(=鶏足山)で、(摩訶【迦葉】の化身である中峯尊者=天狗が)守護しながら、【龍華院】(=龍華樹の下)において、【弥勒寺】(=未来仏・弥勒菩薩)の出現を待っている」
この寺院は、仏教の終末論的救済が実現する「未来の現場」そのものとして設定されているのです。
そして、日本古来の山岳信仰の象徴である「天狗」は、単なる土着の神ではなく、「弥勒の出現を待つ迦葉尊者の化身」として、仏教の正統な救済史の守護者(護法善神)として、最も重要な役割を与えられています。
この精緻な神学構造こそが、迦葉山弥勒寺が単なる「天狗の寺」に留まらない、比類なき聖地である理由です。
天台宗から曹洞宗、そして真田家へ
この特異な信仰形態は、1200年にわたる歴史の中で、二つの異なる宗派が劇的に交錯したことによって生まれました。
平安時代 天台宗「護国寺」としての開創
迦葉山の歴史は、嘉祥元年(848年)に遡ります。桓武天皇の皇子・葛原親王(かずらわらしんのう)の発願により、天台宗の円仁(えんにん、慈覚大師)が開山したと伝えられています。
当初の寺号は「護国寺」。円仁が「観音窟」に籠もったという伝承が残るように、現在の本堂の本尊が聖観世音菩薩であること は、この天台宗時代からの信仰が今なお息づいている証拠と言えるでしょう。
室町時代 曹洞宗「弥勒寺」への大転換
開創から約600年後の康正2年(1456年)、寺は歴史的な転換点を迎えます。
曹洞宗の僧・天巽慶順禅師がこの地を訪れたのです。
伝承では、当時の天台宗「護国寺」の住持であった慈雲律師が、天巽禅師の座禅の徳風に深く感銘を受け、600年続いた天台宗の法灯を自ら譲り、入定したとされています。
これにより、寺は曹洞宗に改宗し、「迦葉山龍華院弥勒寺」として再出発しました。
曹洞宗の布教戦略としての「天狗」

しかし、この劇的な改宗の裏には、巧みな宗教戦略があったと考えられます。
中興開山の天巽禅師は、実は、強力な天狗信仰「道了尊(どうりょうそん)」で知られる最乗寺(神奈川県)の15世でもありました。
彼に随伴し、神通力で寺の基盤を確立した「中峯尊者(天狗)」。
これは、天巽禅師が、既存の天台宗寺院(と、その信徒)を改宗・吸収するにあたり、単に高尚な禅の教えを説くだけでなく、最乗寺で成功した「天狗の霊験」という現世利益の力を意図的に持ち込み、民衆の心を掴んだ、曹洞宗(總持寺系)の巧みな布教活動であった可能性が極めて高いのです。
そして、土着の山岳信仰の象徴(天狗)を、既存の寺名「迦葉山」の権威(迦葉尊者)と結びつけ、さらに「弥勒信仰」という壮大な物語の中に組み込むことで、天台宗から曹洞宗への移行を神学的に正当化した。迦葉山は、まさに日本の宗教的シンクレティズム(習合)のダイナミズムを体現する場所なのです。
真田家と徳川家の祈願所
江戸時代、迦葉山は徳川家康の祈願所となり、御朱印百石・十万石の格式を許されるほどの高い地位にありました。当然、沼田藩主・真田家の祈願所としても篤く崇敬されました。
しかし、その真田家との関わりは、栄光だけではありません。
境内の開山堂の奥まった場所には、沼田真田家最後の藩主・真田信利の墓と伝わる宝篋印塔が、ひっそりと祀られています。
信利は、両国橋の普請材の遅延や、検地を偽り石高を吊り上げるなどの数々の悪政・奇行を幕府に咎められ、1681年に改易(領地没収)されました。この信利の失態により、名城・沼田城は翌年に五層の天守閣ごと徹底的に破壊され、沼田真田氏は事実上滅亡します。
迦葉山は、戦国の雄・真田家の祈願所であったと同時に、その終焉を見届けた悲劇の舞台でもあるのです。
アクセスと「聖域への結界」
これほどまでに深く、重層的な物語を秘めた迦葉山弥勒寺。訪問を計画する方のために、実用的な情報と、知っておくべき「現代の結界」についてお伝えします。
迦葉山龍華院弥勒寺

- 所在地: 〒378-0398 群馬県沼田市上発知町445番地
- 拝観時間:
- 夏期(4月〜11月): 6:00~17:00
- 冬期(12月〜3月): 6:30~16:30
- 駐車場: 60台
- Googleマップ
アクセス方法 自動車(推奨)
最も現実的で推奨されるアクセス方法です。
- 関越自動車道「沼田IC」または「月夜野IC」から、迦葉山方面へ約25分〜30分。
- 冬期(12月〜3月)は積雪路・凍結路となります。訪問前に必ず寺院へ積雪状況を確認し、スタッドレスタイヤやチェーンなど万全の冬装備で向かってください。
アクセス方法 公共交通機関(聖域への試練)
公共交通機関でのアクセスは、意図的か偶然か、極めて困難な「現代の結界」が設けられています。
- 起点: JR上越新幹線「上毛高原駅」またはJR上越線「沼田駅」。
- バス: JR沼田駅から「迦葉山」行きのバスに乗車(約46分)。
- 最大の難関①(運行日): このバスは、土曜日・日曜日・祝日のみの運行です。平日に公共交通機関で到達することは事実上不可能です。
- 最大の難関②(バス停からの距離): 終点「迦葉山」バス停で下車した後、そこから弥勒寺の境内まで、さらに約3.7km、徒歩で約45分〜50分の山道を登らなければなりません。
自動車であれば一瞬で通り過ぎるこの3.7kmの道のり。しかし、あえて(あるいは、そうせざるを得ず)公共交通機関を選ぶ巡礼者は、図らずも「馬かくれスギ」の伝説と同様に、自らの足で聖域への参道を歩むことになります。
この「アクセスの不便さ」こそが、迦葉山が単なる観光地ではなく、今もなお「深山霊域」であり続けるための、物理的な結界として機能しているのです。
参考文献
迦葉山弥勒寺の歴史と神話は、沼田市の郷土史と密接に結びついています。本記事で興味を持たれた方は、沼田市が編纂した公式の市史『沼田市史』を参照することをお勧めします。
これらの専門的な資料は、一般的な書店やオンラインストアでの入手は困難ですが、沼田市内の以下の施設で直接購入することが可能です。
- 頒布場所:
- 沼田市歴史資料館(テラス沼田2階)
- 生方記念文庫(沼田市上之町199番地1)
- 関連巻(例):
- 『沼田市史 第4巻 通史編1 原始古代・中世』
- 『沼田市史 第5巻 通史編2 近世』
- 『沼田市史 第7巻 民俗編』
- 価格: 各5,000円
- 問合せ先: 沼田市 教育部 文化財保護課(歴史資料館)

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