【淡輪ニサンザイ古墳】海辺にたたずむ巨大古墳の主は、五十瓊敷入彦命か?紀氏の王か?

大阪府
この記事は約4分で読めます。

大阪府の最南端、岬町。 大阪湾と、その向こうの淡路島、そして四国へとつながる海の道を見晴らす台地の上に、圧倒的な存在感を放つ巨大古墳があるのをご存知でしょうか?

その名は「淡輪ニサンザイ古墳」(宮内庁治定:宇度墓古墳)。

5世紀、ヤマト王権が「倭の五王」として東アジアの外交舞台で活躍していた時代。この場所は、大陸から難波津(なにわづ)を目指す船が必ず通過する「海の関所」でした。 ここに眠るのは、天皇(大王)でしょうか? それとも、海を支配した伝説の豪族でしょうか?

今回は、近年の発掘調査で明らかになった「幅12メートルの巨大な橋」の痕跡や、この地域だけの特殊な淡輪技法の埴輪から、この古墳に秘められた古代の政治ドラマと、最強の海洋豪族・紀氏の栄光に迫ります。


海からの視線を意識した「城砦」のような古墳

淡輪ニサンザイ古墳の墳丘長は約173メートル(復元約180メートル)。 百舌鳥・古市古墳群の大王墓には及びませんが、地方の古墳としては破格のスケールです。

現地に立つとわかりますが、この古墳は「海」を強烈に意識して作られています。 前方部を西南西(紀淡海峡の方角)に向けて築かれており、かつて大阪湾を航行していた外交使節や商人の船からは、台地の上にそびえるこの巨大な墳丘が、まるで「軍事要塞」のように見えたはずです。

「ここから先は、我々の海域である」

そう無言で宣言する政治的なモニュメント。それがこの古墳の本来の役割だったと考えられています。

被葬者は誰か?「五十瓊敷入彦命」vs「将軍・紀小弓」

現在、宮内庁はこの古墳を垂仁天皇の皇子五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)」の墓として管理しています。

しかし、ここには大きな矛盾があります。

古墳の築造時期: 5世紀後半

五十瓊敷入彦命の時代: 3世紀末〜4世紀前半(垂仁天皇期)

歴史学・考古学の視点から有力視されているのは、和歌山(紀伊)を本拠地とした古代豪族「紀氏」のリーダー、紀小弓(きのおゆみ)です。

『日本書紀』には、雄略天皇の時代(5世紀後半)、新羅征討の将軍として海を渡った紀小弓が、戦地で病没し、その遺体が「田身輪(たみわ=淡輪)」に葬られたという記述があります。 古墳の築造時期(5世紀中葉〜後半)ともピタリと一致することから、ここは「国家の命運を握る水軍を率い、異国で散った英雄の墓」である可能性が極めて高いのです。

ここでしか見られない!「淡輪技法」埴輪のミステリー

歴史好きにとって、この古墳最大の見どころは「埴輪(はにわ)」です。 実はここから出土する埴輪には、他にはない2つの大きな特徴があります。

独自の「淡輪技法(たんのわぎほう)」

通常の埴輪とは作り方が違います。植物の茎を束ねた「輪」を土台にして粘土を積み上げるため、独特の痕跡が残り、表面には「C種」と呼ばれる荒々しいハケ目がつけられています。 これは、紀氏の本拠地である和歌山市(木ノ本古墳群)の埴輪と共通しており、「紀氏一族のアイデンティティ」を示す決定的な証拠です。

「王陵系埴輪」との共存

面白いことに、この独自の埴輪と一緒に、ヤマト王権の中枢(百舌鳥・古市)で作られた洗練された「王陵系埴輪」も出土しています。 これは何を意味するのか?

  • 「君は独自の文化(淡輪技法)を持っていていいよ」
  • 「でも、我々ヤマト王権の仲間(王陵系埴輪)でもあるんだよ」

という、王権と紀氏の「対等に近い同盟関係」が、土の中から見つかった焼き物によって証明されているのです。

2014年の大発見!甦る「12メートルの橋」と葬送儀礼

2014年の調査で、驚愕の発見がありました。 水をたたえた内濠の中から、かつて墳丘へと架けられていた「木橋」の柱跡が見つかったのです。

その幅、なんと約12メートル。 現代の道路でいえば4車線分にもなる巨大な橋です。ただ人が渡るためだけなら、これほどの幅は必要ありません。

想像してみてください。 棺を載せた巨大な喪船や修羅(しゅら)。 数百人の兵士や聖職者が隊列を組み、松明を掲げながら、この巨大な橋を渡って王(将軍)を葬る様子を。 5世紀の葬送儀礼がいかに壮大で、ドラマチックなものであったか、この柱の跡が静かに語りかけてきます。

【アクセス・探訪ガイド】

淡輪ニサンザイ古墳は、現在も美しい水をたたえた周濠に囲まれ、地域の人々に愛されるスポットになっています。

  • ビュースポット: 古墳の北側や東側の高台からは、墳丘全体を見渡すことができます。特におすすめなのは夕暮れ時。大阪湾に沈む夕日と、巨大な前方後円墳のシルエットが重なる光景は、言葉を失う美しさです。
  • 学習施設: 近くの「岬町立淡輪公民館・郷土資料館」では、実際にここから出土した埴輪を見ることができます。「淡輪技法」の荒々しいハケ目を、ぜひ肉眼で確認してみてください。

アクセス: 南海本線「淡輪駅」から徒歩約10分。 駅からのアクセスも抜群ですので、大阪・和歌山方面への歴史旅の際は、ぜひ立ち寄ってみてください。 1500年の時を超えて、海を見つめ続ける「海の王者」の魂に触れることができるはずです。

五十瓊敷入彦命に関する記事
紀氏に関する記事

コメント

タイトルとURLをコピーしました