【比婆山久米神社】イザナミの墓所は2つある?比婆山久米神社と花の窟神社、古事記・日本書紀の謎に迫る旅

島根県
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日本最古の歴史書『古事記』。その冒頭を飾る壮大な国生み神話の中心に立つのが、母なる神・伊邪那美命(イザナミノミコト)です。彼女が数多の神々を産んだ末、火の神・迦具土神(カグツチ)によって負った火傷がもとでこの世を去ったという悲劇は、日本の神話に初めて「死」という概念をもたらしました。

そして『古事記』は、その亡骸が葬られた場所を、こう記しています。

「故(かれ)、其の神避(かむさ)りし伊邪那美の神は、出雲の国と伯伎の国(伯耆の国)との堺(さかい)、比婆の山に葬(はぶ)りき」    

「お亡くなりになった伊邪那美の神は、出雲国と伯耆国の境にある比婆山に葬られた」— この一節こそ、島根県安来市に鎮座する比婆山久米神社が、日本の根源に繋がる聖地とされる最大の理由です 。   

しかし、この記述を巡っては、1300年以上にわたる壮大な論争が存在します。この記事では、神話の謎、波乱に満ちた歴史、そして現代に息づく信仰の姿を紐解きながら、日本の母が眠る聖山、比婆山久米神社の奥深い魅力へとご案内します。

イザナミの御陵はどこにあるのか?

比婆山久米神社を語る上で避けて通れないのが、イザナミの御陵を巡る「候補地論争」です。実は、その場所を示す古代の記述は一つではなく、それぞれが有力な根拠を持っています。

『古事記』 vs 『日本書紀』— 出雲か、熊野か

『古事記』が編纂されたわずか8年後の720年に完成した正史『日本書紀』は、イザナミの埋葬地について全く異なる場所を記しています。それは「紀伊国の熊野の有馬村」、現在の三重県熊野市に鎮座する花の窟神社に比定される場所です 。   

  • 『古事記』が示す場所: 出雲と伯耆の境にある比婆山    
  • 『日本書紀』が示す場所: 紀伊国熊野の花の窟    

なぜ、国家の正史においてこれほど重大な記述の食い違いが生まれたのでしょうか。一説には、8世紀初頭の大和朝廷が、当時強大な力を持っていた「北方」の出雲文化圏と、「南方」の熊野文化圏、その両方の神話体系を自らの支配の正当性に取り込む必要があったためと言われています 。出雲神話に重きを置いた『古事記』と、異なる政治的意図を持った『日本書紀』。この二つの記述の存在自体が、比婆山久米神社が古代日本の権力構造の中で極めて重要な位置を占めていたことの証左と言えるでしょう。   

もう一つの比婆山 — 島根か、広島か

さらに、『古事記』が記す「比婆山」そのものにも、もう一つの有力な候補地が存在します。それは、県境を越えた広島県庄原市にある比婆山です 。   

  • 島根県安来市の比婆山: 『出雲国風土記』に「久米社」として記載があり、古代出雲国との直接的な文献上の繋がりが強い 。   
  • 広島県庄原市の比婆山: 国の天然記念物であるブナの原生林に囲まれ、山頂には御陵とされる巨大な岩の墳丘が存在する 。たたら製鉄が盛んな地域で、その神聖さゆえに森林伐採を免れたという歴史的背景も持ちます 。   

この論争に唯一絶対の答えはありません。しかし、この謎こそが、私たちを古代の神話世界へと誘う魅力の源泉なのです。島根の比婆山久米神社は、確かな文献的古さと、神話の舞台としての説得力を兼ね備えているのです。

炎と祈りの歴史   破壊と再生を繰り返した聖地

比婆山久米神社の歴史は、その神話と同様に波乱に満ちています。

古代の記録と土着の信仰

この神社の歴史は、『古事記』の時代よりもさらに遡ります。733年に完成した『出雲国風土記』には「久米社」として、また927年の『延喜式』神名帳にも国家公認の「式内社」として、その名が刻まれています 。これは、イザナミ神話と結びつく以前から、この地に山そのものを崇める古い信仰が存在したことを示唆しています。「久米(くめ)」という名は、神が「籠る(こもる)」や「熊野(くまの)」の語源とも言われ、その信仰の深さを物語っています 。   

戦国大名の庇護と戦乱の渦

戦国時代、この地を治めた大名・尼子経久は比婆山を篤く崇敬し、壮大な社殿を造営して手厚く保護しました 。しかし、尼子氏と毛利氏の激しい争いの中で、神社は度重なる兵火に見舞われ、社殿はことごとく灰燼に帰してしまいます 。庇護者の盛衰と共に、神社もまた浮沈を繰り返してきたのです。   

熊野信仰との融合

江戸時代に入り、松平氏の庇護のもとで再建されると、全国的に流行していた熊野信仰の影響を強く受けるようになります 。一時は「熊野神社」や「熊野権現」と称され、明治時代には正式に「熊野神社」と改称された時期もありました 。   

現在、主祭神であるイザナミに加え、速玉之男神(ハヤタマノオノカミ)事解之男神(コトサカノオノカミ)が配祀神として祀られているのは、この熊野信仰との習合の証です 。この二柱は熊野三山の中心的な神々であり、穢れを断ち切り、物事を良い方向へ導く力を持つとされています。   

破壊と再生、そして異なる信仰との融合。比婆山久米神社の歴史は、まさに日本の宗教史の縮図とも言えるでしょう。

聖域を巡る   母なる山への登拝

比婆山久米神社への参拝は、麓から山頂へと至る一つの「巡礼」です。その道のり自体が、神聖な儀式の一部となっています。

旅の始まり「下の宮(里宮)」

巡礼は、山の麓に鎮座する下の宮(里宮)から始まります。険しい山道を登ることが難しい参拝者のための遥拝所の役割も担っており、その本殿は伊勢神宮と同じ古式ゆかしい神明造(しんめいづくり)で建てられています 。清浄な空気に満ちたこの場所で、まずは旅の安全を祈願しましょう。   

信仰が試される登拝道

下の宮から山頂の奥の宮までは、約1km、徒歩で約40分の険しい山道が続きます 。この道には、安産祈願にまつわる古くからの言い伝えがあります。   

参拝する妊婦は、どんなに苦しくても「苦しい」「辛い」といった弱音を口にしてはならない。もし口にすれば難産になる—    

これは単なる迷信ではありません。肉体的な試練を乗り越えること自体を、安産という目的を達成するための儀式へと昇華させる、信仰の装置なのです。道中には、イザナギ・イザナミの夫婦神にちなんだ夫婦岩などの見どころもあり、登山の疲れを癒してくれます 。   

聖地の核心 「奥の宮」と「御神陵」

険しい道を登りきった標高約331mの山頂に、奥の宮が鎮座しています 。その本殿は、出雲大社と同じ壮麗な大社造(たいしゃづくり) 。麓の神明造から山頂の大社造へ。この建築様式の変化は、この神社が出雲信仰圏の重要な聖地であることを建築的に物語っています。   

そして社殿の後方、石の瑞垣と木の柵で厳重に守られた一角こそ、この聖地の核心である御神陵(ごしんりょう)です 。かつては一般人の立ち入りが固く禁じられた「禁足地」であったこの場所に、国生みの母神が静かに眠っていると伝えられています。   

山に宿る奇跡のパワースポット

比婆山が強力なパワースポットとして信仰を集めるのは、山全体に生命の誕生を祝福する力が満ちているからです。

  • 陰陽竹(いんようちく) 比婆山にのみ自生する、極めて珍しい竹。男性的な性質を持つ真竹の茎に、女性的な笹のような大きな葉がつくという、まさに「陰」と「陽」を併せ持った姿をしています 。イザナミが出産の際に杖にしていた竹が根付いたものという伝説があり、県の天然記念物にも指定されています 。   
  • 玉抱石(たまがかえいし) 無数の小さなくぼみを持つ霊石。子宝に恵まれない人がこの石に触れて祈願すると、石の穴から飛び出した霊気が胎内に宿り、玉のように元気な子を授かるという言い伝えがあります 。   
  • 玄武岩柱状節理(げんぶがんのちゅうじょうせつり) 比婆山の岩壁に見られる、六角形の柱が規則正しく並んだような奇岩地帯。溶岩が冷え固まる際にできたこの神秘的な自然の造形は、古代の人々がこの山を神域と見なす大きな要因となったことでしょう 。   

これらのスポットを巡ることは、生命の誕生という神秘的なプロセスを追体験する旅でもあります。

聖地巡礼と安来の探訪

比婆山久米神社への旅を、より深く楽しむための実用情報です。

アクセス方法

  • 所在地:
  • 自動車でのアクセス:
    • 山陰自動車道「安来IC」から約15分~25分 。   
    • 駐車場: 下の宮の近くに無料駐車場があります。ただし、軽自動車3台分という情報  から、もう少し広いスペースがあるという情報  まで様々です。台数には限りがあるためご注意ください。   
  • 公共交通機関でのアクセス:
    • JR「安来駅」から安来市広域生活バス(イエローバス)に乗車し約35~40分。「横屋」バス停で下車後、登山口の下の宮まで徒歩1分です 。   

現代の課題と未来への継承

比婆山久米神社は、その比類なき価値にもかかわらず、地域の過疎化・高齢化により、社殿の維持が困難な状況に直面しています 。2024年には、老朽化した奥宮の拝殿や御神陵の石瑞垣を修復するため、クラウドファンディングも実施されました 。私たちの関心と支援が、この貴重な文化遺産を未来へ繋ぐ力となります。   

参考文献

比婆山久米神社の物語の原点である『古事記』。この機会に、その奥深い世界に触れてみてはいかがでしょうか。

  • 初心者の方へ(現代語訳・マンガ)
    • 『古事記 (角川ソフィア文庫―ビギナーズ・クラシックス)』: 分かりやすい現代語訳と解説で、初めての方でも楽しめる一冊です。
    • 『古事記 上 マンガ古典文学【里中満智子著】』: 巨匠・里中満智子氏による美麗なマンガで、神話の世界を視覚的に楽しめます。
  • 深く知りたい方へ(原文・解説付き)
    • 『古事記 (岩波文庫)』: 校注者・倉野憲司氏による詳細な注釈付きで、研究者や専門家からも長く信頼されている定番の一冊です。

クラウドファンディング

比婆山久米神社では奥宮修全のためにクラウドファンディングを行っています。興味のある方はぜひ参加してみてはいかがでしょうか。

【第2弾】島根・比婆山久米神社イザナミノミコトが眠る奥宮の修繕プロジェクト

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