「白兎」の名を思い浮かべるとき、ほとんどの人が日本最古の歴史書『古事記』に記された「因幡の白兎」の神話を連想するでしょう。ワニ(サメ)を騙して皮を剥がれ、大国主命(おおくにぬしのみこと)に救われるあの有名な物語です。その舞台とされる鳥取市白兎海岸の「白兎神社」は、縁結びのパワースポットとして全国的に知られています 。
しかし、鳥取の内陸部、のどかな田園風景が広がる八頭郡八頭町に、全く異なる由来を持つ「もう一つの白兎伝説」が静かに息づいていることをご存知でしょうか。それは、日本の最高神・天照大神(あまてらすおおみかみ)の降臨にまつわる、壮大で神秘的な物語です 。
この記事では、歴史の波に翻弄され一度は姿を消しながらも、地域の人々の熱い想いによって奇跡の復活を遂げた八頭町の白兎神社と、その背景にある深遠な神話、そして点在する関連史跡を巡る旅へとご案内します。
八頭の白兎伝説 ― 太陽神を導いた聖なる兎
八頭町に伝わる物語は、『古事記』の出雲神話とは一線を画す、高天原の神々の直接的な降臨譚です。その内容は、地域の古刹である浄光寺(現在の成田山青龍寺の前身)や慈住寺に伝わる縁起や記録に記されています 。
天照大神の降臨と謎の白兎

はるか神代の昔、太陽を司る女神・天照大神が、八頭の中山という山に降臨されました 。大神はこの地を仮の宮(行宮)と定めようと四方を見渡されます。その時、どこからともなく一羽の純白の兎が現れ、大神の装束の裾をそっと口にくわえ、先導するかのように歩き始めたのです 。
大神がその神秘的な兎に従っていくと、中山から続く尾根の上、二つの巨石が鎮座する場所にたどり着きました 。こここそが宮を営むべき聖地でした。この故事から、二つの石は「皇居石」、その一帯は天照大神を祀る伊勢神宮にちなんで「伊勢ヶ平」と呼ばれるようになったと伝えられています 。
白兎の正体と「導きの神」の誕生
大神を聖地へと導く大役を果たした白兎は、忽然と姿を消してしまいます。伝説によれば、この白兎の正体は、天照大神の弟神であり、夜を司る月の神・月読尊(つくよみのみこと)であったとされています 。太陽神の道を、月の神が兎の姿で照らし、導いた。この壮大な構図は、八頭の地が祝福された聖地であることを物語っています。
この伝説により、白兎は人々を良き方向へ導く「道祖白兎大明神(どうそはくとだいみょうじん)」として崇められるようになりました 。八頭町の白兎神社が、縁結びの神というよりは、進むべき道を示し、前進する力を与える「導きの神」として信仰されるのは、この神話に由来しているのです 。
消滅と復活 ― 白兎神社の数奇な歴史
八頭の白兎神社の歴史は、日本の近代化が地域の信仰に与えた影響と、それに屈しなかった人々の強い意志を物語る、感動的なドラマに満ちています。
古代からの信仰と明治の受難
創立年代は不詳ながら、古くは「白兎大明神」と称され、土師百井(はじももい)、池田、福本など五つの村々の氏神として篤く信仰されてきました 。しかし明治時代、政府が推進した「一村一社」を原則とする神社合祀政策の波がこの地にも押し寄せます 。
大正3年(1914年)、白兎神社の御神体は、地域の主要な神社であった同町宮谷の賀茂神社へと合祀され、公式にはその歴史の幕を閉じました 。さらに、神が去った社殿は解体され、同町下門尾の成田山青龍寺へと移築。こうして白兎神社は、地図の上からも、物理的にも姿を消すことになったのです 。
百年の時を超えた復活劇
しかし、人々の心から白兎への信仰が消えることはありませんでした。合祀後も、元の氏子たちは賀茂神社の祭礼に参加する際、賀茂神社の幟(のぼり)ではなく、あえて「白兎神社」と書かれた自分たちの幟を掲げ続けたといいます 。それは、自分たちの神と共同体の誇りを守り抜こうとする、静かで力強い抵抗の証でした。
その長年の願いは、一世紀近い時を経てついに実を結びます。「近年」になって、住民たちの強い要望により、かつて神社があった福本の地に新しい社が再建され、賀茂神社から御神体が晴れて還御されたのです 。国家政策によって一度は抹消された聖地が、共同体の記憶と信仰の力によって蘇った、まさに奇跡の復活劇でした。
分散した聖地を巡る ― 八頭の白兎伝説探訪ガイド
白兎神社の数奇な歴史は、その遺産を町内各所に分散させる結果となりました。それらを巡ることは、神社の物語を立体的に体感するユニークな巡礼の旅となります。
1. 福本白兎神社 ― 魂の還る場所

まず訪れるべきは、住民の熱意によって再建された現在の福本白兎神社です。田園風景の中に静かに佇む境内では、一般的な狛犬ではなく、愛らしい一対の兎の石像が参拝者を迎えてくれます 。
ここで注目すべきは、石造りの鳥居です。柱には「安永五年」(1776年)、額には「文政七年」(1824年)の銘が刻まれており、この地が江戸時代から信仰の中心であったことを雄弁に物語っています 。新しい社と古い鳥居の対比が、この神社の苦難と復活の歴史を象徴しているかのようです。
- 所在地: 鳥取県八頭郡八頭町福本
- Googleマップ: https://www.google.com/maps/search/?api=1&query=鳥取県八頭郡八頭町福本+福本白兎神社
2. 成田山青龍寺 ― 身体(旧社殿)と芸術の眠る場所
次に訪れたいのが、「因幡の成田山」として知られる古刹、成田山青龍寺です。驚くべきことに、白兎神社の江戸時代の旧本殿が、この寺の本堂内、御本尊である不動明王像の背後にすっぽりと収められ、厨子(仏像などを安置する戸棚)として大切に保存されているのです 。神仏分離や神社合祀という歴史の荒波から文化財を守ろうとした先人たちの知恵に、ただただ圧倒されます。
そして、この旧本殿で必見なのが、内陣に施された精緻な木彫り、「波ウサギ」です 。江戸時代の作とされるこの彫刻は、荒波を躍動的に跳ねる兎の姿を見事に捉えており、八頭の白兎伝説を象徴する芸術品として高く評価されています 。一説には、近くに彫られた烏(カラス)と鷺(サギ)の彫刻が、「ウ+サギ」という言葉遊びになっているとも言われています 。
また、青龍寺には国の重要文化財に指定されている鎌倉時代作の「持国天立像」と「多聞天立像」も安置されており、仏教美術の宝庫でもあります 。
- 所在地: 鳥取県八頭郡八頭町下門尾46
- 拝観時間: 9:00~17:00
- 拝観料: 志納金として大人100円
- Googleマップ: https://www.google.com/maps/search/?api=1&query=鳥取県八頭郡八頭町下門尾46+成田山青龍寺
3. 下門尾集会所の石灯籠
伝説の痕跡はまだあります。青龍寺の近くにある下門尾集会所の敷地内には、かつて白兎神社の境内にあった石灯籠が移設され、現存しています 。こうした小さな発見も、歴史探訪の醍醐味です。
- 所在地: 鳥取県八頭郡八頭町下門尾(成田山青龍寺近く)
- Googleマップ: https://www.google.com/maps/search/?api=1&query=鳥取県八頭郡八頭町下門尾+下門尾集会所
旅の実用情報 ― アクセスと御朱印
訪問手段
【公共交通機関を利用する場合】 旅の起点はJR郡家(こおげ)駅です。
- 福本白兎神社へ: JR郡家駅から徒歩約15分(約1.5km) 。のどかな田園風景を散策しながら向かうのがおすすめです。
- 成田山青龍寺へ: JR郡家駅から車(タクシー)で約5分 。福本白兎神社からは徒歩約20分です 。
【車を利用する場合】 鳥取自動車道「河原IC」から郡家方面へ約12分で成田山青龍寺に到着します 。
- 福本白兎神社: 2~3台分の駐車スペースがありますが、周辺の道は狭いため運転にはご注意ください 。
- 成田山青龍寺: 無料駐車場があります 。
- 関連史跡も車で巡るのが効率的です。
御朱印と旅の情報拠点「ぷらっとぴあ・やず」
特筆すべきは、福本白兎神社の御朱印は神社現地では授与されず、JR郡家駅併設のコミュニティ施設「ぷらっとぴあ・やず」内にある八頭町観光協会でのみ受けられる点です 。初穂料は500円。参拝の証として、ぜひ立ち寄りましょう。
観光協会では、白うさぎからの一言メッセージが記された「うさぎの一言おみくじ」(100円)や、水引で作られた「うさぎ結び」のブローチなど、兎にちなんだオリジナルグッズも手に入ります 。旅の計画を立てる上でも重要な情報拠点です。
- 八頭町観光協会(ぷらっとぴあ・やず内)
- 営業時間: 9:15~18:00(年末年始休業)
- Googleマップ: https://www.google.com/maps/search/?api=1&query=ぷらっとぴあ・やず
参考文献 神話の世界をより深く知るために
この記事で触れた神話の原典である『古事記』や、地域の歴史に興味を持たれた方のために、いくつか書籍をご紹介します。
- 『古事記 (岩波文庫)』 – 倉野憲司 校注
- 原文に忠実な校注で、詳細な注釈が魅力。神話の言葉そのものに触れたい研究者気質の方におすすめです。
- 『古事記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典 (角川ソフィア文庫)』 – 角川書店編集部
- 現代語訳と原文、解説がバランス良く配置され、初めて『古事記』に触れる方に最適。物語の概要を掴むのに役立ちます。
- 『口語訳古事記 [完全版]』 – 三浦佑之
- 「語り」を意識した流麗な現代語訳が特徴で、物語として楽しみながら読み進めることができます。口承文学としての『古事記』の魅力を再発見できます。
おわりに 物語を紡ぎ続ける「導きの神」
八頭町の白兎神社を巡る旅は、単なる観光地巡りではありません。それは、国家的な正史の陰で大切に守り継がれてきた地域の魂の物語を、自らの足で辿り、再発見する旅です。
明治の政策によって一度は消滅の淵に立たされながらも、百年の時を超えて復活を遂げた白兎神社。その背景には、自分たちの神様と故郷の物語を愛し続けた人々の、深く、静かで、そして揺るぎない信仰がありました。
魂が還った福本の社、その身体が芸術として生き続ける青龍寺の旧本殿。分散した聖地を繋ぎ合わせる巡礼の道は、私たちに問いかけます。「あなたにとって、守り伝えたい大切な物語は何ですか?」と。
天照大神を導いた白兎は、今もこの地で、訪れる人々が進むべき道を見出すための、静かな導き手として存在し続けているのかもしれません。

コメント