石川県七尾市所口町。七尾湾の穏やかな波音を遠くに聞きながら、住宅街の一角に足を踏み入れると、周囲の喧騒を遮断するかのような静謐な森が現れます。
「能登生国玉比古神社(のといくくにたまひこじんじゃ)」。 地元の人々からは「気多本宮(けたほんぐう)」と呼ばれています。
「気多の神」といえば、羽咋市に鎮座する能登国一之宮「気多大社」が想起されることでしょう。縁結びの神として全国的な知名度を誇り、かつては国司が奉幣した大社です。しかし、なぜ七尾のこの社が「本宮」を名乗るのでしょうか。その問いに対する答えを探る旅は、単なる神社巡りではありません。それは、能登半島という土地がいかにして生まれ、神々がいかにしてこの荒ぶる国土を平定したかという、数千年前の壮大な叙事詩を紐解くことに他なりません。
神代の記憶 「大鳥と毒蛇」の平定神話

社伝によれば、創祀は第8代孝元天皇の御代(紀元前2世紀頃)にまで遡るとされています。当時の能登は、まだ「国」としての形を成しておらず、鬱蒼とした原生林と荒れ狂う自然が支配する未開の地でした。
伝承では、この地が「大鳥」や「毒蛇」といった怪異によって支配され、人々が苦しめられていたと語っています。大鳥とは空(天候や風)による災厄、あるいは鳥をトーテムとする先住部族の抵抗を指し、毒蛇とは氾濫を繰り返す河川や、疫病、あるいは蛇を信仰する土着勢力のメタファーなのでしょう。
この混沌とした地に降り立ったのが、大己貴命(オオナムチノミコト)、すなわち後の大国主命です。彼は多気倉長命(タケクラナガノミコト)や少彦名命(スクナヒコナノミコト)と協力し、卓越した知恵と技術、そして霊力をもってこれらの災厄を退けました。沼地は干拓されて良田となり、病魔は医薬の知識によって封じられたのです。
能登生国玉比古神社が鎮座する七尾の地は、この平定事業の最初の拠点であった場所です。この神社は特定の御利益を謳う以前に、能登という大地そのものの生命力を祀る、最も根源的な聖地なのです。
分離する魂 「本宮」と「大社」の楕円構造
第10代崇神天皇の御代、ヤマト王権の支配力拡大とともに、能登の地政学的な重要性は変化を迎えます。内海(七尾湾)に面した守りの拠点から、外海(日本海)に面した交流と防衛の最前線へと、移動が求められたのです。
この時、七尾の地から神霊の「分霊(ぶんれい)」が行われました。御神霊は現在の気多大社が鎮座する地へと勧請されます。これが、能登における信仰構造の転換点となりました。
七尾の能登生国玉比古神社は「元宮」として、信仰の純粋な起源と霊性を保持し続ける「奥の院」的役割を担います。対して、羽咋の気多大社は「一之宮」として、朝廷との窓口となり、政治的・行政的な権威を纏う「表の顔」となりました。

鉄と鏡のミステリー 古代テクノロジーの痕跡
能登生国玉比古神社を物語るものとして、社宝である「鉄製古鏡」の存在を見過ごすことはできません。
古代日本の鏡といえば、青銅製の「三角縁神獣鏡」などが想起されますが、ここでは「鉄」なのです。鉄は酸化しやすく、土中にあれば形を留めることすら困難です。それが社宝として伝世しているという事実は、奇跡に近いと言えます。 考古学的な視点に立てば、これは能登半島が古代の「金属の道」の重要拠点であったことを示唆しています。出雲地方との神話的共通項(大国主命)に加え、大陸からの製鉄技術、あるいは鉄資源そのものが、この地を経由して列島にもたらされた可能性が高いのです。
神の帰還 「おいで祭」に見る神話の再演
「寒さも気多のおいでまで」 能登の人々がそう口にする時、そこには春の訪れへの安堵とともに、ある種の畏敬の念が込められています。
毎年3月に行われる「平国祭(へいごくさい)」、通称「おいで祭」は、この神社の性格を最も劇的に表現する神事です。気多大社の神輿が、2市3町、総延長300キロメートルにも及ぶ道程を巡行するこの祭りは、単なるパレードではありません。
「平国」という名の通り、かつて大己貴命が能登を平定した際の道のりを、神自身が毎年「歩き直す」儀式なのです。「ゴール」として設定されているのが、ここ能登生国玉比古神社です。
加賀藩の美学と建築の粋
現在、私たちが目にする社殿の姿は、戦国時代から江戸時代にかけて形成されたものです。
天正年間、七尾城を中心とした城下町整備に伴い、神社は現在の所口町へと移されました。城下町の守護神として、あるいは精神的な要石として、最も適した場所が選定されました。
拝殿の屋根に見られる千鳥破風と唐破風の優美な曲線は、近世建築の華やかさを今に伝えています。大正12年に改修された銅板葺きの屋根は、長い歳月を経て緑青(ろくしょう)を纏い、周囲の緑と見事な調和を見せています。 また、柱の木鼻に彫られた象や狛犬の彫刻は、魔除けとしての機能を超え、芸術品としての完成度を誇ります。
参拝案内
能登生国玉比古神社(気多本宮) (のといくくにたまひこじんじゃ / けたほんぐう)

- 住所: 〒926-0814 石川県七尾市所口町ハ-48
- 地図: Googleマップで見る

コメント