「羽衣伝説」と聞いて、あなたはどんな結末を思い浮かべるでしょうか。
美しい天女が水浴びをしている間に、人間の男に羽衣を隠されてしまう。やがて二人は結ばれ、子供が生まれ、最後は天女が天へ帰っていく——。 三保の松原(静岡県)などで語られるこの物語は、異類婚姻譚としてのロマンチックな側面が強調されがちです。
しかし、京都府京丹後市には、これとは全く異なる「救いのない、残酷な羽衣伝説」が残されています。 その舞台こそが、今回ご紹介する「藤社神社(ふじこそじんじゃ)」。
ここは伊勢神宮外宮のルーツとされる「元伊勢」の聖地でありながら、天女を騙し、利用し、最後は追放したとされる「老夫婦」を祀る場所でもあります。なぜ、神話の「悪役」が神として祀られているのか? 丹後の美しい田園風景の裏に隠された、ミステリーに迫ります。
『丹後国風土記』が語る衝撃の真実
藤社神社の背後にそびえる比治山(ひじやま/現在の磯砂山)。その頂にある「真奈井(まない)」という泉が、物語の舞台です。
奈良時代に編纂された『丹後国風土記(逸文)』には、私たちが知る羽衣伝説とはかけ離れた、生々しい物語が記されています。

隠された羽衣と強制労働
ある日、8人の天女が真奈井で水浴びをしていました。そこへ「和奈佐」という名の老夫婦が現れ、1人の天女の羽衣を隠してしまいます。天に帰れなくなった天女に向かって、彼らはこう言いました。 「私達には子供がいない。どうか私の娘になってくれ」
仕方なく地上に残った天女ですが、彼女はただの居候ではありませんでした。彼女が造る「酒」は万病に効くと評判になり、老夫婦はそれによって莫大な富を築きます。天女は、一族に繁栄をもたらす「富の源泉」として利用されたのです。
老夫婦の裏切りと追放
10年以上の月日が流れ、老夫婦は十分に豊かになりました。すると彼らは突然、天女に向かってこう言い放ちます。 「お前は私の子供ではない。他人が家にいるのは不都合だ。出て行ってくれ」
天女は泣き叫びました。「あなたの娘にしてやると言ったのはあなた達です」と。しかし老夫婦は聞く耳を持たず、彼女を家から追い出します。 天女は「天を仰いでも帰る術はなく、地に向かって叫んでも誰も助けてくれない」と嘆きながら荒野を彷徨い、やがて安住の地を見つけて鎮まりました。
この追い出された天女こそが、後に伊勢神宮外宮に祀られることになる豊受大神(トヨウケオオカミ)であると伝えられています。
境内に祀られた「悪役」和奈佐の謎
この悲劇の伝説を裏付けるかのような痕跡が、藤社神社の境内に残されています。 本殿の脇にひっそりと佇む「和奈佐祠(わなさほこら)」。
ここには、伝説で天女の羽衣を隠し、最後に彼女を追放した「和奈佐の老夫(わなさのおきな)」が祀られているのです。
なぜ「和奈佐」は祀られたのか?

現代の感覚からすれば、彼は恩を仇で返す「悪人」です。しかし、古代の信仰のロジックは少し違ったのかもしれません。
- 神を定着させた功績: 手段はどうあれ、彼は天上の神(トヨウケ)を地上(丹後)に引き留めることに成功しました。その結果、この地に稲作や酒造りの技術がもたらされ、土地が豊かになったことは事実です。彼は「神を捕まえた呪術的な英雄」として崇められた可能性があります。
- 在地豪族の支配権: 「和奈佐」とは、かつてこの地を支配していた豪族の名前だったとも考えられます。彼らは渡来系の技術(養蚕や酒造)を持った集団を配下に置き、その繁栄を独占した歴史が、この「搾取する老夫婦」の物語に変容したのかもしれません。
社名の「藤(ふじ)」は、もともと「比治(ひじ)=泥」が転訛したものだという説があります。天女がもたらしたのは、美しい物語ではなく、泥にまみれて稲を作る現実的な「豊かさ」だったのです。
伊勢へ去った神 そして1500年後の帰郷
家を追い出された天女(トヨウケ)は、その後どうなったのでしょうか。 伝説によれば、彼女は丹後各地を転々とした後、第21代雄略天皇の夢枕に立ち、こう告げたとされます。
「一人で食事をするのは寂しい。丹波にいる私の食事係の神(トヨウケ)を呼び寄せなさい」
こうして彼女は伊勢へと迎えられ、天照大神の食事を司る神として「外宮」に鎮座することになりました。これは見方を変えれば、人間(和奈佐)に裏切られた神が、ようやく安住の地(伊勢)を見つけた物語とも言えます。
昭和の「里帰り」
しかし、物語はここで終わりません。 昭和2年(1927年)、丹後大震災により藤社神社は倒壊してしまいます。その復興に際し、信じられない出来事が起こりました。
伊勢神宮の式年遷宮で出た「古材」が、藤社神社に下賜されたのです。
かつてこの地を去った神が住まう伊勢の社殿。その一部が、1500年の時を超えて丹後の地に戻り、藤社神社の本殿として再構成されました。 現在見ることができる神明造(しんめいづくり)の社殿は、天女が物理的に「里帰り」を果たした証とも言えるのです。
神話の舞台を歩く
藤社神社を訪れると、静寂の中にどこか物悲しさと、土着の力強さを感じることができます。
境内の「和奈佐祠」の前で手を合わせる時、私たちは単なる神話の登場人物ではなく、神の恵みを必死で地上に留めようとした古代の人間のエゴと、それすらも包み込んで豊穣をもたらした女神の慈悲に触れているのかもしれません。
「日本三景・天橋立」からもほど近い京丹後エリア。 次の旅では、美しい海の景色だけでなく、古代の「泥」と「涙」の記憶が眠る、この藤社神社へ足を運んでみてはいかがでしょうか。
【スポット情報】
- 名称: 藤社神社(ふじこそじんじゃ)
- 住所: 京都府京丹後市峰山町鱒留5405
- グーグルマップの位置情報
- アクセス: 京都丹後鉄道「峰山駅」から車・タクシーで約15分
- 備考: 近くには伝説の「比治山(磯砂山)」や、天女の娘が祀られる「比沼麻奈為神社」もあります。




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