広島県福山市新市町。芦田川の支流が流れるのどかな盆地に、備後国(びんごのくに)最高位の神社が鎮座しています。
備後一宮 吉備津神社。
地元では「いっきゅうさん(一宮さん)」の愛称で親しまれていますが、一歩境内に入れば、そこは単なる地域の鎮守ではありません。古代王権の支配、中世の凄惨な兵火、そして近世大名による復興……。
今回は、通り一遍の参拝では見えてこない、吉備津神社の深層を解説します。
なぜ「府中」の隣にあるのか?
吉備津神社がある「新市町」は、隣接する「府中市」との境界ギリギリに位置しています。
「府中」とはすなわち「国府(政庁)」があった場所。 古代、この一帯は備後国の政治・経済の中心地でした。国府のすぐ近くに、王権の威光を示す一宮が置かれるのは必然の配置です。現在の行政区分こそ「福山市」ですが、歴史的地理感覚では、ここはまさしく備後国の中心だったのです。
祭神とルーツ 吉備王国の分割統治

ご祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)。 『日本書紀』などで四道将軍の一人として語られ、強大な「吉備国」を平定したヤマト王権の英雄です。
かつて巨大勢力を誇った吉備国は、その力を削ぐために備前・備中・備後の三か国に分割されました。しかし、人々の崇敬を集めていた「吉備津彦信仰」まで分けることはできず、各国に分霊が祀られました。
- 備中一宮(総本宮): 吉備津神社(岡山・国宝本殿)
- 備前一宮: 吉備津彦神社(岡山)
- 備後一宮: 吉備津神社(広島・本作)
兄弟社であるこれらは、古代ヤマト王権が地方豪族(吉備氏)を精神的に統合しようとした政治的・宗教的な巨大プロジェクトの痕跡と言えます。
『太平記』に刻まれた悲劇 桜山茲俊の挙兵と自刃
吉備津神社を語る上で避けて通れないのが、南北朝時代の悲劇の将・桜山茲俊(さくらやまこれとし)です。境内にある「櫻山神社」は、彼の魂を鎮めるために存在します。

楠木正成への呼応と破竹の進撃
鎌倉時代末期の元弘元年(1331年)。後醍醐天皇が倒幕の狼煙を上げ、河内で楠木正成が挙兵すると、呼応して備後で立ち上がったのが、吉備津神社の社家一族である桜山茲俊でした。 彼は神社の南にある桜山城を拠点に、一時は備後国の半分を制圧。西国における南朝方の急先鋒として名を馳せました。
「神殿を焼く」という選択
しかし、戦局は暗転します。天皇の配流、そして楠木正成の赤坂城陥落。「正成、討死」という誤報が届くと、味方は総崩れとなりました。
『太平記』巻三には、その壮絶な最期が記されています。 追い詰められた茲俊は、元弘2年1月、妻子と一族23名を連れて吉備津神社へ向かいます。敵に捕らえられ恥辱を受けるよりはと、愛する妻子を自らの手で刺し、最後に神社の社殿に火を放ちました。
そして、燃え盛る炎の中で一族と共に自刃。 なぜ、崇敬する神の家を焼いたのか? 歴史家の間では「神域を敵(北朝・幕府軍)の穢れから守るため」「自らの命と共に浄化の炎で神へ捧げるため」といった解釈がなされています。 境内には今も「桜山慈俊挙兵伝説地」の石碑があり、もののふの悲しいほどの忠義を伝えています。
国重文・本殿の「余間造り」

桜山茲俊によって灰燼に帰した社殿は、その後何度かの再建を経て、現在の本殿は江戸時代初期の慶安元年(1648年)、初代福山藩主・水野勝成(みずのかつなり)によって完成されました。水野勝成といえば、徳川家康の従兄弟であり、数々の戦場を渡り歩いた猛将。彼が領内の精神的支柱として、この神社の復興に力を入れたことが窺えます。
備後独自の様式「余間造り(よまづくり)」
この本殿(国指定重要文化財)は、建築史的にも極めて貴重です。
- 外観: 檜皮葺(ひわだぶき)の入母屋造りで、正面に千鳥破風と軒唐破風を持つ、堂々たる江戸初期の様式。
- 平面構造: 神様が鎮座する「内陣」の左右に、「余間(よま)」と呼ばれる広い板敷きの部屋が付属しています。
一般的な神社建築では、内陣は閉ざされた神の空間ですが、ここでは「余間」を通じて神職や有力者が祭祀に参加できる構造になっています。これは「吉備津造り(備中)」とは異なる、備後・安芸地方独特の発展形であり、一宮として大規模な祭祀儀礼が行われていた証拠です。
細部を見れば、向拝(こうはい)の蟇股(かえるまた)には、龍や虎など桃山様式の豪華な彫刻が施されており、戦乱の世を越えた「平和への祈り」と「藩の威信」を感じさせます。
現代に息づく「武」の伝統 市立大祭
毎年11月下旬(21日~24日頃)に行われる例大祭は、通称「市立大祭(いちりつたいさい)」と呼ばれます。 備後地方で最も賑わう祭りの一つですが、特筆すべきはその内容。
神輿渡御だけでなく、剣道、柔道、空手などの武道大会が盛大に奉納されるのです。 中世、宮氏(社家)や桜山氏が武力を誇ったこの地で、現代の子供たちが武道を通じて心身を鍛える。700年前の「武の聖地」としてのDNAが、形を変えて確かに受け継がれていることに感動を覚えます。
アクセス
備後一宮 吉備津神社
- 鎮座地: 広島県福山市新市町宮内400
- グーグルマップの位置情報
- 参拝時間: 境内自由(祈祷受付 9:00~16:30)
- 御朱印: 授与所にて頂けます。備後一宮の文字が力強い、格式ある御朱印です。
アクセス
- 公共交通機関: JR福塩線「新市駅」下車、徒歩20分。またはタクシー5分(駅前に常駐していない場合があるため、配車アプリや電話番号を控えておくと安心です)。
- お車: 山陽自動車道「福山東IC」または「福山西IC」から約25分。無料駐車場完備。



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