「熊野」と聞いて、多くの人が和歌山県の熊野三山や熊野古道を思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、神話の故郷・出雲の国、現在の島根県にも「熊野大社」という、紀伊の熊野に勝るとも劣らない古社が存在することをご存知ですか?
「え、熊野って二つあるの?」「どっちが本物?」「何か関係があるの?」
そんな疑問が次々と湧いてきますよね。実はこの二つの聖地の関係は、単に「どちらが本社か」という言葉では片付けられない、深く、そして謎に満ちた物語を秘めているのです。
今回は、神話好きの探求心をくすぐるこの大いなる謎、出雲の熊野大社と紀伊の熊野本宮大社の関係について、その深層を徹底的に掘り下げていきましょう!
神話の源流に佇む古社 出雲國一之宮 熊野大社
まず私たちが訪れるのは、神々の国・出雲。ここに鎮座するのが出雲國一之宮 熊野大社です。

出雲大社よりも格上だった?古代の記録が示す絶大な権威
驚くべきことに、8世紀に書かれた『出雲国風土記』では、熊野大社は現在の出雲大社(当時は杵築大社)と並んで、出雲でたった二つしかない「大社(おおやしろ)」と記されています。さらに、朝廷に奏上される祝詞「出雲国造神賀詞」では、熊野大神の名が出雲大社の神より先に呼ばれているのです 。これは、古代出雲において熊野大社が極めて高い地位にあったことを物語っています。
スサノオの別の顔?謎多き主祭神
熊野大社の主祭神は神祖熊野大神櫛御気野命(かぶろぎくまののおおかみくしみけぬのみこと) 。なんとも長く厳かなお名前ですが、この神は後に英雄神スサノオノミコトと同一視されるようになります 。

しかし、『出雲国風土記』では、この神は「伊射那伎(いざなき)の日真名子(ひまなご)」、つまり「父イザナキの愛し子」と記されています 。『古事記』や『日本書紀』の乱暴者スサノオとは少し違う、出雲独自の愛情深い神格が浮かび上がってくるのが面白いところです。
「火」を司る根源的な聖地
熊野大社の最もユニークな点は、「日本火出初之社(ひのもとひでぞめのやしろ)」、つまり日本で最初に火が起こされた場所とされることです 。今でも「鑚火祭(さんかさい)」という神事で、昔ながらの方法で火を鑽り出しています。

そして、この「聖なる火」は、出雲大社で最も重要な新嘗祭の際に、熊野大社から授けられるのです 。これは、古代において熊野大社が、出雲大社にとっても力の源泉と見なされていたことの何よりの証拠。神話の世界の序列が、今も儀式の中に生きているのです。
全国に広がる信仰のネットワーク 熊野本宮大社
次に旅するのは、紀伊半島。深い山々に抱かれた聖地、熊野本宮大社です。

「蟻の熊野詣」と「人生の甦り」
熊野本宮大社は、熊野速玉大社 、熊野那智大社とともに
熊野三山を構成する中心的な存在。平安時代後期から、その信仰は爆発的に全国へ広がりました。「蟻の熊野詣」とまで言われ、天皇から庶民まで、あらゆる人々が救いを求めて険しい熊野古道を歩いたのです 。
なぜそれほどまでに人々を惹きつけたのか?それは、熊野が掲げた「人生甦り」というパワフルな理念にありました 。熊野への巡礼は、現世の罪や穢れをリセットし、魂を再生させる旅だと信じられていたのです。
神と仏が融合したスーパーゴッド「熊野権現」
熊野本宮大社の主祭神は家都美御子大神(けつみこのおおかみ)。この神は、仏教の阿弥陀如来が日本の神の姿で現れた「権現(ごんげん)」とされました。

この神と仏のハイブリッド化(神仏習合)こそ、熊野信仰が全国区になった最大の理由です。仏教が深く浸透していた中世社会において、熊野の神々は仏の化身として、より多くの人々に受け入れられました。出雲の熊野大社が古来の伝統を守り続けたのに対し、紀伊の熊野は時代に合わせて巧みに神学をアップデートし、人々の心をつかんだのです。
そもそも「熊野」ってどういう意味?地名に隠された秘密
ここで一つの疑問が浮かびます。なぜ遠く離れた二つの土地が、同じ「熊野」という名を持つのでしょうか?
その語源には諸説ありますが、有力なのは「隈(くま)」や「隠る(こもる)」から来ているという説 。つまり、「熊野」とは、人里離れた奥深い場所、神秘的な隠れ里といった意味を持つ言葉だったと考えられます。
また、死者の魂が赴く「黄泉の国」との境界であり、祖霊が籠る場所という意味合いも指摘されています 。紀伊の熊野の「甦り」信仰は、まさにこの死と再生の境界というイメージと深く結びついています。
つまり、「熊野」とは特定の地名である前に、「神秘的で奥深い聖地」を指す一種の概念だったのかもしれません。もしそうなら、出雲と紀伊が直接的な関係なく、それぞれ独立して「熊野」と名付けられた可能性も十分に考えられます。
本社はどっちだ!?起源を巡る大論争
さて、いよいよ本題です。二つの熊野、どちらが先にあったのでしょうか?これには大きく分けて3つの説が存在します。
1. 出雲発祥説 「元祖・熊野」の主張
島根の熊野大社の社伝には、出雲の熊野村の住人が紀伊に移住し、故郷の神を祀ったのが紀州熊野の始まりだと記されています 。現地の神職の方も、出雲から炭焼きの技術と共に移住したという話を伝えています 。古代からの由緒を考えれば、こちらが「本家」だという主張です 。
2. 紀伊発祥説 学術界からのカウンター
これに対し、神話学者の松前健氏などは紀伊発祥説を唱えます 。その根拠は、紀伊の神々を祀る人々が強力な海洋氏族であり、海を通じて信仰を広める力があったこと。また、平安時代の神社の格式では、紀伊のスサノオ関連神社のほうが、出雲のそれより格上とされていたことなどを挙げています 。
3. 並行発展説 二人は兄弟だった?
そして第三の説が、両者はそれぞれ独立して発生し、後に影響を与え合ったとする「並行発展説」です 。前述の語源のように、似たような地形や文化的背景を持つ土地で、それぞれ「熊野」信仰が生まれ、発展したという考え方です。「本社・分社」という関係自体が、後から自らの権威を高めるために作られた物語かもしれない、というわけです。
二つの熊野、これだけ違う!
ここで、両社の特徴を比較してみましょう。
| 特徴 | 熊野大社(島根) | 熊野本宮大社(和歌山) |
| 主祭神 | 神祖熊野大神櫛御気野命(スサノオ) | 家都美御子大神(阿弥陀如来/スサノオ) |
| 歴史的ピーク | 8世紀には国家的に重要な神社 | 11世紀以降、全国的な巡礼の中心地に |
| 信仰スタイル | 古典的神道、地域の神話がベース | 神仏習合、全国・万民向けの救済と甦り |
| 創祀神話 | イザナキの「愛し子」の物語 | 八咫烏(やたがらす)の導きの物語 |
| キーワード | 火の根源、出雲神話の核 | 人生の甦り、全国信仰の中心 |
親子ではなく、同じ源から生まれた二つの個性
結局のところ、出雲と紀伊の熊野の関係は、「本社か分社か」という単純な親子関係では説明できません。
両者の根底には、「熊野」という「神秘的な奥深い聖地」への畏敬の念という共通の源流があります。
そこから、出雲の熊野大社は、古代の神話と儀式を純粋な形で守り伝える「古典」として。 一方、紀伊の熊野本宮大社は、時代のニーズに応えて神仏習合というイノベーションを起こし、全国に広がった「革新」として。
それぞれが独自の進化を遂げた、「同じ源から生まれた、二人の偉大な兄弟」と考えるのが、最もその実像に近いのかもしれません。
この謎多き二つの聖地を訪れ、その空気の違いを肌で感じてみれば、あなただけの神話の答えが見つかるかもしれませんよ。
聖地へのアクセスガイド
出雲國一之宮 熊野大社(島根県)
- 公共交通機関でのアクセス
- JR松江駅から一畑バス「大庭・八雲」行きで「八雲ターミナル」下車(約30分)。そこからAIデマンドバスに乗り換え、下車すぐ 。
- JR松江駅からバスで約45分(途中乗り換えあり)、「熊野大社前」下車、徒歩5分というルートもあります 。
- 車でのアクセス
- JR松江駅から約30分 。
- 山陰自動車道「東出雲IC」から県道53号線経由 。
- 無料駐車場あり(約100台) 。
- 地図
- 住所: 〒690-2104 島根県松江市八雲町熊野2451
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熊野本宮大社(和歌山県)
- 公共交通機関でのアクセス
- JR紀伊田辺駅から: 龍神バスまたは明光バスで約2時間。「本宮大社前」下車 。
- JR新宮駅から: 熊野御坊南海バスまたは奈良交通バスで約1時間~1時間20分。「本宮大社前」下車 。
- 南紀白浜空港からもバスが出ています(約2時間20分) 。
- 車でのアクセス
- 紀勢自動車道「上富田IC」から国道42号、311号、168号線経由で約1時間15分 。
- 阪和自動車道「有田IC」から龍神村経由で約1時間40分 。
- 無料駐車場あり 。
- 地図
- 住所: 〒647-1731 和歌山県田辺市本宮町本宮1110
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【参考文献・もっと深く知りたい方へ】
今回の記事で触れた内容をさらに深く探求したい方向けに、関連書籍をご紹介します。
- 『出雲国風土記』
- 『日本三代実録』
- 平安時代の歴史書で、熊野大社(島根)の神階昇叙の記録などが含まれています。
- 松前健氏の著作
- 紀伊発祥説を唱えた神話学者。日本の神話研究における重要人物です。

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