日本最古の歴史書『古事記』には、数多くの神々の物語が記されていますが、その中でも特に心優しく、そしてドラマチックな物語として知られるのが「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」です。
この物語は、単なる動物寓話ではありません。後の出雲の国造りの中心となる偉大な神・大国主神の優しさと思慮深さを描き出し、日本最古の恋物語の序章ともなる、壮大な神話の一部なのです。
この記事では、「因幡の白兎」の物語を深く掘り下げ、そのあらすじ、登場する神々、そして物語に隠された教訓を詳しく解説します。さらに、神話の舞台となった鳥取県の聖地を巡るためのガイドとして、中心的な役割を果たす白兎神社や白兎海岸の見どころ、アクセス方法までを網羅的にご紹介。
この記事を読めば、あなたも神話の世界に触れ、縁結びのルーツを辿る旅に出たくなるはずです。
『古事記』が描く「因幡の白兎」
まずは、この神話がどのような物語なのか、その詳細なあらすじから見ていきましょう。
登場人物
- 大穴牟遅神(おおなむちのかみ): 後の大国主神。心優しく、多くの兄弟神から虐げられている末弟 。
- 八十神(やそがみ): 大穴牟遅神の兄たち。「八十」は「非常に多い」という意味で、傲慢で意地悪な神々の集団として描かれる 。
- 白兎: 淤岐島(おきのしま)から本土へ渡ろうと和邇(わに)を騙し、罰として毛皮を剥がされてしまう兎 。
- 八上比売(やかみひめ): 因幡国に住む絶世の美女。八十神たちが求婚の相手として目指す姫 。
- 和邇(わに): 古代の言葉でサメや海ワニを指す海の生き物。兎に騙され、怒ってその毛皮を剥ぎ取る 。
物語のあらすじ 試練と慈悲、そして予言

出雲の国に住む八十神たちは、因幡の国にいる美しい八上比売に求婚するため、旅に出ます 。彼らは末弟である大穴牟遅神にすべての荷物を持たせ、従者のように扱いました。
一行が因幡の気多(けた)の岬にさしかかった時、全身の皮を剥がされ、赤裸で泣き伏している一羽の兎に出会います 。意地悪な八十神たちは、面白がって兎に嘘の治療法を教えます。「海の塩水を浴びて、風のよく通る山の頂で乾かすといい」と。兎がその通りにすると、塩水が乾くにつれて皮膚は裂け、痛みはますますひどくなるばかりでした。
兄たちに大きく遅れてやってきた大穴牟遅神は、苦しむ兎を見つけ、優しく声をかけます。「どうしてそんなに泣いているのですか?」。
兎は事情を打ち明けます。自分は淤岐島から本土に渡りたかったが、その術がなかった。そこで海の和邇を騙し、「自分の一族と和邇の一族、どちらが多いか比べよう」と持ちかけ、気多の岬まで一列に並ばせた和邇の背を数えるふりをして渡ってきたこと。しかし、渡りきる寸前で「お前たちは騙されたのさ」と口にしてしまったため、最後の和邇の怒りを買い、全身の毛皮を剥ぎ取られてしまったのだと。

話を聞いた大穴牟遅神は、兎を深く憐れみ、正しい治療法を授けます。「すぐに河口へ行き、真水で体を洗い清めなさい。そして、岸に生えている蒲(がま)の花粉を集めてその上に転がれば、体は元に戻るだろう」と。
兎が教えの通りにすると、不思議なことに体はすっかり癒え、元の美しい白兎の姿に戻ることができました。
感謝した兎は、大穴牟遅神にこう予言します。「あの意地悪な八十神たちは、決して八上比売を得ることはできません。この重い袋を背負っておられる心優しきあなたが、きっと彼女に選ばれるでしょう」と。
この予言は的中し、八上比売は傲慢な兄神たちを退け、心優しき大穴牟遅神を夫として選ぶのでした。

神話が伝える教訓
この物語は、子供向けの童話としても親しまれていますが、その根底には「因果応報」という深い教訓が流れています 。
- 兎: 和邇を騙したことで、皮を剥がれるという罰を受ける。
- 八十神: 兎に意地悪をしたことで、八上比売に振られる。
- 大穴牟遅神: 兎に優しさを示したことで、八上比売と結ばれるという幸運を得る。
「悪いことをすれば悪い結果が、良いことをすれば良い結果が返ってくる」という普遍的なテーマが、この神話の核となっています 。また、力や権威を振りかざす八十神たちではなく、他者の痛みに寄り添える大穴牟遅神が最終的に認められることから、「真の強さとは、力の強さではなく心の優しさにある」というメッセージも読み取ることができます 。
古代の知恵 蒲(がま)の穂の驚くべき薬効
大穴牟遅神が兎に教えた治療法は、単なる神話上の奇跡ではありません。蒲の花粉である「蒲黄(ほおう)」は、実際に古代から薬として用いられてきたのです 。
蒲黄には、現代科学で分析すると以下のような成分が含まれていることがわかっています。
- フラボノイド(イソラムネチンなど): 抗炎症作用や血管収縮作用があり、止血に効果的 。
- ステロール(β-シトステロールなど): 抗炎症効果を持つ 。
近年の研究では、蒲黄の抽出物が皮膚の再生に不可欠な細胞の活動を促進することも示されています 。つまり、大穴牟遅神の「真水で傷を清め、蒲黄で治癒する」という指示は、非常に合理的で効果的な医療処置だったのです。この物語は、古代の人々が自然の中から得た薬草の知識を、神話という形で後世に伝えていた証とも言えるでしょう。
神話の舞台へ 鳥取・白兎海岸エリアを巡る
「因幡の白兎」の物語は、現在の鳥取県鳥取市にある白兎海岸周辺が舞台とされています 。神話の世界を体感できる聖地を訪れてみませんか?
白兎神社(はくとじんじゃ) 日本最古の恋物語の聖地

物語の中心地であり、助けられた白兎自身が「白兎神」として祀られているのが白兎神社です 。
大国主神と八上比売の縁を取り持ったことから、日本最古の恋物語の発祥地とされ、2010年には「恋人の聖地」にも認定されました 。縁結びのご利益を求めて、全国から多くの参拝者が訪れるパワースポットです 。
【見どころ】

- 御身洗池(みたらしのいけ): 境内へ向かう参道の途中にある池。兎が体を洗った「水門(みなと)」と伝えられ、どんな天候でも水位が変わらないことから「不増不減の池」とも呼ばれています 。
- 白兎の石像: 参道の両脇には、様々なポーズをした可愛らしい兎の石像が並び、参拝者を和ませてくれます 。
- 結び石: 社務所で授与されている5つの石。願いを込めて鳥居の土台に乗せたり、石像に奉納したりすると願いが叶うと言われています 。
神話にちなみ、縁結びだけでなく、皮膚病平癒や火傷などにご利益があるとされています 。
白兎海岸と淤岐島(おきのしま) 神話の風景が広がる場所

白兎神社の目の前には、美しい弓なりの砂浜「白兎海岸」が広がっています 。ここが、兎が本土に上陸し、神々と出会った場所です。
海岸の沖合に浮かぶのが「淤岐島」。兎が元々住んでいた島とされ、島と岸の間に点在する岩礁は、兎が渡った和邇の背中のように見え、神話の世界へと誘います 。
夕暮れ時には日本海に沈む夕日が絶景で、ロマンチックな雰囲気に包まれます 。海岸沿いには、物語を歌った童謡「大黒さま」の歌碑も建てられています 。
道の駅 神話の里 白うさぎ
白兎神社と白兎海岸に隣接する「道の駅 神話の里 白うさぎ」は、観光の拠点として最適です 。2階の展望レストランからは白兎海岸を一望でき、1階の売店では白兎をモチーフにした縁結びグッズやスイーツ、地元の特産品が豊富に揃っています 。
白兎エリアへのアクセスガイド
【Googleマップ位置情報】
【公共交通機関でのアクセス】
- JR「鳥取駅」バスターミナルから日ノ丸バス「鹿野線」に乗車し、約40分。「白兎神社前」バス停で下車すぐです 。
【車でのアクセス】
- 鳥取自動車道「鳥取IC」から国道29号線、国道9号線を経由して約25分 。
- 道の駅「神話の里 白うさぎ」に無料駐車場があります 。
大国主神ゆかりの地
「因幡の白兎」は、大国主神が数々の試練を乗り越え、国造りの神となる壮大な物語の序章に過ぎません。彼の足跡を辿ることで、神話の世界はさらに広がります。
赤猪岩神社(あかいいわじんじゃ) 再生と復活のパワースポット

兎の予言通り八上比売と結ばれた大国主神は、兄神たちの激しい嫉妬を買い、命を狙われます 。兄神たちは「赤い猪を捕まえろ」と騙し、真っ赤に焼いた大岩を転がして大国主神を焼き殺してしまいました 。
しかし、母神の深い愛情と神々の力によって、大国主神はこの地で蘇ります。この再生神話の舞台となったのが、鳥取県南部町にある赤猪岩神社です。一度は命を落としながらも復活を遂げたことから、再生・再起のパワースポットとして信仰を集めています。
【Googleマップ位置情報】
【アクセス】
- 公共交通機関: JR山陰本線「米子駅」から日ノ丸バス「上長田・大木屋」方面行きで約30分、「赤猪岩神社前」下車。
- 車: 米子自動車道「溝口IC」から約20分。
出雲大社(いずもおおやしろ) 国造りの神が鎮まる聖地

数々の試練を乗り越え、地上世界の国造りを成し遂げた大国主神が、主祭神として祀られているのが島根県の出雲大社です 。縁結びの神様としてあまりにも有名ですが、そのルーツは「因幡の白兎」から始まる大国主神の物語にあります。
白兎神社から始まる神話の旅の終着点として、または新たな始まりの地として、ぜひ訪れたい日本の聖地です。
【Googleマップ位置情報】
【アクセス】
- 公共交通機関: 一畑電車「出雲大社前駅」から徒歩約10分。JR「出雲市駅」から一畑バス「出雲大社」行きで約25分。
- 車: 山陰自動車道「出雲IC」から約15分。
おすすめの参考文献
神話の世界にさらに深く触れたい方のために、おすすめの書籍をご紹介します。
『古事記』を読んでみよう(現代語訳)
- 『現代語古事記 決定版』竹田恒泰(Gakken)
- 『古事記 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集01)』池澤夏樹(河出書房新社)
- 『新版 古事記 現代語訳付き』中村啓信(角川ソフィア文庫)

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