高知県須崎市、この地に日本全国に散らばる「ある伝説」の、極めて特異な形が残されているのをご存知でしょうか。
その伝説とは、「八百比丘尼(やおびくに)」。
人魚の肉を食べ、800歳まで生き続けたという尼僧の物語です。
通常、人魚伝説といえば、岡山県の圓珠院や和歌山県の苅萱堂のように、「人魚のミイラ」そのものを御神体や寺宝として祀るケースが多く見られます。干からびた異形の姿に、人々は不老不死への畏怖と願いを託してきました。
しかし、ここ須崎市多ノ郷に鎮座する「賀茂神社」は違います。
そこに「ミイラ」はありません。代わりに信仰の中心に据えられているのは、巨大な「石塔」です。
なぜ、生々しい肉体ではなく、無機質な石が選ばれたのか?
そして、京都の下鴨・上賀茂に通じる由緒正しき神社が、なぜ「人魚」というケガレを孕んだ伝説を受け入れたのか?
今回は、賀茂神社の境内に佇む重要文化財「石造層塔」を起点に、海からやってきた異界の記憶と、石に込められた永遠の祈りを紐解いていきます。
賀茂神社の歴史と「神奈備」としての須崎
1100年の時層が積み重なる場所
高知県須崎市多ノ郷地区。須崎港という天然の良港から少し内陸に入ったこの地は、古くから海と山をつなぐ結節点でした。
ここに鎮座する賀茂神社の創建は、およそ1100年前の平安時代中期と伝えられています。
本来、賀茂神社といえば、京都の賀茂別雷命(カモワケイカヅチノミコト)などを祀る、水や雷、農耕の神様です。しかし、長い歴史の中で、この神社は単なる「農耕の守り神」以上の、複雑な信仰を持つようになりました。
「八百比丘尼の塔」 鎌倉時代の石造層塔
高知県保護有形文化財の実像

境内にしかし圧倒的な存在感で佇むのが、高知県の保護有形文化財に指定されている「石造層塔」です。
この塔は、考古学的な分析によると鎌倉時代(1185-1333)に造立されたものと推定されています。
ここで鋭い皆様なら、「おや?」と思うかもしれません。
八百比丘尼伝説が日本全国に広く流布し、庶民の間で定着したのは、一般的に室町時代から江戸時代にかけてと言われています。つまり、「伝説が広まるよりも数百年前に、この石塔は既にここに建っていた」ということになります。
時代錯誤が語る真実
これは伝説が嘘だということではありません。
元々この地には、地元の有力者が建てた立派な供養塔があった。しかし長い時を経て、建立者の名前は忘れ去られ、苔むした古塔だけが残った。
そこへ、海を通じて「800歳まで生きた尼僧」の物語が漂着したのです。
「あの立派な古い塔は誰が建てたのか?」「きっと、あの伝説の八百比丘尼様に違いない」
そうやって、「正体不明の古塔」と「漂泊の尼僧伝説」が習合したと考えられます。
そして重要なのは、人々が八百比丘尼の象徴として選んだのが、腐敗する肉体ではなく、「800年経っても朽ちない石」だったという点です。
なぜ「ミイラ」ではなく「石」なのか?
他の地域では「人魚のミイラ」を有難がるのに、なぜ須崎の賀茂神社は「石塔」なのでしょうか?
神社における「ケガレ」と「浄化」
最大の理由は、ここが「神社(神道)」であるという点に尽きます。
神道において、死や血液は「ケガレ(穢れ)」として厳しく忌避されます。
「人魚のミイラ」は、いくら霊験あらたかとはいえ、本質的には「死体」です。清浄を尊ぶ神社の境内に、死体をそのまま祀ることは、教義上非常に難しいのです。(ミイラを祀るのが主に寺院であるのはそのためです)。
しかし、不老不死という強烈なパワーを持つ八百比丘尼伝説は魅力的です。
そこで、須崎の人々は天才的な「変換」を行いました。
「人魚(ケガレ・禁忌)」を直接祀るのではなく、それを食べて生き延びた尼僧が残した「石塔(建築・浄化された物質)」を祀る。
これにより、神社の清浄さを保ったまま、不老不死の御利益だけを抽出することに成功したのです。この石塔は、いわば「ケガレを聖性に変換するフィルター」として機能していると言えるでしょう。
伝播のルート 黒潮が運んだ物語
若狭小浜と土佐須崎の対比
八百比丘尼伝説の総本山は、福井県の若狭小浜です。
小浜が伝説の「始まりと終わりの地(入定の地)」であるのに対し、ここ須崎は「旅の途中の地」です。
| 項目 | 若狭小浜(福井) | 土佐須崎(高知) |
| 物語の位置 | 起源と終焉 | 流浪と痕跡 |
| 信仰対象 | 入定した洞窟・木像 | 寄進した石塔 |
| 時間の感覚 | 循環(行って帰る) | 継続(立ち寄り、証を残す) |
須崎の伝承では、八百比丘尼はこの地の領主の娘と親交を結び、形見として石塔を残したとも、あるいは共に人魚の肉を食べたとも言われています。
彼女にとって須崎は、孤独な800年の旅路の中で、ふと心を許せる「第二の故郷」のような場所だったのかもしれません。
ジュゴンと「人魚」のリアリティ
また、生物学的な視点も無視できません。
人魚の正体については「ジュゴン」や「マナティ」の誤認説が有名ですが、これらは黒潮に乗ってやってきます。
日本海側の若狭よりも、太平洋に面した土佐の方が、これら海洋生物との遭遇確率は高かったはずです。
須崎の漁師たちが海で見た「奇妙な生物」の実体験と、北前船の船乗りたちが語る「若狭の尼僧伝説」。
この二つが、港町の酒場や宿場で混ざり合い、賀茂神社の石塔という依代(よりしろ)を得て、独自の物語へと結晶化した。そんな歴史の動きが想像できます。
現代に生きる伝説 パワースポットとしての賀茂神社
現在、賀茂神社は地元の人々に愛される氏神様であり、知る人ぞ知るパワースポットです。
特に「厄抜け石」は、厄年の方はもちろん、人生の節目に訪れる参拝者が後を絶ちません。
また、須崎市といえばニホンカワウソの「しんじょう君」が有名ですが、カワウソもまた水辺の妖怪伝説を持つ生き物。
人魚、カワウソ、そして八百比丘尼。
この地には、水界の異類と人間が交錯する不思議な土壌があるようです。
800年の時を超えて立ち続ける石塔の前に立つと、永遠の命とは「死なないこと」ではなく、「誰かの記憶の中に、石のように堅固に残り続けること」なのかもしれないと、ふと思わされます。
訪問ガイド・アクセス情報
歴史のロマンに浸りに、ぜひ須崎市の賀茂神社を訪れてみてください。静寂な境内で、風の音と共に伝説の声が聞こえてくるかもしれません。
賀茂神社

- 住所: 〒785-0041 高知県須崎市多ノ郷甲
- アクセス方法
【車でお越しの場合】
- 高知自動車道「須崎東IC」または「須崎西IC」より約10分。
- 駐車場:あり
【公共交通機関でお越しの場合】
- JR土讃線「多ノ郷駅」下車、徒歩約15〜20分。
- またはJR「須崎駅」よりタクシーで約10分。

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