愛媛県松山市、居相(いあい)。ここに、地元の人々から「お椿さん」と呼ばれ、絶大な崇敬を集める神社があります。その名は、伊豫豆比古命神社(いよずひこのみことじんじゃ)。
一見すると、立派な地域の鎮守様ですが、その実態は「日本の都道府県名の由来となった唯一の神社」であり、かつ「複利計算の概念を取り入れた高度な経済神事」を行う、極めて特異で強力なパワースポットです。
今回は、2300余年の歴史を持つこの古社について、その深淵なる歴史、謎めいた名称の由来、そして商売人がこぞって熱狂する「貸銭神事」の仕組みまで、徹底的に解説します。
愛媛県名の起源 「愛比売命」という絶対的な権威

まず、この神社の歴史的地位を語る上で欠かせないのが、御祭神の一柱である「愛比売命(えひめのみこと)」の存在です。
明治維新後、廃藩置県を経て現在の「愛媛県」が誕生した際、その県名は、古事記の「伊予国は愛比売といひ」という記述と、この神社に祀られている愛比売命から採用されました。
ここで注目すべきは、「御祭神の神名が、そのまま現代の都道府県名に冠されている事例は、全国で愛媛県以外に存在しない」という事実です。これは、伊豫豆比古命神社が古代から単なる信仰の場にとどまらず、この地域の統治とアイデンティティの「源流」として、公的に認められてきた証拠と言えます。
伊予を「拓き」そして「治めた」神々
愛比売命(愛媛)だけでなく、社名にもなっている伊豫豆比古命(いよずひこのみこと)をはじめとする他の三柱の神々も、古代伊予国の成立そのものを物語る非常に重要な存在です。
神々の名前を紐解くと、古代の「開拓」と「統治」のドラマが見えてきます。
伊豫豆比古命・伊豫豆比売命(いよずひこ・いよずひめ)
社名にもなっているこの男女の対神は、文字通り「伊予の男神(王)」「伊予の女神(女王)」を意味します。 彼らは舟でこの地に渡ってきたと伝えられ、原野を切り拓き、農業を広めた「開拓の祖神」です。現在の松山平野の繁栄の基礎を築いた、いわば伊予国の生みの親といえるでしょう。
伊豫主命(いよぬしのみこと)
開拓の神々と並んで祀られるのが、「伊予の主(あるじ)」の名を持つこの神様です。 伊豫豆比古命が開拓者だとすれば、伊豫主命は「統治者」。開拓された土地をまとめ上げ、国として機能させた支配者(あるいは大和朝廷と繋がる皇族)を象徴しています。
つまり、この神社に参拝することは、「伊予という国を開き、治め、そして名付けた(愛媛)」すべての神々に挨拶することと同義なのです。
「椿」か「海」か? 境内が語る古代の記憶
通称である「椿神社」の由来には、古代の風景を読み解く二つの説が存在します。
民間伝承の「自生説」
境内一帯に藪椿(ヤブツバキ)が自生していたことから、自然発生的に「椿の神社」と呼ばれるようになったという説。これは現在の豊かな鎮守の森(神奈備の森)の姿とも重なります。
学術的な「津脇(つわき)説」
より興味深いのがこの説です。往古、この辺りまで海が入り込んでおり、神社は「津(海)の脇」に鎮座していたため、「つわき」が転訛して「つばき」になったというもの。
この「津脇説」を裏付ける強力な証拠が境内にあります。
- 舟山(ふなやま): 御祭神が船を寄せたとされる上陸地点の丘。
- 潮鳴石(しおなるのいし): 耳を当てると潮騒が聞こえると伝わる石。
- 奏者社(そうじゃしゃ)の伝承: 船で到着した神様を、翁が纜(ともづな)を繋いで迎えたという神話。
現在の内陸にある姿からは想像もつきませんが、ここはかつて海と陸の境界線であり、古代の海洋民たちの重要な拠点だったことが窺えます。
究極の商売繁盛システム 「貸銭神事」の経済学
伊豫豆比古命神社の名を全国に轟かせているのが、毎年旧暦1月7日〜9日に行われる「椿まつり」です。「伊予路に春を呼ぶ」と言われるこの祭りには、期間中に約50万人もの参拝者が訪れます。
その中心にあるのが、他に類を見ない特殊神事「貸銭神事」です。

神様との「複利」契約
参拝者は神社から「守り金(20円)」を借ります。これを元手(種銭)として1年間励み、翌年に返済するのですが、そのルールが独特です。
- 1年目: 20円を借りる → 翌年、倍の40円にして返す。
- 2年目: 40円を借りる → 翌年、倍の80円にして返す。
- 3年目: 80円を借りる → 翌年、倍の160円にして返す。
このように、返済額と借入額が倍々ゲーム(複利形式)で増えていくのです。 これを経済学的・宗教学的に分析すると、単なるお賽銭やお守りとは次元が異なることが分かります。
- 成功の義務化: 倍額を返すためには、それに見合う利益を出さなければなりません。つまり、「来年も必ず倍にして返しに来られるよう、事業を発展させます」という神とのコミットメント(契約)が成立します。
- 指数関数的な成長: 「複利」は資産形成における最強の力です。これを神事に取り入れていることは、商売における「無限の成長・拡大」を象徴しています。
10年目には返済額が1万円を超えます。高額の返済を行う参拝者は、それだけ長く事業を継続し、発展させてきた「勝者」の証。これが、商売人たちがこぞってこの神事に熱狂する理由なのです。
参拝の「通」な作法 まずは「奏者社」へ
広大な境内には多くの摂社・末社がありますが、参拝の順序には古来からの習わしがあります。
正参道を入り、回廊の手前・左手にある「奏者社(そうじゃしゃ)」。 ここには、かつて御祭神の船を纜で繋いで迎えた「潮鳴栲綱翁神(しおなるたぐつなのおきなのかみ)」が祀られています。
この神様の役割は「万事お取り次ぎ」。 いきなり本殿に向かうのではなく、「まず奏者社にお参りし、取次ぎをお願いしてから本殿に向かう」のが、この神社の正しい、そして最も効果的とされる参拝ルートです。古代の神話(神様の到着と出迎え)を、現代の参拝者が追体験する構造になっているのです。
伝統と革新の融合 進化する境内
伊豫豆比古命神社は、伝統を守るだけの古い神社ではありません。 「変えてはならぬこと」(祭祀や森の保全)を厳格に守りつつ、「変えなければいけないこと」(利便性)には果敢に取り組んでいます。
- 椿祷殿(ちんじゅでん): かつての舞殿の役割を継承しつつ、現代的な機能性を持たせた祈祷殿。
- バリアフリー化: スロープの設置やトイレの改修など、誰もが「苦もなく」参拝できる環境整備。
- 句碑玉垣: 「俳都松山」を象徴するように、正岡子規や種田山頭火の句碑をはじめ、500基以上の句碑玉垣が境内を彩っています。
歴史と経済、文化が交差する場所

愛媛県のルーツとなる神を祀り、古代の海人の記憶を留め、そして現代の経済システムにも通じる「複利の神事」で人々の営みを支える。 伊豫豆比古命神社(椿神社)は、過去・現在・未来をつなぐ、稀有な聖地です。
松山を訪れた際は、ぜひ「奏者社」から始まる正式なルートで参拝し、2300年の歴史と、活気あふれる「再生と繁栄」のエネルギーを感じてみてください。
【伊豫豆比古命神社(椿神社)データ】
- 住所: 愛媛県松山市居相二丁目2番1号
- グーグルマップの位置情報
- 椿まつり: 毎年旧暦1月7日〜9日(※2025年は2月4日〜6日開催予定)
- アクセス: JR松山駅から車で約15分、伊予鉄バス「椿神社前」下車

コメント