【網野銚子山古墳】日本海最大!201mの巨大前方後円墳と「丹後王国」の謎

丹波・丹後
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京都府北部、日本海を望む京丹後市網野町。ここに、インパクトを持つ巨大な古墳が眠っていることをご存知でしょうか。

その名は「網野銚子山古墳(あみのちょうしやまこふん)」。

全長約201メートル。この数字は、日本海側全域における最大の規模であり、築造された4世紀末〜5世紀初頭において、全国でもトップクラスの大きさを誇ります。なぜ、ヤマト(奈良)から遠く離れたこの地に、これほど巨大な前方後円墳が築かれたのか?

そこには、ヤマト王権と対等に渡り合った「丹後王国」の強大な経済力と、独自のアイデンティティが見え隠れします。今回は、古代日本海航路の要衝に築かれた巨大記念碑、網野銚子山古墳のミステリーに迫ります。


日本海を見下ろす「王の記念碑」

網野銚子山古墳は、網野台地と呼ばれる標高20〜40メートルの丘陵上に築かれています。現在は静かな田園風景の中にありますが、古代の風景は全く異なっていました。

かつてこの眼下には、海が深く入り込んだ「潟湖」が広がり、天然の良港を形成していました。大陸や朝鮮半島からやってくる外洋船、そして日本列島各地を結ぶ交易船。この古墳は、港に入ってくるすべての船に対して、「ここを支配しているのは誰か」を強烈に誇示するランドマークだったのです。

墳丘はすべて葺石(ふきいし)で覆われており、当時は白銀(あるいは灰色)に輝くピラミッドのように、海上の船乗りたちの目印となっていたことでしょう。

ヤマト王権との密接な関係 共有された設計図

網野銚子山古墳を語る上で欠かせないのが、奈良の佐紀盾列古墳群にある「佐紀陵山古墳(さきみささぎやまこふん)」との関係です。佐紀陵山古墳は、第11代垂仁天皇の皇后、日葉酢媛命(ひばすひめのみこと)の陵墓とされています。

近年の研究により、驚くべき事実が判明しました。 なんと、網野銚子山古墳と佐紀陵山古墳は、ほぼ同じ設計図(企画)で造られているのです。

  • 墳丘長: ともに約200m前後(当時の尺度で145歩)
  • 平面プラン: 前方部と後円部の比率、くびれ部の形状が酷似

これは偶然ではありません。ヤマト王権の中枢から、丹後の王に対して「前方後円墳の設計図」そのものが提供されたことを意味します。あるいは、王権直属の技術者集団が丹後に派遣されたのかもしれません。

日葉酢媛命は丹波出身の女性です。彼女の実家にあたる一族が、ヤマトとの強力な同盟関係の証として、この巨大古墳を築くことを許された――そんな政治的なドラマが浮かび上がってきます。

「従順」か「自律」か? 丹後型円筒埴輪の主張

しかし、網野銚子山古墳の被葬者は、単にヤマト王権の配下だったわけではありません。その証拠が、墳丘に並べられた埴輪(はにわ)です。

ここからは、およそ2,000本もの円筒埴輪が出土していますが、その形は非常に特殊です。 通常の円筒埴輪は口が開いていますが、ここでは「丹後型円筒埴輪」と呼ばれる、頂部がドーム状に閉じ、中央に穴が開いた独自のスタイルが採用されています。

  • 古墳の形(ハード): ヤマト王権の規格を採用(同盟の証)
  • 祭祀の形(ソフト): 丹後独自の埴輪を採用(自律性の主張)

「我々はヤマトと手を組むが、タニワの魂までは売り渡さない」。そんな古代丹後人の気骨とプライドが、この分厚く頑丈な埴輪から伝わってくるようです。

鉄とガラスの王国 繁栄の経済基盤

これほどの巨大古墳を築く力はどこから来たのでしょうか。答えは「交易」です。

丹後半島は、大陸からの先進文物が流入する「表玄関」でした。周辺の遺跡からは、他地域を圧倒する量の鉄製品ガラス製品が出土しています。 特に鉄は、農具として生産力を高め、武器として軍事力を支える最重要資源。この鉄の流通ルートを掌握していたことこそが、丹後王国の力の源泉でした。ヤマト王権にとっても、大陸の文物を入手するためには、丹後勢力との協力が不可欠だったのです。

被葬者は誰か? 浦島太郎伝説との交錯

では、ここに眠っているのは誰なのでしょうか? 残念ながら埋葬施設は未発掘ですが、地中レーダー探査では後円部頂上に竪穴式石室と推測される反応があり、大王クラスの長持形石棺が眠っている可能性があります。

興味深いのは、この地が「浦島太郎伝説」の舞台と重なることです。 古墳の近くには浦島太郎(水江浦嶋子)の居住地とされる伝承地があります。浦島伝説は、海を越えて異界(海外)へ渡り、富や知識を持ち帰った海人(あま)たちの記憶が神話化されたものと言われています。

網野銚子山古墳の被葬者もまた、海を支配し、巨万の富を築いた「海洋王」でした。伝説の浦島子と、歴史上の丹後王。この二つのイメージは、歴史のロマンの中で重なり合います。

圧倒的なスケールを体感

網野銚子山古墳は国指定史跡として整備されており、実際に墳丘に登ることができます。

  • 後円部からの眺望: 標高約40mの墳頂に立つと、日本海と網野の町並みが一望できます。古代の王もこの景色を眺め、自らの領域を見下ろしていたことでしょう。
  • 復元展示: 一部で葺石や埴輪列が復元されており、築造当時の姿を想像することができます。

また、近くにある「京丹後市立丹後古代の里資料館」には、ここから出土した丹後型円筒埴輪や、近隣の古墳からの出土品(青龍三年銘鏡など)が展示されています。古墳見学とセットで訪れることで、「丹後王国」の実像がより鮮明に見えてくるはずです。


実用情報(アクセス・データ)

網野銚子山古墳(国指定史跡)

  • 住所: 京都府京丹後市網野町網野
  • グーグルマップの位置情報
  • アクセス(電車・バス): 京都丹後鉄道宮豊線「網野駅」から丹海バス「網野神社前」下車、徒歩約10分。
  • アクセス(車): 駐車場あり(東側の見学者用駐車場を利用)。古墳まで徒歩約150m。
  • 推奨見学時間: 30分〜1時間

【立ち寄りスポット】京丹後市立丹後古代の里資料館

  • 住所: 京都府京丹後市丹後町宮108
  • 展示: 網野銚子山古墳出土品、神明山古墳出土品、大田南5号墳出土鏡ほか。
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