今、漫画『逃げ上手の若君』で大きな注目を集めている北条時行(ほうじょう ときゆき)。鎌倉幕府の最後の得宗・北条高時の遺児として生まれ、幕府滅亡後に復讐の戦いを繰り広げた悲劇の英雄です。
しかし、彼の戦いが、結果的に最大の宿敵であった足利高氏(後の尊氏)を天下人へと押し上げ、室町幕府を誕生させる引き金になったとしたら…?
この記事では、「歴史の敗者」とされてきた北条時行が、いかにして日本史の巨大な転換点を意図せず作り出してしまったのか、その行動原理と歴史的な意義を深く掘り下げていきます。彼の個人的な「遺恨」が、いかにして時代を動かしたのか。その驚くべき歴史のダイナミズムに迫ります。
悲劇の原点 裏切りと一族の滅亡
時行の行動を理解するには、まず彼の壮絶な原体験を知る必要があります。
彼は、武家社会の頂点に君臨した北条得宗家の嫡流として、何不自由ない将来を約束されていました。しかし、1333年の鎌倉幕府滅亡がすべてを変えます。
- 父・高時の自害: 後醍醐天皇側の足利高氏や新田義貞の攻撃により鎌倉は陥落。父・高時は東勝寺で自害します。
- 兄・邦時の処刑: 後継者と目されていた兄は、なんと実の母方の叔父に裏切られ、敵方に引き渡されて処刑されるという悲劇的な最期を遂げます。
一門であったはずの足利高氏の裏切り、そして近親者の裏切り。幼い時行の心に、足利高氏個人に対する消しがたい憎しみが刻み込まれたことは想像に難くありません。
この絶望的な状況下で、彼は家臣の諏訪頼重に助けられ、信濃国(現在の長野県)へと落ち延びます。これが、後の復讐劇の幕開けとなるのです。
歴史の転換点「中先代の乱」 なぜこれが重要だったのか?
信濃で力を蓄えた時行は、1335年に挙兵します。これが「中先代の乱」です。
後醍醐天皇の「建武の新政」は、武士の慣習を無視したため、全国の武士たちから不満が噴出していました。時行の挙兵は、この不満の受け皿となり、破竹の勢いで進撃。ついに足利高氏の弟・直義が守る鎌倉を陥落させ、一時的に奪還することに成功します。
この「鎌倉陥落」のニュースが、京にいた足利高氏の運命を決定づけました。
- 高氏の無断出兵: 弟の敗北を知った高氏は、後醍醐天皇の正式な許可を待たずに「時行討伐」を名目に、無断で軍を鎌倉へ向けます。これは天皇への公然の挑戦でした。
- 鎌倉居座りと政権離反: 高氏は圧倒的な兵力で時行を破り鎌倉を奪還。しかし、その後「北条の残党狩りが必要」と理由をつけ、天皇の帰京命令を無視して鎌倉に居座り続けます。
これが、足利高氏と後醍醐天皇の決定的な決別の瞬間でした。
もし、北条時行が「中先代の乱」を起こさなければ、高氏が建武政権から離反するこれほど完璧な口実と機会は生まれなかったでしょう。歴史学者・森茂暁氏が言うように、この乱は高氏に「武家政権樹立への最後の一歩を踏み出させる」決定的な出来事だったのです。
行動原理のシフト 幕府再興から「打倒・高氏」へ
中先代の乱に敗れた後、時行は驚くべき行動に出ます。なんと、一族を滅ぼした張本人である後醍醐天皇の南朝に帰順するのです。
一見、矛盾した行動に見えますが、ここに彼の真の動機が隠されています。軍記物語『太平記』には、彼の心情が次のように描かれています。
「幕府が滅んだのは父の不徳ゆえ、天命として受け入れよう。しかし、一門でありながら恩を仇で返した足利高氏の裏切りだけは、断じて許すことができない」
もはや彼の目的は「鎌倉幕府の再興」という政治目標ではありませんでした。それは、「裏切り者・足利高氏をこの手で討つ」という極めて個人的な復讐へと純化されていたのです。
共通の敵・高氏を倒すためなら、父の仇とさえ手を組む。この強烈な個人的遺恨こそが、彼を生涯にわたって戦い続けさせた原動力でした。
意図せざる「室町幕府の建国の父」
北条時行は、自らの目的を果たすことなく歴史から姿を消した「敗者」です。
しかし、歴史とは皮肉なものです。彼の生涯をかけた執念の戦いは、最大の敵であった足利高氏に新幕府を創設させるための決定的な役割を果たしました。
- 武家の棟梁としての権威獲得: 高氏は時行討伐という大義名分で、武家の聖地・鎌倉を実力で支配しました。これにより、関東の武士たちは彼を「源頼朝の後継者」「武家の棟梁」として認め始めます。
- 新幕府創設の既成事実化: 鎌倉に拠点を置いたことで、高氏は京の朝廷とは別の、新たな武家政権を立ち上げる既成事実を作り上げたのです。
つまり、時行の反乱という危機が、図らずも高氏に新たな「武家の王」としての権威と正統性を与えてしまったのです。
時行の足跡を鎌倉で辿る
北条時行の生涯は、一個人の強烈な感情が、いかにして国家の形をも変えうるかを示す、劇的な実例です。彼の存在がなければ、南北朝の動乱も、その後の室町幕府の成立も、全く違う形になっていたかもしれません。
彼の悲劇と執念に思いを馳せながら、物語の舞台となった鎌倉を訪れてみてはいかがでしょうか。
関連史跡へのアクセス
1. 宝戒寺(ほうかいじ)- 北条得宗家屋敷跡

北条高時をはじめ、代々の得宗家が屋敷を構えた跡地に、一族の霊を弔うために足利尊氏が建立した寺。北条氏の栄華と終焉を伝える場所です。
- 公共交通機関: JR「鎌倉駅」東口より徒歩約13分。
- 車: 専用駐車場はありません。近隣のコインパーキングをご利用ください。
- 位置情報: Googleマップで場所を確認する
2. 東勝寺跡・腹切りやぐら

1333年5月22日、追い詰められた北条高時をはじめ一族・家臣870名余りが自害し、鎌倉幕府が滅亡した場所です。
- 公共交通機関: JR「鎌倉駅」東口より徒歩約15分。宝戒寺から徒歩数分の距離です。
- 車: 専用駐車場はありません。近隣のコインパーキングをご利用ください。
- 位置情報: Googleマップで場所を確認する
※鎌倉中心部は道が狭く渋滞も多いため、公共交通機関での散策がおすすめです。
もっと深く知るための参考文献
この記事を読んで、さらに北条時行や南北朝時代に興味が湧いた方へ、おすすめの書籍をご紹介します。
- 漫画から入るなら
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- 専門的な視点から
- 鈴木由美『中先代の乱―北条時行、鎌倉幕府再興の夢』(中公新書): 中先代の乱をテーマに、時行の動向を詳細に解説した一冊。専門的ですが非常に分かりやすいです。
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