【久氐比古神社】能登に鎮座する「案山子の神様」

石川県
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石川県・能登半島の中央部、中能登町久江。 ここに、全国でも非常に珍しい「案山子(かかし)」を主祭神として祀る延喜式内社があるのをご存知でしょうか?

その名は「久氐比古神社(くてひこじんじゃ)」。

「田んぼの守り神」としての素朴な姿の裏には、『古事記』に記された深い神話と、古代の製鉄技術に関わる歴史が隠されています。また、近年では「足は動かないが、世の中のことは全て知っている」という神格から、「合格祈願・学業成就」の最強スポットとしても注目を集めています。

今回は、この知る人ぞ知る能登の古社、久氐比古神社の由緒と魅力、そして現代におけるご利益について深く掘り下げてご紹介します。


なぜ「案山子」が神様なのか? 久延毘古神の正体

久氐比古神社の主祭神は、久延毘古神(くえびこのかみ)です。 この神様は、『古事記』の「大国主神の国作り」の場面で重要な役割を果たします。

『古事記』が語る「知恵の神」

大国主神が、海の向こうからやってきた小さな神様(少名毘古那神)の名前が分からず困っていたとき、ヒキガエルの多邇具久(タニグク)が進言します。 「山田の曽富騰(そほど=案山子)である久延毘古なら、きっと知っているでしょう

これに対し、久延毘古神は次のように描写されています。

「足は行かねど、天下の事、尽(ことごと)に知れる神なり」

(足は歩かないが、世の中のことはことごとく知っている神である)

受験生にとっての「最強の縁起」

本来は、田んぼに立ち尽くして鳥獣から稲を守る「監視者」でした。しかし、一日中立ち続けて世の中を見渡していることから、やがて「居ながらにして全てを知る=圧倒的な知識量」を持つ神様として崇められるようになりました。

また、一本足で立っていても風雨に負けず「決して倒れない」ことから、現代では受験生の守護神として再評価されています。


農耕だけではない? 製鉄と火の神々

久氐比古神社の興味深い点は、単なる農業神社ではないことです。相殿(あいでん)に祀られている神々を見ると、この土地(久江)が開拓された歴史的背景が浮かび上がってきます。

  • 天目一箇神(アメノマヒトツノカミ):製鉄・鍛冶の神
    • 天岩戸神話で刀斧を作ったとされる神様。久延毘古神が「農業」を象徴するのに対し、天目一箇神はそれを支える「技術(テクノロジー)」を象徴しています。
  • 火産霊神(ホムスビノカミ):火伏せ・鎮火の神
    • かつてこの神社は「愛宕社(あたごしゃ)」と呼ばれていた時期があり、火災から集落を守る神としての信仰も篤い場所です。

つまりここは、「農業(食)」+「製鉄(技術)」+「防災(安全)」という、生活の基盤を支える全てが詰まった聖地なのです。


能登で1000年続く信仰の古層

創建の由緒 集落の開墾と共に

久氐比古神社の正確な創建年代は不詳ですが、その由緒は非常に古く、久江集落が稲作(久延毘古神)と製鉄技術(天目一箇神)によって開墾された頃に遡ると考えられています。つまり、この神社は、この土地に定住した最初の住民たちが生活の基盤を築くために祀り始めた、集落そのものの守護神だったと言えます。

延喜式内社としての格式

久氐比古神社が持つ最大の歴史的証明は、平安時代中期(10世紀初頭)に編纂された、朝廷が定めた神社のリスト『延喜式神名帳』に登載されていることです。能登国鹿島郡の「小社」に列せられていた事実は、当社が少なくとも1000年以上にわたり、国家的な祭祀の対象として重要視されてきた高い格式を持つ古社であることを意味します。

特殊神事「オケラ餅神事」の起源

この古社に伝わる特殊神事「オケラ餅神事」は、最も古い伝承の一つであり、天平宝字6年(762年)に起こった大干ばつに際し、久氐比古神の霊験によって雨がもたらされ(または危機を脱し)、豊穣が得られたことへの感謝として始まったと伝えられています。これは、神社の持つ「五穀豊穣の神」としての性質を象徴する神事です。


参拝の案内

久氐比古神社へ参拝する際に知っておきたい実用情報です。

  • 無人社です 普段は神職が常駐していない神社です。境内は清掃が行き届いており静寂に包まれていますが、トイレなどの設備はないためご注意ください。

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