長野県、諏訪湖を囲むこの神秘的な土地には、日本の古代史における最大の敗者の一人と、ヤマト王権以前からこの地を治めていた土着の神、二つの「モリヤ」の伝説が複雑に絡み合い、今なお色濃く残っています。
この記事では、歴史好きのあなたを、諏訪信仰の深層に隠された「モリヤ」の謎を解き明かします。
中央の政争に敗れた物部守屋の亡命伝説、諏訪の地主神洩矢神の神話、そして諏訪大社と守屋山を巡る論争。点在する三つの「モリヤ神社」を巡りながら、古代日本の信仰が織りなす壮大な謎を紐解いていきましょう。
二人の「モリヤ」 敗者の系譜と土着の神格
諏訪の物語を理解する鍵は、「モリヤ」という名が指し示す二つの異なる存在にあります。
追放された権力者 物部守屋
6世紀末、仏教導入を巡って蘇我氏・聖徳太子連合軍と争い、敗れた大連・物部守屋 。公式の歴史ではその一族は滅ぼされたとされていますが、信濃国には、その子や一族が追手を逃れてこの地に潜み、血脈を繋いだとされる伝説が強く根付いています 。その中心地が、伊那市高遠町にひっそりと佇む物部守屋神社です 。

土地の守護神 洩矢神
一方、諏訪にはヤマトの神々が訪れる以前から信仰されてきた土着の神がいました。その名を洩矢神(もりやのかみ)といいます 。神話では、外部から来た建御名方神(諏訪大社の祭神)に抵抗し、敗れたとされています 。
しかし、興味深いことに、洩矢神の子孫である守矢氏は滅ぼされることなく、諏訪大社の祭祀を司る最高位「神長官(じんちょうかん)」として、明治維新まで実質的な宗教的権威を握り続けたのです 。この「敗北と任命」の物語は、侵略と融和によって成立した諏訪の二重権力構造を正当化する神話と言えるでしょう。
この二つの「モリヤ」は、「もりや」という音の響きだけでなく、「旧来の秩序を守り、新たな勢力に敗れた者」という共通の物語によって、時代を経て次第に重ね合わせられていきました 。守矢氏は自らの祖先を、地方の土着神から中央の悲劇の貴公子・物部守屋へと結びつけることで、その権威をさらに高めていったのかもしれません 。

聖なる山の謎 諏訪大社が指し示す本当の信仰対象
諏訪大社上社本宮を訪れた者は、その不思議な配置に気づくかもしれません。主要な祈祷殿である勅願殿などが、本殿ではなく、南方にそびえる守屋山の方角を向いて建てられているのです 。
諏訪大社の公式見解では、御神体は境内裏の「宮山」とされ、守屋山は直接の信仰対象ではないとされています 。しかし、建築物の配置や古代の祭祀跡が示す軸線は、明らかに守屋山を指し示しており、ここが本来の信仰の中心であったことを物語っています 。
この矛盾は、諏訪信仰の歴史そのものを映し出しています。もともと守屋山を神奈備(神が宿る山)とする自然崇拝があり、後に建御名方神を祀る社殿が建てられた際、信仰の中心を山から社殿へと移すために、意図的に軸線がずらされたのではないでしょうか。諏訪大社の境内は、幾層にもわたる信仰が上書きされたのです。
古代信仰の守護者 神長官守矢氏の秘密
諏訪信仰の謎を解く上で欠かせないのが、神長官・守矢氏の存在です。彼らは、現人神(あらひとがみ)とされた大祝(おおほうり)が象徴的な存在であったのに対し、祭祀の執行者として実権を掌握していました 。
その知識の源泉は、茅野市にある神長官守矢史料館に眠っています 。ここには武田信玄からの書状などを含む膨大な古文書「守矢文書」が収蔵されていますが、真の奥義は文字に記されず、一子相伝の口伝によって、火の気のない祈祷殿で「口移し」に伝えられたといいます 。明治維新による神職世襲制の廃止は、この古代からの知の連鎖を断ち切り、その多くが永遠に失われてしまいました 。
縄文の魂 ミシャグジ信仰と血の儀式「御頭祭」
守矢氏が司っていた祭祀の核心には、諏訪信仰の基層をなす、さらに古い信仰が存在します。それが、謎多き精霊「ミシャグジ」です 。
ミシャグジは土地や石に宿る原初的な力とされ、その信仰は縄文時代にまで遡るとも言われています 。諏訪大社の祭神たちは、この強力な土着信仰の上に君臨する、後代の神々だったのです。
この古層の信仰が最も色濃く表れるのが、かつて行われていた「御頭祭(おんとうさい)」です。神長官守矢史料館には、江戸時代の学者・菅江真澄の写生を元に復元された展示があり、その驚くべき内容を今に伝えています 。

祭壇には75頭もの鹿の首が並べられ、兎の串刺し、生の獣肉などが捧げられました 。さらには、少年を柱に縛り付けて解放するという、象徴的な人身御供の儀式まで存在したのです 。この荒々しい儀式は、狩猟文化の記憶を留め、自然の生命力を共同体に取り込むための聖なる交感でした。
現在、御頭祭は毎年4月15日に行われていますが、生首は剥製に置き換えられ、その姿を大きく変えています 。それでもなお、古代信仰の断片を垣間見ることができる貴重な機会です。
三つの守屋を巡る旅 探訪実践ガイド
さあ、実際に「守屋」の謎を追う旅に出かけましょう。ここでは、物語の核となる4つのスポットへの訪問情報をご紹介します。
1. 物部守屋神社(伊那市高遠町)
中央政争に敗れた物部守屋の伝説が眠る場所。諏訪大社の特徴である御柱がないことが、ここが諏訪信仰とは異なる、物部氏独自の祖先崇拝の地であったことを物語っています 。

- 見どころ: 覆屋に守られた本殿、物部氏の神紋「丸に三つ柏」。静かな山間に佇み、歴史の敗者に思いを馳せるには最適な場所です。
- Googleマップ: 長野県伊那市高遠町藤沢7165
- アクセス:
- 車: 中央自動車道「小黒川スマートIC」または「伊那IC」からアクセス 。国道152号線沿いにあり、バスの転回場所などに駐車スペースがあります 。
- 公共交通機関: JR飯田線「伊那市駅」からバスで「高遠駅」へ乗り換え、季節運行のJRバスで「守屋登山口」下車 。本数が少ないため、タクシーやレンタカーの利用が現実的です 。
2. 洩矢神社(岡谷市)
土着の神・洩矢神を祀る神社。神話では建御名方神との決戦の地とされる天竜川の近くに鎮座します 。諏訪地方では珍しい建築様式も注目です 。

- 見どころ: 洩矢神と建御名方神の戦いの神話に思いを馳せる立地。地域の産土神としての素朴ながらも力強い雰囲気。
- Googleマップ: 長野県岡谷市川岸東1-12
- アクセス:
- 車: 長野自動車道「岡谷IC」から約10分 。神社向かいの社務所に駐車場があります 。
- 公共交通機関: JR中央本線「岡谷駅」から徒歩約15分 。コミュニティバス「シルキーバス」の「洩矢社前」バス停からは徒歩1分です 。
3. 守屋山 奥宮(守屋山頂)
諏訪大社の「真の御神体」とも噂される守屋山の山頂(東峰)にある石の祠 。360度の絶景が広がり、この場所が持つ特別な力を体感できます 。

- 見どころ: 鉄柵に囲まれた小さな祠。これは、日照りが続いた際に神を怒らせて雨を降らせるため、祠を谷に突き落とすという過激な雨乞い儀式から守るためのもの 。山頂からの諏訪湖と周囲の山々の大パノラマは圧巻です。
- Googleマップ: 杖突峠登山口駐車場 守屋山 東峰山頂
- アクセス:
- 登山が必要です。最も一般的なのは杖突峠(つえつきとうげ)からのルートで、山頂まで往復約2時間半~3時間です 。
- 車: 杖突峠にある広い駐車場を利用するのが便利です 。
- 公共交通機関: シーズン中は茅野駅や高遠駅から杖突峠への路線バスが運行されますが、本数が限られるため事前に確認が必要です 。
4. 神長官守矢史料館(茅野市)
古代信仰の秘密を今に伝える守矢氏の邸宅跡に建つ史料館。建築家・藤森照信氏のデビュー作としても知られ、建物自体が一見の価値あり 。

- 見どころ: 衝撃的な「御頭祭」の復元展示 。自然素材を活かした独創的な建築。
- Googleマップ: 長野県茅野市宮川389-1
- アクセス:
- 車: 諏訪大社上社前宮の近く。専用駐車場があります。
- 公共交通機関: JR中央本線「茅野駅」からタクシーで約10分。徒歩の場合は約35分かかります 。
さらに深く知るために 参考文献
このテーマにさらに深く分け入りたい方のために、参考となる書籍をいくつかご紹介します。
- 『諏訪の神 封印された縄文の血祭り』 戸矢 学 (著)
- 諏訪信仰の根底にある縄文的な要素や、物部守屋の怨霊鎮魂といった大胆な仮説を展開。知的好奇心を強く刺激される一冊です。
- Amazonで購入する
- 『QED 諏訪の神霊』 高田 崇史 (著)
- 御柱祭をテーマにした歴史ミステリー小説。物語を楽しみながら、諏訪信仰の複雑な背景や謎に触れることができます。
- Amazonで購入する
- 『物部氏の古代史』 篠川 賢 (著)
- 物部氏の実像に迫る研究書。諏訪の伝説の背景にある、物部氏そのものの歴史を深く理解したい方におすすめです。
- Amazonで購入する
- 『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』 古部族研究会 (編)
- ミシャグジ信仰や古代の祭祀について、より専門的に掘り下げた論考集。ディープな探求を求める方向けです。
- Amazonで購入する

コメント