「なぜ、神社の最高神であるはずの諏訪大明神が、お寺に仏像として祀られているのか?」
この素朴な疑問こそ、日本の複雑で奥深い宗教史、特に「神仏習合」と「廃仏毀釈」という壮大な歴史ドラマへの入り口です。長野県諏訪市に静かに佇む古刹、仏法紹隆寺(ぶっぽうしょうりゅうじ)。この寺こそ、その歴史の渦の中心で、諏訪の失われた記憶を守り抜いてきた「生きた博物館」なのです。
この記事では、歴史好きのあなたの知的好奇心をくすぐる、仏法紹隆寺の謎と魅力に迫ります。廃仏毀釈の嵐を生き延びた神々の物語、そして天才仏師・運慶の作と伝わる不動明王の謎を、一緒に紐解いていきましょう。
1200年の時を刻む、学びと信仰の砦
仏法紹隆寺の歴史は、大同元年(806年)にまで遡ります。征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征討の戦勝を諏訪の神に感謝して建立し、後に弘法大師空海が真言宗の学問道場として定めたと伝えられています 。
この寺は単なる祈りの場ではありませんでした。信濃・甲斐両国における真言宗の「田舎本山」として、僧侶たちが全国から経典を書き写して持ち帰る、いわば一大仏教研究センターだったのです 。その証拠に、今なお約6,000点もの古文書や聖教が所蔵されており 、その目録がオンラインで公開されているというから驚きです 。これは、寺がその学術的使命を現代にまで受け継いでいることの証左と言えるでしょう。
廃仏毀釈の嵐と、救い出された神々
仏法紹隆寺の物語を最も劇的にするのは、諏訪大社との深い関係です。
古来、日本では神と仏を同一視する「神仏習合」が当たり前でした。諏訪大社の祭神・諏訪大明神は、仏教の普賢菩薩の化身とされ、諏訪大社には祭祀を司る「神宮寺」が建てられていました 。仏法紹隆寺は、その神宮寺で奉仕する僧侶を養成する「神学校」のような役割を担っていたのです 。
しかし、明治維新。政府が出した「神仏判然令」は、全国で「廃仏毀釈」という激しい仏教弾圧運動を引き起こします。諏訪でも神宮寺は徹底的に破壊され、そこに祀られていた仏像たちは打ち壊される危機に瀕しました 。
この時、地域の真言宗筆頭寺院であった仏法紹隆寺が動きます。彼らは危険を顧みず、破壊される運命にあった神聖な仏像群を密かに救出したのです 。しかし、すべての仏像が無傷だったわけではありません。過激な者たちの手によって、仏の「神性」を奪うため、その眼が抉り取られるといった痛ましい傷跡が残されました 。
仏法紹隆寺は、美術品を救っただけではありません。日本の宗教史における一つの大きな断絶と、それに抵抗した人々の記憶を守り抜いたのです。

物語る仏像たち 二体の普賢菩薩像
仏法紹隆寺を訪れる歴史ファンが最も心惹かれるのが、諏訪大社から移された仏像群、特に普賢菩薩像です。実は、ここには来歴の異なる、少なくとも二体の重要な普賢菩薩像が存在します。
1.諏訪大明神そのもの「立つ象の普賢菩薩」
- 来歴: 元・諏訪大社上社神宮寺普賢堂の本尊 。まさに 諏訪大明神そのものとして崇拝されていました 。
- 特徴: 菩薩像自体は1593年の作ですが、台座の白象はなんと鎌倉時代(1292年)の作 。通称「象が立っている方」として知られています 。
- 歴史の傷跡: 廃仏毀釈の際に水晶の眼(玉眼)を抜かれるなどの損傷を負っています 。
なぜ像と台座の年代が違うのか?一説には、諏訪に陣を張った織田信長が、軍神としての諏訪大明神の力を恐れて元々の像を破壊し、後に再興されたためと言われています 。信長による破壊、民衆による再興、そして明治の弾圧。この一体の仏像が、日本の激動の歴史をその身に刻んでいるのです。

2.鎌倉の名仏師作「伏せる象の普賢菩薩」
- 来歴: 神宮寺の塔頭(小寺院)であった如法院の本尊 。
- 特徴: 鎌倉時代の作で、名仏師の一派である院派の作とされています 。通称「象が伏せている方」 。
- 脇侍の存在: この像と共に、普賢堂で脇侍を務めていた文殊菩薩像も移されています。この文殊菩薩像もまた、左眼を削り取られるという痛ましい傷を負っています 。
これらの仏像の存在は、今は失われた諏訪大社神宮寺の壮麗な姿を私たちに想像させてくれます。仏法紹隆寺は、諏訪の失われた神々の聖域の記憶を、今に伝えるタイムカプセルなのです。
天才・運慶の影?幕府と繋がる不動明王
この寺の至宝は、諏訪大社由来のものだけではありません。長野県宝に指定されている不動明王立像は、美術史ファンならずとも必見です 。
鎌倉時代の仏師集団・慶派の作であることは確定しており、X線調査では、像内から天才仏師・運慶が用いたものと似た形式の木札が発見されています 。運慶本人の作かどうかの研究が続けられていますが、その可能性は極めて高いとされています 。
この像は、鎌倉幕府の有力御家人であった諏訪氏を通じて寺にもたらされたと考えられています 。当時最高級のステータスを持つ運慶派の仏像がここにあるという事実は、諏訪氏が鎌倉の武家政権といかに強い繋がりを持っていたかを示す、動かぬ物証なのです。
時を超える境内 庭園と聖なる樹木
仏法紹隆寺の魅力は、お堂の中だけにとどまりません。境内を歩けば、400年にわたる美意識の変遷を体感できます。
- 時代の織物、四つの庭園: 諏訪地方最古とされる安土桃山時代の豪壮な石組みの庭園から、江戸、明治・大正、昭和と、各時代に造られた趣の異なる庭園が広がります 。
- 夫婦イチョウの伝説: 境内にある雄のイチョウと、諏訪大社大祝の屋敷跡にある雌のイチョウは「夫婦イチョウ」とされ、神道と仏教の深い結びつきを象徴しています 。
- 生命の大ケヤキ: 樹齢300年を超え、落雷や火災を生き延びた大ケヤキは、数々の災禍を乗り越えてきた寺自身の歴史と重なります 。
春は桜、秋は紅葉が境内を彩り、特に秋にはライトアップも行われ、幻想的な雰囲気に包まれます 。
仏法紹隆寺へのアクセスと拝観案内
この歴史の物語を体感しに、ぜひ仏法紹隆寺を訪れてみてください。

【所在地】 〒392-0012 長野県諏訪市四賀4373 Googleマップ
【アクセス】
- 車でお越しの場合:
- 中央自動車道「諏訪IC」より約8~10分 。
- 駐車場完備(約35台) 。
- 公共交通機関をご利用の場合:
- JR中央本線「上諏訪駅」または「茅野駅」で下車。
- 両駅から路線バスに乗車し、「四賀出張所前」バス停で下車後、徒歩約10分 。
- (平日のみ)JR上諏訪駅から諏訪市コミュニティバス「かりんちゃん子バス大和四賀線」に乗車し、「立畷川」バス停で下車後、徒歩約5分 。
【拝観案内】
- 拝観時間: 午前9時~午後4時
- 拝観料: 一般 500円(中学生以下無料)
- 休館日: 月曜日(祝日の場合は翌日)、8月7日、8月12日~15日
- その他: 拝観については、事前に予約が必要な場合があります。訪問前に公式サイトを確認するか、お電話でお問い合わせいただくことをお勧めします 。
さらに深く知りたい方へ
この記事で紹介した運慶作の可能性が高い不動明王像について、より専門的な知見に触れたい方には、以下の書籍がおすすめです。X線調査の結果など、さらに深い考察がなされています。
- 『運慶の挑戦 中世の幕開けを演出した天才仏』 松島健 著
- お近くの書店やオンライン書店でお求めいただけます 。
- 『一つ目の諏訪大明神 一目一足の鍛冶神と諏訪氏の謎』 (皆神山 すさ 著 / 彩流社)

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