岐阜市の神社といえば、金華山の麓に鎮座する「伊奈波神社(いなばじんじゃ)」を思い浮かべる方が多いでしょう。1900年以上の歴史を持ち、岐阜の総鎮守として崇敬される名社です。 しかし、その伊奈波神社の祭神である五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)、あるいは社伝にある丹波道主命(たんばみちぬしのみこと)の「父」にあたる神様が、少し離れた郊外の静寂な森に眠っていることをご存知でしょうか。
その神社の名は、伊波乃西神社(いわのにしじんじゃ)。
長良川中流域、岩田西地区。数百本の檜(ヒノキ)が群生する「清水山」の麓に鎮座するこの古社は、延喜式内社にも名を連ねる格式を持ちながら、現代では知る人ぞ知るスポットとなっています。
今回は、単なる神社の由緒だけでなく、社殿背後に存在する「宮内庁治定の御陵(墓)」を巡る考古学的なミステリーと、明治時代にこの地で起きた「神と墓の分離」という数奇な歴史について深掘りしていきます。
(※伊奈波神社の祭神については諸説ありますが、ここでは伊波乃西神社との父子関係に焦点を当てます)
古代の英雄・日子坐命(ヒコイマスノミコト)とは?

まず、この神社の主祭神である日子坐命(ひこいますのみこと)について触れておきましょう。
彼は第9代開化天皇の皇子であり、第10代崇神天皇の異母兄弟にあたる人物です。『古事記』や『日本書紀』において、彼は単なる皇族ではなく、ヤマト王権の勢力拡大を担った「軍事司令官」として描かれています。
「丹波」を平定し、「美濃」を拓く
特に有名な功績は「丹波平定」です。丹波国(現在の京都北部・兵庫北東部)で反乱を起こした「玖賀耳の御笠(くがみみのみかさ)」を討伐。この「クガミミ」とは土着の有力豪族(国神)を指すとされ、日子坐命の遠征は、ヤマト王権が地方勢力を統合していく過程そのものです。
その後、彼は勅命により東国治世の拠点として、この美濃国各務郡岩田の地に入りました。 当時の長良川は、たびたび氾濫を起こす暴れ川。日子坐命はこの地で大規模な治水事業を行い、湿地を居住可能な土地へと変え、農業を振興させたと伝わります。つまり、彼は高貴な「皇族」であると同時に、この土地を切り拓いた開拓の祖神なのです。
岐阜における「父と子」の配置
非常に興味深いのは、岐阜市における神社の配置です。
- 父(日子坐命): 郊外の山裾(伊波乃西神社)に鎮座し、長良川の上流・治水の要衝を守る。
- 子(丹波道主命): 都市の中心(伊奈波神社)に鎮座し、政治・経済の中心を守る。
まるで父が後方から水源と国土の基盤を守り、子が前線で繁栄を築くような、完璧な役割分担が見て取れます。
背後の巨石は「古墳」か「磐座」か

伊波乃西神社の拝殿で手を合わせた後、ぜひ注目していただきたいのが、社殿の左手から山へと続く小道です。ここを登った先、社殿の真裏(西方)にあたる場所に、宮内庁が管理する「日子坐命墓(ひこいますのみことのはか)」があります。
そこにあるのは、墳丘ではなく、斜面から露出した巨大な岩塊です。
- 上部の岩:先端が鋭く尖り、亀裂が入っている(縦2.4m×横1.8mほど)。
- 下部の岩:どっしりと横に広がる平石。
この巨石遺構の正体を巡っては、長年二つの説が対立してきました。
封土流失古墳説(宮内庁・公式見解)
かつては土が盛られた立派な古墳だったが、長い年月の間に雨風で土が流され、中の石室(埋葬施設)の石材だけが露出してしまったという説です。尖った岩は天井石、下の岩は床石の残骸と見なされます。
磐座(いわくら)説(考古学・民俗学的見解)
これは墓ではなく、神が降臨する依代(よりしろ)としての自然岩、すなわち「磐座」であるという説です。神道考古学の大家・大場磐雄博士などもこの説を有力視しています。 清水山自体が神奈備(神体山)として崇められてきた歴史を考えれば、古代の人々はこの巨石そのものに神を見出し、祈りを捧げていた可能性が高いのです。
明治維新が引き裂いた「神」と「岩」
実は明治時代以前、伊波乃西神社の社殿は、現在の山麓ではなく、この巨石のすぐ目の前(あるいは岩そのもの)にありました。岩を御神体として祀る、極めてプリミティブ(原初的)な信仰形態だったのです。
しかし、明治8年(1875年)、運命が大きく変わります。 明治政府による「治定(じじょう)」事業により、この巨石が「日子坐命の陵墓である」と公式に認定されたのです。
これにより、土地は皇室の所有(御陵)となり、宮内庁の管轄下に置かれました。その結果、元々そこで祭祀を行っていた伊波乃西神社は退去を余儀なくされ、現在の山麓へ社殿を遷座することになったのです。
今の私たちが参拝する社殿と、その奥にある巨石の間にある数百メートルの距離。それは、素朴な自然崇拝が、国家の歴史編纂によって「線引き」された歴史の距離そのものかもしれません。
アクセス・参拝情報

静かな場所ですが、道は整備されており比較的訪れやすい場所にあります。ただし、観光地化されていないため、事前の準備をおすすめします。
基本情報
- 鎮座地: 岐阜県岐阜市岩田西3丁目421番地
- 御祭神: 日子坐命(主祭神)、八瓜入日子命
アクセス方法
【公共交通機関(バス)】 JR岐阜駅(14番のりば)または名鉄岐阜駅(Cのりば)から岐阜バスに乗車。
- 路線:「大洞緑団地行き(北一色経由)」「せき東山行き」など
- 下車:「岩田(いわた)」バス停
- 徒歩:バス停から北側(山側)へ徒歩約15分。住宅地を抜けて山へ向かいます。
【車の場合】
- 駐車場: 鳥居の右側から車で入ることができ、社殿近くに砂利敷きの駐車スペース(10〜30台程度)があります。
- Google Maps: [位置情報をみる]




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