【花の窟】日本最古の神社・花の窟へ。『日本書紀』に記された神々の御陵を巡る旅

三重県

西暦720年に成立した日本初の正史『日本書紀』。その神代巻に、具体的な地名をもって記された聖地が、三重県熊野市に存在します。それが「花の窟(はなのいわや)」です 。  

ここは、私たちが「神社」と聞いて思い浮かべる社殿を持たず、高さ45メートルもの巨大な岩壁そのものを御神体とする、古代自然崇拝の姿を今に伝える場所 。そして何より、日本神話の母神イザナミノミコトが葬られた「御陵(墓所)」であると伝えられる、日本の信仰の原点とも言うべき聖域なのです 。  

この記事では、「花の窟」の奥深い世界へご案内します。神話の物語から、歴史的背景、そして今に生きる祭祀までを詳細に解説。あなたの次の旅が、時空を超えた知の探訪となるための一助となれば幸いです。

なぜ母と「死の原因」となった子が共に祀られるのか

花の窟の主祭神は、国産み・神産みを行った母神イザナミノミコト(伊弉冊尊と、その御子である火の神カグツチノミコト(軻遇突智尊)です 。  

『日本書紀』や『古事記』によれば、イザナミは多くの神々を産んだ後、最後に火の神カグツチを産んだ際、その炎に身を焼かれて命を落としてしまいます 。花の窟は、このイザナミが葬られた場所とされるのです 。  

しかし、なぜ母の死の原因となったカグツチもまた、すぐそばの「王子の窟」と呼ばれる岩に祀られているのでしょうか 。神話では、愛する妻を失った父イザナギが、怒りのあまりカグツチを斬り殺したとされています 。  

この悲劇的な母子の並祀は、花の窟が単なる墓所ではないことを物語っています。それは、「死」が終わりではなく、新たな「生」の始まりであるという、日本神話の根源的なテーマを象徴しているのです 。イザナミは死の苦しみの中で新たな神々を産み、斬られたカグツチの亡骸からもまた多くの神々が生まれました 。死と再生、破壊と創造のサイクル。花の窟は、その壮大な宇宙観を体感できる、神話の核心に触れる場所なのです。  

『日本書紀』が証言する「日本最古」の由縁

花の窟が「日本最古の神社」と称される最大の根拠は、『日本書紀』巻第一 神代上に、その存在が明確に記されていることにあります 。  

「一書に曰く、伊弉冉尊、火神を生む時に、灼かれて神退去りましぬ。故、紀伊国の熊野の有馬村に葬りまつる。土俗、此の神の魂を祭るには、花の時には亦花を以て祭る。又鼓吹幡旗を用て、歌ひ舞ひて祭る。」 (ある書によれば、イザナミノミコトは火の神を産むときに焼かれてお亡くなりになった。そのため紀伊国の熊野の有馬村に葬られた。土地の人々がこの神の魂を祭るには、花の季節には花を供えて祭り、また太鼓や笛、旗などを用いて歌い舞って祭るのである) 

この記述の歴史的価値は計り知れません。多くの神社が口承や伝承に基づく古い由緒を持つ中で、花の窟は国家の正史に具体的な地名「熊野の有馬村」(現在の熊野市有馬町)と共に記されているのです 。これは、熊野三山や伊勢神宮といった壮大な神社群が現在の形に整えられる以前から、この地で神への祭祀が行われていたことを示す、動かぬ証拠と言えるでしょう 。  

熊野信仰の源流 「窟の熊野」から本宮へ

熊野といえば、熊野三山(本宮・速玉・那智)を思い浮かべる方が多いでしょう。しかし歴史を遡ると、花の窟はそれらの信仰に先立つ、より原初的な聖地「窟の熊野」として重要な意味を持っていました 。  

その関係性を象徴するのが、「花の窟から御神宝を本宮大社へ移した」という歴史書に残る記録です 。これは、新たに熊野信仰の中心地として台頭しつつあった本宮大社が、その正統性と霊的権威の源泉として、この地域最古の聖地である花の窟の力を取り込もうとしたことを示唆しています。つまり、花の窟は熊野信仰全体の「母」なる存在であり、その霊的なルーツなのです。  

1300年以上続く「お綱掛け神事」

『日本書紀』の記述は、過去の記録としてだけ存在するわけではありません。毎年2月2日と10月2日の例大祭で執り行われる「御綱掛け神事」は、まさに文献に記された古代の祭祀が今に生きる姿です 。  

この神事では、全長約170メートルにも及ぶ大綱が、御神体である岩壁の頂上(高さ45m)から、境内を越え、七里御浜の海岸近くにある御神木へと渡されます 。この大綱は、単なる綱ではありません。  

  • 7本の縄: 大綱は7本の縄を綯い合わせて作られます。これはイザナミが死の間際に産んだとされる、風・海・木・草・火・土・水の7柱の自然神を象徴しています 。  
  • 三流の幡: 綱から垂れ下がる3つの幡は、イザナミが生んだ最も高貴な三柱の子神、天照大神(太陽)、月読尊(月)、素戔嗚尊(嵐・海)を表します 。  
  • 季節の花: 幡には、春には椿、秋には鶏頭といった季節の花が飾られ、『日本書紀』の「花の時には花を以て祭る」という記述を忠実に再現しています 。  

この神事は、神話を追悼し、再現するだけでなく、宇宙の創造そのものを象徴する壮大な儀礼なのです。1300年以上もの時を超え、神話が「生きている」ことを実感できる貴重な機会と言えるでしょう。

花の窟を訪れる アクセスガイド

神話と歴史が交差する聖地、花の窟への旅の計画にお役立てください。

所在地 〒519-4325 三重県熊野市有馬町上地130  

Googleマップ https://www.google.com/maps/search/?api=1&query=花の窟神社  


自動車でのアクセス

  • 名古屋方面から: 東名阪自動車道 → 伊勢自動車道 → 紀勢自動車道 → 熊野尾鷲道路「熊野大泊IC」から国道42号経由で約10分 。  
  • 大阪方面から(最短ルート): 阪神高速 → 南阪奈道路「葛城IC」→ 大和高田バイパス → 国道169号線経由。
  • 駐車場: 隣接する「道の駅 熊野・花の窟(お綱茶屋)」の駐車場が利用可能です 。
    • 普通車:約40〜50台  
    • 大型車:2〜6台  
    • 料金:無料  

公共交通機関でのアクセス

  • 鉄道: JR紀勢本線「熊野市駅」が最寄り駅です 。
    • 名古屋駅から:特急「ワイドビュー南紀」で約3時間。
    • 松阪駅から:特急「ワイドビュー南紀」で約1時間50分。
  • バス: JR「熊野市駅」前のバス停から、三重交通バス(新宮駅前行きなど)に乗車し、「花の窟」バス停で下車(約4〜7分)。バス停から徒歩すぐです。  

さらに深く知るために 歴史好きへのおすすめ参考文献

花の窟、そして熊野の歴史をさらに深く探求したい方へ、おすすめの書籍をご紹介します。

1. 『日本書紀 (上) (下) 全現代語訳』 (講談社学術文庫)

  • 著者: 宇治谷 孟 (訳)
  • 解説: 花の窟の記述の原典である『日本書紀』。その全体像を把握するには、信頼性の高い現代語訳が欠かせません。宇治谷孟氏による翻訳は、原文に忠実でありながら読みやすいと定評があり、古代史研究の必携書です 。神代から持統天皇までの壮大な歴史物語を、ぜひご自身の目で追体験してみてください。  
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2. 『熊野詣 三山信仰と文化』 (講談社学術文庫)

  • 著者: 五来 重
  • 解説: 仏教民俗学の大家である五来重氏が、熊野信仰の全貌を解き明かした歴史的名著。記紀神話、修験道、浄土信仰などが重層的に織りなす熊野の謎と魅力に迫ります 。花の窟を熊野全体の信仰体系の中に位置づけ、その歴史的・文化的な意味をより深く理解するために最適な一冊です。「熊野の謎はまた人の心の謎でもある」という一文に、知的好奇心が掻き立てられることでしょう 。  
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おわりに

花の窟は、単なる観光地ではありません。それは、日本の神話が大地に刻まれた場所であり、古代の人々の祈りが岩肌に染み込んだ聖地です。社殿という人工物がないからこそ、私たちは自然そのものに宿る神聖さと、剥き出しのままの悠久の歴史に直接触れることができます。

熊野古道を歩き、再生を願ったかつての巡礼者たちのように 、この地で神話の時代に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。きっと、書物だけでは得られない、深い感動と歴史的洞察があなたを待っているはずです。  

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