『日本書紀』などの正史において、古代日本の国家形成期に活躍した英雄として描かれる「四道将軍(しどうしょうぐん)」。
その一人、東海地方へ派遣された武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)について、教科書的な定説とは全く異なる「衝撃の伝承」が、岐阜市の一角に息づいていることをご存知でしょうか。
岐阜市曽我屋(そがや)。長良川の支流・伊自良川(いじらがわ)のほとりに鎮座する「津神社(つじんじゃ)」。 ここは単なる村の鎮守ではありません。古代の軍事・物流の要衝としての記憶と、戦国時代の武将たちの信仰を今に伝える、歴史のタイムカプセルとも言える場所なのです。
本記事では、この地に残る「将軍終焉の伝説」と、それを裏付けるような地理的条件、そして重要文化財の狛犬から読み解く戦国史まで、津神社の奥深い魅力を徹底解説します。
歴史の空白を埋める異伝 「将軍はこの地で果てた」

記紀との食い違い
一般的に、武渟川別命は東海道を平定した後、北陸道を進んできた父・大彦命(おおひこのみこと)と会津(現在の福島県)で合流したとされています。「会津(あいづ)」という地名も、この「相津(あいづ=出会った場所)」に由来するというのが通説です。
『美濃国古蹟考』が語る真実
しかし、江戸時代の地誌『美濃国古蹟考』には、この定説を覆すような記述が引用されています。
「武淳川別命はこの時、同じくこの地で最期を迎え、その後に当社に祀られた」
つまり、将軍は東征の途上、あるいは凱旋の途中でこの美濃国方県(かたがた)の地で没し、その霊を慰めるために創建されたのが、この津神社であるというのです。
なぜ美濃だったのか?
もしこの伝承が事実の一端を伝えているとすれば、古代のヤマト王権にとって、この地域は単なる通過点ではありませんでした。 大和(奈良)から東国へ向かう際、水陸の交通が交差する美濃は、「最前線の兵站基地」であり、将軍が長期滞在し、命を落とすほどの重要拠点であった可能性が浮かび上がります。
「津」の名の由来 古代水運のハブステーション
社名にある「津」は、現代でいう「港」を意味します。この神社の立地を地図で見ると、その重要性が一目瞭然です。
- 伊自良川と長良川の合流点近傍: 古代、河川は現代の高速道路でした。
- 物流の結節点: 北部の山間地(根尾・伊自良方面)からの木材や山の幸と、下流からの海産物や塩がここで交換されました。周辺の「一日市場(ひといちば)」という地名は、かつてここに定期市が立っていた名残と考えられます。
岐阜市八代にある論社「方県津神社」が古墳の上に建つ「政治・祭祀の中心」であるのに対し、曽我屋の「津神社」は、人と物が激しく行き交う「経済・軍事の実利的な中心」として機能していたと考えられます。 将軍の伝説も、ここが軍船の停泊地であったとすれば、より現実味を帯びてきます。
もう一柱の謎の神 「県須美命」とは何者か
津神社には、武渟川別命とともに「県須美命(あがたすみのみこと)」という神が祀られています。記紀神話には登場しないこの神は、一体何者なのでしょうか。
研究者の間では、以下の可能性が指摘されています。
- 和爾氏(わにうじ)系の祖神説: 「阿賀田須命」や「阿多賀田須命」と同神とされ、春日・和爾氏といった有力豪族の系譜に連なる存在。
- 在地の首長(県主)の祖先神説: ヤマトから来た将軍(武渟川別命)を迎えた、地元の有力者の祖先神。
つまり津神社は、「中央から来た将軍(マレビト)」と「地元を守る祖神(地主神)」が習合し、共に祀られることで、中央集権と地方自治の融合を象徴する場となっていたのです。
武将も祈願した! 重要文化財「天正九年の狛犬」
時代は下り、戦国時代。津神社が依然として水運の要所であったことを証明する貴重な遺物が境内に残されています。 それは、岐阜市の重要文化財に指定されている石造狛犬です。
銘文が語る「備後国」との繋がり
台座にははっきりとこう刻まれています。
「為武運長久息災延命也 天正九年辛巳五月吉日 奉寄進大明神御宝前 施主 備後国 渋川出雲守」
天正9年(1581年)といえば、織田信長が天下統一を目前に控えていた時期(本能寺の変の前年)。 驚くべきは、施主が「備後国(広島県)」の武将・渋川出雲守であるという点です。
なぜ広島の武将が、美濃の村の神社に寄進を? これにはいくつかの推測が可能です。
- 信長の動員: 信長の命令により、中国地方攻めや京都での馬揃えなどに関連して、遠国の武将が岐阜周辺に滞在していた。
- 水運の利用: 渋川氏は伊自良川を利用した物資輸送や軍事行動に関わっており、航行の安全と武運を祈って、地元の水神(津神社)に寄進を行った。
美術史的な美しさ
この狛犬は、安山岩(または笏谷石)製で、胸を大きく張り出し、前足を垂直に立てたユニークな姿勢をしています。これは鎌倉時代の東大寺南大門の獅子の影響を受けた様式とも言われ、地方色と中央の流行が混ざり合った傑作です。 表面にはわずかに胡粉(白色顔料)や下塗りの痕跡が残っており、奉納当時は極彩色に彩られていたことが分かっています。
川辺に立つと見える歴史の景色
岐阜市曽我屋の「津神社」。 そこは、古代においてはヤマト王権の将軍がその旅路を終えたかもしれない「終焉の地」であり、戦国時代においては天下布武の喧騒の中で、遠国の武将が祈りを捧げた「交流の地」でした。
派手な観光設備はありませんが、静かな境内には、数千年にわたる日本の歴史の地層が確かに積み重なっています。 近くを流れる伊自良川の水面を見つめながら、かつてここを行き交った古代の船団や、戦国武将たちの姿に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
スポット情報
- 名称: 津神社(つじんじゃ)
- 住所: 岐阜県岐阜市曽我屋字屋敷1631
- グーグルマップの位置情報
- アクセス:
- JR岐阜駅より岐阜バス(曽我屋線など)「曽我屋口」または「一日市場」下車、徒歩約5〜10分。
- 駐車場: なし(近隣の交通事情に配慮が必要)
- 主な祭礼: 例祭(春)
- 関連スポット: 方県津神社(岐阜市八代) – もうひとつの論社であり、古墳の上に建つ神社。






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