滋賀県長浜市。琵琶湖の北端に、ひっそりと水を湛える湖があります。 余呉湖(よごこ)。 周囲約6.4キロメートル、三方を山に囲まれたこの湖は、流入・流出する大きな河川を持たない閉鎖水系です。それゆえ水面は波立ちにくく、空をそのまま映し出すことから、古来「鏡湖(きょうこ)」と呼ばれてきました。
この神秘的な水辺には、日本各地に伝わる「羽衣伝説」の中で、最も古く、かつ最も政治的な意図を持った物語が眠っています。
私たちが知る「天女と羽衣」は、美しい昔話ですが、ここ余呉に残る記録には、「白犬による略奪」や、古代豪族による「血統の正当化」が刻まれているのです。 今回は、奈良時代の『近江国風土記』逸文を片手に、余呉湖畔に残る歴史のパズルを解き明かす旅に出かけます。
『近江国風土記』が語るリアリズム
余呉湖の羽衣伝説が「日本最古」とされる根拠は、奈良時代初期(723年頃)に編纂された『近江国風土記』の逸文(『帝王編年記』所引)にあります。 有名な「三保の松原(静岡)」や「丹後(京都)」の伝説と比較しても、その内容は極めて具体的で、ある種のリアリズムを帯びています。
「伊香刀美」とは何者か
一般的な昔話では、羽衣を隠すのは名もなき漁師や農夫です。しかし、余呉の伝説の主人公は「伊香刀美(いかとみ)」という人物です。 彼はこの地、近江国伊香郡を治める有力者であり、神事に関わる祭祀王的な性格を持っていたと考えられています。
物語は、伊香刀美が余呉湖(当時は伊香小江と呼ばれた)の南岸で、8人の天女が白鳥となって水浴びをしているのを目撃するところから始まります。彼はその神々しさに一目惚れするのですが、ここで驚くべき行動に出ます。
実行犯は「白犬」というトリックスター

伊香刀美は自ら羽衣を盗みません。彼が遣わしたのは、お供の「白犬(しろいぬ)」でした。
「白犬を遣わして、末の天女の羽衣を盗ませた」
古代において、犬は現世と異界を行き来する霊獣であり、狩猟のパートナーです。特に「白」は神聖さを表します。 ここには、伊香刀美が単なる力づくの略奪者ではなく、霊的な動物を使役できるシャーマン的な能力者であったこと、あるいはこの「盗み」が神意に基づく儀式的な行為(神婚儀礼)であったことが示唆されています。
悲恋ではなく「始祖神話」
羽衣を失った末の天女は天に帰れず、伊香刀美の妻となります。そして二人の間には、以下の4人の子供が生まれます。
- 意美志留(オミシル):長男
- 那志等美(ナシトミ):次男
- 伊是理比咩(イゼリヒメ):長女
- 奈是理比賣(ナゼリヒメ):次女
風土記は、この子供たちが「伊香連(いかごのむらじ)」の先祖であると明記しています。 つまり、この伝説は「かわいそうな天女の話」ではありません。湖北の豪族・伊香氏が、「我々の身体には天界の神の血が流れている」と高らかに宣言するための、政治的な「始祖神話」だったのです。
母である天女が最終的に羽衣を見つけて天へ帰ってしまう結末も、神話学的には重要です。母が地上で死んでしまっては「ただの人」になってしまいます。天に帰還することで、彼女は永遠に「神」であり続け、その子孫である伊香氏の権威も保たれるのです。
なぜ天女の子が「菅原道真」になったのか?
時代が下り、平安時代から中世にかけて、この伝説はさらに複雑な変容を遂げます。 古代豪族の物語が薄れる一方で、新たに台頭してきた天神信仰(菅原道真公への崇拝)と強力に結びついたのです。
桐畑太夫と「菅山寺」の僧侶
中世の伝承(『近江輿地志略』など)では、主人公は伊香刀美から、余呉湖畔・川並集落の「桐畑太夫(きりはたたいふ)」という長者に変わります。 そして最大の変化は、天女が帰還した後に残された子供の運命です。
母を失って泣き叫ぶ子供の声は、まるで法華経を読誦しているように聞こえたといいます。これを哀れんだ近くの山岳寺院・菅山寺(すがやまでら)の僧侶が子供を引き取ります。 この子供こそが、後の菅原道真である、というのです。
孤独な魂の共鳴
史実の道真は京都生まれであり、余呉湖との関係はありません。しかし、なぜこのような奇妙な習合が起きたのでしょうか。
- 地名の符合:余呉湖近くの山が「菅山(すがやま)」であり、「菅原」姓と類似していた。
- 貴種流離譚:大宰府へ左遷された道真の悲劇と、地上へ降りて帰れなくなった天女(あるいは母を失った子供)の孤独が、人々の心の中で重なり合った。
地域の人々は、自分たちの土地にある伝説を、当時流行していた最強の神様「天神様」と結びつけることで、物語をアップデートし、守り抜こうとしたのかもしれません。
余呉湖畔に残る伝説の痕跡
文献に残るだけでなく、余呉湖周辺には伝説を裏付ける史跡が点在しています。これらを巡ることで、物語はより立体的に見えてきます。
衣掛柳(ころもかけやなぎ)の再生

余呉湖の北岸、一本の巨木が立っています。天女が水浴びの際に羽衣を掛けたと伝わる柳です。 植物学的には「マルバヤナギ(アカメヤナギ)」の巨木で、2017年の台風で幹が折れる被害を受けましたが、現在は「ひこばえ(若芽)」が育ち、生命の強さを感じさせます。ここは、かつて「白犬」が駆け抜けた場所かもしれません。
乎彌(おみ)神社と乃彌(のみ)神社

伝説の信憑性を高めるのが、これらの神社です。 余呉湖の北、下余呉に鎮座する乎彌神社の祭神は、天女の長男である「意美志留(オミシル)」。 そして、かつて存在した乃彌神社(現在は乎彌神社に合祀)の祭神は、次男「那志等美(ナシトミ)」です。 伝説上の子供たちが、地域の氏神として今も祀られている事実は、伊香氏の支配がいかに強固であったかを物語っています。
菅山寺と弘善館

湖から山中へ入った場所にある菅山寺。山門には道真公お手植えと伝わるケヤキ(こちらも台風被害あり)がありました。 麓の「弘善館」には、寺宝である「菅原道真十一歳像」などが収蔵されており、天女伝説と天神信仰が融合した歴史を今に伝えています。
水底の「菊石姫」

最後に、余呉湖を語る上で欠かせないもう一つの伝説に触れておきましょう。 天女が「空」の象徴なら、こちらは「水」の象徴。「菊石姫(きくいしひめ)」の伝説です。
余呉の長者の娘であった菊石姫は、干ばつに苦しむ村を救うため、自ら蛇(龍)に変身して湖に入り、雨を降らせたと伝わります。彼女は龍になる際、育ててくれた乳母への感謝として、自らの目玉をくり抜いて与えたといいます(この目玉は万病の薬とされました)。
空へ帰った天女(鳥)と、水底へ沈んだ菊石姫(蛇)。 余呉湖という一つの湖で、この対照的な二つの物語が共存していること自体が、この地の特異性を示しています。古代の人々は、鏡のような湖面に空を見ながら、同時に底知れぬ水の怖さを感じていたのでしょう。
風景の中に「歴史の層」を見る
余呉湖を訪れると、静かな水面と美しい山並みに心癒やされます。 しかし、その景色の裏側には、古代豪族の野心、中世の人々の信仰、そして自然への畏怖が、何層もの地層のように積み重なっています。
「白犬」が走った湖畔。「天神様」が泣いた山。 歴史を知ってから歩く余呉湖は、単なる景勝地ではなく、古代と中世が交錯する壮大な物語の舞台として、あなたの目に映るはずです。
次回の休日、あなたも「鏡湖」のほとりで、1300年前の記憶に耳を澄ませてみませんか。
【アクセス情報】
- 場所:滋賀県長浜市余呉町
- 交通:JR北陸本線「余呉駅」下車、徒歩すぐ
- おすすめルート:余呉駅でレンタサイクルを借り、衣掛柳や乎彌神社を巡る一周コース(約6.4km)がおすすめです。



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