歴史の教科書では数行で語られる敗者、北条時行。
公式の記録では、時行は正平8年(1353年)に鎌倉・龍ノ口で処刑されたとされています 。しかし、遠く離れた信濃国、現在の長野県下伊那郡大鹿村の山中に、彼の「墓」とされる供養塔がひっそりと存在しているのをご存知でしょうか 。
処刑されたはずの若君の墓が、なぜ信濃の秘境に? この記事では、歴史好きのあなたと共に、史実と伝説が交差するこのミステリアスな場所の謎を紐解き、実際に訪れるための完全ガイドをお届けします。
なぜ大鹿村なのか? 伝説が生まれた歴史的背景
この供養塔は、単なる後世の創作物ではありません。そこには、時行とこの地を結びつける確かな歴史的文脈が存在します。
南朝方の抵抗拠点としての伊那谷
鎌倉幕府滅亡後、時行は南朝に与し、足利氏への抵抗を続けました。そして、彼が潜伏し、再起を図った信濃国、特に大鹿村を含む伊那谷一帯は、南北朝時代を通じて南朝方の重要な拠点でした 。
この地を拠点としていたのが、後醍醐天皇の皇子であり、当代随一の歌人でもあった宗良親王です 。親王は30年以上にわたりこの地から南朝勢力の回復を目指して戦い続けました 。
記録によれば、時行は宗良親王と共に信濃の大徳王寺城で挙兵するなど、密接に連携して北朝方と戦っています。もともと信濃国は北条得宗家の勢力基盤でもあり、時行にとって、そして彼を匿う人々にとって、この地は抵抗の砦だったのです。
地域に根付く時行の記憶
大鹿村の桶谷(おけたに)地区には、時行の隠れ家伝説が色濃く残っています 。かつてこの地区には「北条」姓を名乗る家が数軒あったという伝承もあり 、時行の記憶が地域史と深く結びついていることを物語っています。
遠い鎌倉で非業の死を遂げた若き主君。彼を匿い、共に戦った信濃の人々が、その魂の冥福を祈り、最も縁の深いこの地に供養塔を建てた。そして、「主君には生きていてほしかった」という人々の切なる願いが、「処刑されたのは影武者だった」という生存伝説を生み出していったのではないでしょうか 。
【最重要】供養塔訪問の前に必ずお読みください
伝説の地への訪問は、ロマンを掻き立てられますが、それ以上に厳格なルールと危険が伴います。以下の注意点を必ず理解し、遵守してください。
- 私有地です 供養塔および周辺一帯は個人の私有地です 。地権者のご厚意により遊歩道が整備されていますが、 道以外の場所への立ち入りは絶対にやめてください 。
- 訪問前に必ず公式情報を確認 現地の状況(土砂崩れなど)や地権者の意向により、予告なく立ち入りが禁止される場合があります 。訪問を計画する際は、 必ず事前に大鹿村役場の公式ウェブサイトで最新情報を確認してください。
- 熊の生息地です この地域は熊の生息地です。熊鈴や携帯ラジオを携行するなど、十分な対策が不可欠です 。
- 装備は万全に 供養塔へは未舗装の山道を歩きます。水が流れている場所や滑りやすい箇所もあるため、トレッキングシューズや山歩きに適した服装が必須です 。
アクセスガイド

位置情報(Googleマップ)
- 北条時行供養塔 グーグルマップの位置情報
自動車でのアクセス
供養塔への訪問は自動車が必須です。 最寄りのICは中央自動車道「松川IC」です。松川ICから国道153号線を経由し、県道59号線、県道253号線を通って大鹿村へ向かいます。松川ICから村の中心部まで約40分、
公共交通機関でのアクセス
結論から言うと、公共交通機関のみで供養塔を訪れるのは極めて困難です。
- 鉄道: 村内に鉄道は通っていません。最寄り駅はJR飯田線の伊那大島駅です 。
- 路線バス: 伊那大島駅から大鹿村方面へ伊那バスの路線バスが1日数往復運行されています 。しかし、バス停(大河原など)から供養塔まではかなりの距離があり、徒歩での移動は現実的ではありません。
- 高速バス: 新宿や名古屋などから中央道松川バス停までの高速バスがあります 。松川バス停から伊那大島駅まで移動し、そこから路線バスに乗り換えることになりますが、接続便は非常に少ないです 。
合わせて訪れたい!大鹿村の関連史跡
せっかく大鹿村まで足を運ぶなら、時行の伝説が生まれた歴史的背景をより深く体感できる宗良親王ゆかりの史跡も巡ってみましょう。
- 大河原城址: 宗良親王を生涯にわたって守護した香坂高宗の居城跡。険しい自然の地形を利用した天然の要害です 。 グーグルマップの位置情報
- 宝篋印塔(宗良親王の墓標塔): 親王の終焉の地が大河原であったことを裏付ける貴重な史跡とされています 。
- 信濃宮神社: 宗良親王をお祀りした神社。この地に親王の記憶が深く刻まれていることを感じられます 。 グーグルマップの位置情報

歴史の敗者に思いを馳せる旅
北条時行の物語は、龍ノ口の処刑という「史実」と、大鹿村の供養塔という「伝説」の二つがあってこそ、深みを増します。 大鹿村の小さな石碑は、強大な権力に屈することなく戦い抜いた若き貴公子の魂を、どうにかしてこの世に留めたいと願った人々の祈りの結晶です。
この地を訪れる際は、歴史への敬意、そして土地とそこに暮らす人々への最大限の配慮を忘れずに。あなたの旅が、歴史の行間に埋もれた物語に光を当てる、素晴らしい体験となることを願っています。
参考文献
より深く北条時行と彼が生きた時代を知るための書籍をご紹介します。


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