香川県東かがわ市といえば、日本武尊(ヤマトタケル)の魂が舞い降りたとされる「白鳥神社」が有名です。しかし、この地にはもう一つ、記紀神話クラスの巨大な伝説が隠されています。 それが、讃岐国の一宮・田村神社の祭神でもあり、讃岐の開発神として崇められる倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトヒモモソヒメノミコト)の上陸伝説です。
彼女が奈良(大和)から船団を率いて最初に足を踏み入れ、「ここから私の国造りを始める」と決意した場所。それが今回ご紹介する、地図上で見つけるのも難しい小さな祠、「艪懸明神(ろかけみょうじん)」です。
一見不向きな「岩場」が選ばれた理由
東かがわ市馬篠(うましの)。国道沿いの少しわかりにくい入り口から階段を登ると、視界が開け、播磨灘を見下ろす高台に出ます。 そこにあるのは小さな祠だけ。しかし、ここからの眺めこそが古代の重要拠点であった証拠です。
- なぜ砂浜ではなく岩場なのか? すぐ隣には砂浜(海水浴場)があるにもかかわらず、伝承地はゴツゴツした岩場の上です。これは、ここが単なる「荷揚げ場」ではなく、「海上の監視」と「聖域の確保」を目的とした司令塔だったからではないでしょうか。
「艪(ろ)を懸ける」という儀式の意味
社名の由来は、姫が上陸した際、船の「艪」を松の木に立て掛けたという伝説にあります。 単に「置いた」のではありません。「懸けた(掛けた)」のです。
これは民俗学的に見ると、非常に重い意味を持ちます。 船を進めるための命である「艪」を陸の木に固定する。それは、「もう二度と海には戻らない」「この地を永住の地とする」という、不退転の決意表明だったと推測できます。
この場所は別名「首途明神(かどでみょうじん)」とも呼ばれます。海路の「ゴール」は、讃岐開発という陸路の「スタート(首途)」だったのです。
伝説のルートを追う 袖掛から水主へ

艪懸明神の周辺には、姫の足取りを示すかのようなスポットが点在しています。
- 袖掛神社(そでかけじんじゃ): 濡れた袖を乾かし、旅の疲れを癒やした「プライベートな休息の場」。
- 安堵大明神(あんどだいみょうじん): 現存しませんが、内陸へ進む不安が解消された「心理的安全地帯」。
- 水主神社(みずしじんじゃ): そして最終目的地である内陸の拠点へ。
このルートを地図上で結ぶと、海から上陸し、安全を確認しながら、徐々に内陸の統治拠点へと進んでいった古代の「開発ルート」が浮かび上がってきます。
生と死の聖地
東かがわ市には二つの伝説が共存しています。
- 白鳥神社: 傷ついた英雄が最後に舞い降りた「死と鎮魂」の場所。
- 艪懸明神: 若き女神が希望を持って上陸した「生と開発」の場所。
平野の松原に鎮座する白鳥神社と、海を見下ろす荒々しい岩場の艪懸明神。この対比を意識して巡ると、東讃地域の歴史がより立体的に見えてきます。
アクセス
- 所在地: 香川県東かがわ市大内馬篠
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- 駐車場: 専用駐車場はないため、近隣のスペースを確認する必要があります。




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