【秋葉山本宮秋葉神社】空を翔ける天狗、地を照らす常夜灯。秋葉山が繋ぐ「異界」と「現世」

静岡県
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静岡県浜松市の山奥に鎮座する秋葉山本宮秋葉神社。表向きは「火防(ひぶせ)の神」として知られますが、その深層を掘り下げると、日本の宗教史における最も劇的で、不可思議な世界が見えてきます。

そこにあるのは、山頂の雲の上で繰り広げられる「天狗たちの饗宴」と、私たちが住む里の辻々に立つ「石の常夜灯」。一見無関係に見えるこの二つは、見えない「火防の絆」で強力に結ばれていました。

今回は、秋葉山を「異界」として捉え直し、空の守護者である「天狗」と、地上の道標である「常夜灯」が織りなす、壮大な信仰の謎に迫ります。

白狐に乗った異能の者「三尺坊」

秋葉神社の創建は和銅2年(709年)と伝わりますが、この山が爆発的な信仰を集めるようになった決定的な理由は、平安時代以降に現れたある一人の修験者の伝説にあります。

空飛ぶ修験者「三尺坊(さんじゃくぼう)」

伝承によれば、信州出身の修験者・三尺坊は、厳しい修行の末に神通力を得て、白狐」に乗って空を飛び、秋葉山に舞い降りたとされています。 彼は「火生三昧(かしょうざんまい)」という火を操る術に長けており、これが後に「秋葉大権現(あきはだいごんげん)」として、神と仏が融合した絶大な力を持つ神仏として崇められる源流となりました。

山を支配する「天狗」と「七十五膳」の儀式

三尺坊は、しばしば「大天狗」の姿で描かれます。修験道において、山野を駆け巡る行者は、死後あるいは修行の果てに天狗になると信じられていました。秋葉山において天狗は、大権現の眷属(従者)であり、火災現場へ瞬時に飛んでいき火を消し止める「空の火消し役」です。

この「天狗信仰」が生きた形で残されているのが、現在でも12月の火まつりの夜に行われる「七十五膳(しちじゅうごぜん)」の神事です。

見えない来客への饗応

祭りの夜、神職(かつては僧侶)たちは、海のもの、山のものを取り合わせた75種類もの膳を神前に供えます。

  • なぜ75なのか?75人の眷属(天狗たち)がいるとも、全国75カ国の代表として捧げるとも言われます。
  • 無言の給仕:供物を運ぶ神職は、口に白い紙をくわえ、一言も発しません。そこは「人ではないもの」の領域だからです。

伝承では、深夜、突風と共に天狗たちが現れ、供えられた膳の「気」を平らげると言われています。翌朝、供え物が少し乱れていると、人々は「今年も天狗様が召し上がった」と安堵し、翌年の火防を確信したのです。

神仏分離と新たな主祭神「火之迦具土大神」

江戸時代まで「秋葉大権現」として、神と仏、そして天狗が混然一体となっていた秋葉山ですが、明治維新と共に大きな転換期を迎えます。政府による「神仏分離令(しんぶつぶんりれい)」です。

「権現」の消失と神道の選択

「神」と「仏」を明確に分けるよう命じられた秋葉山は、「神道(神社)」として生き残る道を選びました。これにより、仏教的な要素を含んでいた「大権現」という名称は使えなくなり、山頂にあった仏教施設や仏像、そして三尺坊の信仰は、山を降りるか、寺院(可睡斎など)へと分離されることになりました。

現在の主祭神 火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)

では、大権現に代わって誰がこの山の主(あるじ)となったのでしょうか。それが、日本神話に登場する火の神、火之迦具土大神です。

  • 神話の背景イザナギとイザナミの間に生まれた神ですが、火の神であったために、母イザナミは大火傷を負って亡くなってしまいます。その怒りにより父イザナギに首を斬られますが、その血や体からも多くの神々が生まれました。
  • 火防の根拠:この神は、すべてを焼き尽くす恐ろしい「火の破壊力」そのものです。しかし、秋葉山ではこの強大な破壊の力を、信仰によって制御し、人々のための「浄化の火」「文明の火」へと変えることで、最強の火防の神として祀り続けているのです。

明治以降、三尺坊(仏・修験)の姿は見えなくなりましたが、その「火を操る」という本質は、日本神話の神の姿を借りて、変わることなくこの山に継承されています。

武田信玄と神仏習合の記憶

明治の分離政策で多くの仏教施設は姿を消しましたが、山頂に残る建築には「神仏習合」と「武家の威信」の記憶が刻まれています。

1943年の大火を免れた神門(随身門)(国の登録有形文化財)を見上げると、そこには「剣花菱(けんはないし)」の社紋が見えます。これは武田信玄の家紋に由来し、戦国最強の武将が、軍事的な勝利と領国の鎮護をこの山の「異能の力」に祈願した証です。 また、神門の重厚な彫刻や朱塗りの柱は、ここがかつて神と仏が混ざり合う「権現」の山であったことを雄弁に物語っています。

秋葉常夜灯の秘密

視点を山頂から地上の街道へと移しましょう。 東海地方や関東、信州の旧街道を歩いていると、「秋葉大権現」と刻まれた屋根付きの石灯籠、「秋葉常夜灯(じょうやとう)」をよく見かけます。

これは単なる街灯ではありません。江戸時代、これらは村を守る「聖なる社会基盤」でした。

  • 遥拝所(ようはいじょ) 遠く離れた秋葉山へ行けない人々は、この常夜灯に火を灯し、山に向かって手を合わせることで、天狗の霊威を村に招き入れました。
  • 結界(防壁) 常夜灯は村の入り口や辻に置かれ、「火災という災厄が入ってこないように」という結界の役割を果たしていました。

常夜灯は、空飛ぶ天狗たちと、地上の人々を繋ぐ「接点」のような存在だったのです。

参拝への道(アクセスガイド)

天狗たちが飛び立ったこの霊山は、標高866mの山頂に位置しています。現代においても、その参拝は「雲の上への旅」となります。

秋葉山本宮秋葉神社(上社)

  • 住所: 〒437-0626 静岡県浜松市天竜区春野町領家841
  • 電話: 053-985-0111
  • 拝観: 境内自由(祈祷受付 9:00〜15:00頃)

車でのアクセス(推奨)

標高866mの上社駐車場まで、車で直接上がることが可能です。かつての険しい山道は、現代の「スーパー林道」として整備されています。

  • ルート: 新東名高速道路「浜松浜北IC」より、国道152号線を北上し、天竜スーパー林道へ。所要時間はICから約45分〜1時間。
  • 駐車場: 上社駐車場(無料・約300台)が完備されています。
  • 注意: 山道のため、特に冬場(12月〜2月)は路面凍結や積雪への備え(スタッドレスタイヤ等)が必要です。

公共交通機関(バス)でのアクセス

公共交通機関での上社へのアクセスは、季節や曜日が限定されるため注意が必要です。

  • 基本ルート: 遠州鉄道「西鹿島駅」より遠鉄バス秋葉線に乗車。「秋葉神社」バス停下車(約40分)。ただし、このバス停は山麓の「下社」付近にあり、そこから上社へは徒歩(登山約2時間)またはタクシーの手配が必要です。
  • 【重要】季節限定・直通臨時バス: 参拝シーズンの11月〜1月(特定の日曜日や12/15・16、正月三が日など)に限り、西鹿島駅から上社へ直通する臨時バスが運行されることがあります。
    • 例年の運行目安:西鹿島駅 10:00発 → 上社 11:00着
    • ※運行スケジュールは年によって変動するため、必ず事前に遠州鉄道バスの最新情報をご確認ください。

見えない糸で結ばれた防災の網

秋葉信仰とは、人智を超えた超自然的な力への「畏怖」を、日々の暮らしを守るための「実利」へと巧みに変換した、先人たちの知恵の結晶なのです。 もし近所で古い石灯籠を見かけたら、刻まれた文字を確認してみてください。「秋葉」の文字があれば、それはかつて、遠く静岡の山奥に住む天狗たちと、あなたの街の人々を繋いでいた直通の経路の名残りなのです。

天狗にまつわる寺院

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