天女が水浴びをしている隙に羽衣を隠され、天に帰れなくなり、地上の男と結婚するも、やがて羽衣を取り戻して帰っていく――。
「羽衣伝説」
しかし、これはあくまで「表向き」のストーリーに過ぎません。
日本最古の羽衣伝説が残る京都府京丹後市には、「天女は天に帰ったが、子供たちは地上に残された」という、伝承が存在します。さらに、その子供たちの末裔を称する家系が、1300年の時を超えて実在しているとしたら?
今回は、丹後王国の聖地・峰山に鎮座する「乙女神社」。
国家が編纂した『風土記』と、地元民が守り抜いた『秘められた伝承』の相克を読み解き、古代日本の母神信仰と血縁のミステリーに迫ります。
丹後王国と「比治山」の聖性
京都府北部、丹後半島。かつてここには「丹後王国」とも呼ばれる強力な勢力が存在しました。
その中心地の一つ、京丹後市峰山町にそびえるのが、標高661メートルの磯砂山(いさなごさん)です。
古代には「比治山(ひじやま)」と呼ばれたこの山は、たんなる景勝地ではありません。頂には「真奈井(まない)」と呼ばれる池があり、八人の天女が舞い降りたとされます。「真奈井」とは「真の名井」、つまり神聖な水が湧く場所を意味し、古代人にとって稲作の命綱である水源地信仰の対象でした。
今回紹介する乙女神社(おとめじんじゃ)は、この聖なる山の麓、鱒留(ますどめ)地区に鎮座しています。神が降りる山(奥宮)に対し、人が住む里で神を祀る場所(里宮)。ここが今回の旅の舞台です。
二つの羽衣伝説 「搾取」か「婚姻」か
丹後地方には、内容が真っ向から対立する「二つの羽衣伝説」が存在します。この違いを知ることが、乙女神社の謎を解く鍵となります。
『丹後國風土記』の「和奈佐(わなさ)」
奈良時代(713年頃)に政府へ提出された公式レポート『丹後國風土記』逸文に記された物語です。

- 犯人: 「和奈佐」という老夫婦。
- 動機: 天女を「娘」と偽り、労働力として利用するため。
- 結末: 天女が造る酒で老夫婦は巨万の富を得るが、十数年後「お前は我々の子ではない」と言い放ち、天女を追放する。天女は泣きながら各地を彷徨い、「奈具神社」に鎮まった。
- 本質: ここに描かれているのは「搾取」と「断絶」です。天女はあくまで異人であり、利用された挙句に捨てられる悲劇の存在です。
地元の伝承 乙女神社の「三右衛門(さんねも)」

一方で、乙女神社の鎮座地・鱒留地区で口承されてきた物語は全く異なります。
- 犯人: 「三右衛門」という若い狩人。
- 動機: 天女への恋慕。
- 結末: 二人は夫婦となり、三人の娘が生まれる。天女は農業・養蚕・機織り・酒造りの技術を村に伝え、豊かさをもたらす。最終的に天女は天へ帰るが、娘たちは地上に残る。
- 本質: ここにあるのは「婚姻」と「継承」です。神と人が結ばれ、その血(DNA)と技術が子孫へと受け継がれていく物語です。
乙女神社は、この「三右衛門型」伝承を正統とする聖域なのです。
残された「三人の娘」の行方と三社鼎立
三右衛門伝説の最大の特徴は、「天女が産んだ三人の娘」の存在です。
母(天女)は天へ去りましたが、娘たちはどうなったのか? 実は、彼女たちは丹後の各地に神として祀られています。
| 続柄 | 神社名 | 鎮座地 | 特徴 |
| 長女 | 乙女神社 | 峰山町鱒留 | 父・三右衛門の住む里を守る。 |
| 次女 | 多久神社 | 峰山町丹波 | 旧称「天酒大明神」。母から受け継いだ酒造りの技術を象徴。 |
| 三女 | 奈具神社 | 弥栄町船木 | 『風土記』では母が鎮まった場所だが、この伝承では娘の一人が祀られたとされる。 |
このように、丹後地方には天女の娘を祀るネットワークが形成されています。
特に次女の「酒造り」の要素は重要です。丹後は古代より酒造りが盛んな地であり、渡来系の技術者がもたらした醸造を、神話の中で「天女の娘」として神格化した可能性があります。
1300年続くタブー 安達家と「8月6日」
神話が「おとぎ話」ではない証拠が、乙女神社の足元にあります。
三右衛門の末裔とされる「安達家(あだちけ)」です。
衝撃の家紋「丸に七夕」
安達家の家紋は、全国的にも極めて珍しい「丸に七夕(まるにたなばた)」。
天に帰った母を追って父(三右衛門)が天に登り、年に一度の再会を許される――いわゆる七夕伝説を、一族の「実話」として家紋に刻んでいるのです。
家宝と禁忌
安達家には、三右衛門が使ったとされる「矢と矢筒」が家宝として伝わっています。そして、この家には厳格なタブーが存在します。
- 「夕顔(ユウガオ)や瓜(ウリ)を作らない・食べない」
- 伝説において、三右衛門が天に登る際に夕顔の蔓(つる)を使い、天上で瓜を切ったことが離別の原因になったとされるためです。
8月6日の祭礼
一般的な七夕は7月7日ですが、安達家では月遅れの8月6日に独自の「七夕祭り(田奈畑祭)」を行います。この日は、伊勢神宮の祭神・豊受大神が地上に降りた日とも関連すると言われており、単なる追悼行事を超えた、氏族独自の祭祀権を示唆しています。
乙女神社の正体 なぜ「母」ではなく「娘」なのか
ここで一つの疑問が浮かびます。
なぜ神社名は「天女神社」ではなく、「乙女神社」なのでしょうか。
公的な記録(神社明細帳など)では、祭神は天女自身である豊宇賀能賣神(トヨウカノメ=豊受大神)とされています。
しかし、地元の由緒では頑なに「天女の娘」を祀ると伝えています。
古代人の生存戦略
ここには、古代丹後人の切実な願いが見え隠れします。
天女(母)は、最終的には天界(あるいは伊勢)へ去ってしまう、コントロール不可能な「絶対者」です。
対して、その娘は半分人間の血を引き、自分たちの土地で生まれ育った「隣人」です。
村人たちは、遠くへ去る母神よりも、地上に残った娘神を祀ることで、神の霊力を自分たちの土地(鱒留)に恒久的に繋ぎ止めようとしたのではないでしょうか。「乙女(未婚の巫女)」として神に仕える娘の姿に、一族の繁栄を託したのです。
境内には、本殿を風雨から守る「覆屋(おおいや)」があり、その左右に八柱神社と吉野神社が控える「三社並立」の形式をとっています。これは、大切な「娘神」を地域の神々が総出で守護している姿にも見えます。
現代に繋がる「美」と「豊穣」
現在、乙女神社の周辺は「天女の里」として整備され、キャンプや体験学習ができる交流の場となっています。
また、「美しい天女の娘」にあやかり、「美人のご利益がある」「女の子を授かる」パワースポットとしても密かな人気を集めています。
秋、11月上旬になると、境内のカエデの巨木が真っ赤に染まり、荘厳な社殿を彩ります。
その燃えるような赤色は、1300年の時を超えて受け継がれてきた、人々の「血」と「情熱」の色のようにも見えます。
教科書には一行も書かれていない歴史。
しかし、丹後・峰山の地には、神様を「自分たちのおばあちゃん」として慕い続ける、温かくも生々しい歴史が確かに息づいているのです。
スポット情報
- 名称: 乙女神社(おとめじんじゃ)
- 住所: 京都府京丹後市峰山町鱒留
- グーグルマップの位置情報
- アクセス: 京都丹後鉄道「峰山駅」から車で約20分。または丹後海陸交通バスにて「鱒留」下車。
- 見どころ: 境内の紅葉(11月)、天女の里(体験施設)




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