一般的に阿波国の一宮といえば、鳴門市の大麻比古神社(おおあさひこじんじゃ)が知られていますが、徳島の内陸、神山町の深い山あいに、もう一つの「一宮」が存在することをご存知でしょうか。
その名は、上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)。
「上(かみ)」を冠するその社名が意味するものは、地理的な標高の高さだけではありません。かつてここが、阿波国の信仰の「源流」であった可能性を静かに、しかし強烈に主張しているのです。 今回は、一度は訪れたい、阿波の深層に触れるこの古社について、祭神・大宜都比売命(オオゲツヒメ)の二つの神話と、一宮をめぐる政治的変遷から深く掘り下げていきます。
『古事記』が語る凄惨な神話 死して穀物を生む女神
上一宮大粟神社の主祭神は、大宜都比売命(オオゲツヒメノミコト)です。 『古事記』を読んだことがある方なら、この女神の最期に衝撃を受けたことでしょう。

スサノオによる殺害と「五穀」の誕生
高天原を追放されたスサノオノミコトが、空腹を抱えてオオゲツヒメのもとを訪れた際の話です。彼女はスサノオをもてなすため、なんと自らの鼻や口、尻から様々な美味しい食物を取り出して調理しました。
その様子を覗き見たスサノオは、「汚らわしいものを食わせるのか!」と激怒し、オオゲツヒメを剣で斬り殺してしまいます。 しかし、神話の真骨頂はここからです。殺された彼女の死体(屍)から、人類にとって不可欠な作物が生まれたのです。
- 頭から……蚕(カイコ)
- 目から……稲種(イネ)
- 耳から……粟(アワ)
- 鼻から……小豆(アズキ)
- 陰部から…麦(ムギ)
- 尻から……大豆(ダイズ)
これは「ハイヌウェレ型神話」と呼ばれ、命の犠牲の上に農耕(食)が成り立つという古代人のリアリズムを表しています。
「ハイヌウェレ型神話」の異なる神の記事もどうぞ
「阿波(粟)」という国名の起源
『古事記』の国産み神話において、四国は4つの顔を持つ島として描かれますが、そのうちの阿波国は「大宜都比売(オオゲツヒメ)」という別名で呼ばれています。 つまり、この女神は単なる一神社の祭神ではなく、阿波国そのもの(国魂)なのです。
「阿波(アワ)」という国名は、穀物の「粟(アワ)」に由来するとされ、その粟がオオゲツヒメの耳から生まれたことと符号します。
もうひとつの神話 女神は死なず、阿波に降り立った
しかし、現地の伝承は『古事記』とは異なる物語を語ります。 ここ神山町に残る社伝では、大宜都比売命は殺されておらず、「生きて阿波を開拓した英雄」として描かれているのです。
「伊の谷」への降臨と阿波の開拓
社伝によれば、大宜都比売命は高天原から8柱の神を従えて、現在の神山町にある「伊の谷」に降臨したとされています。 彼女は赤い馬に乗ってこの地に現れ、「粟(アワ)」の種を蒔き、広大な阿波国の開拓を始めました。
中央(ヤマト王権)の神話では「殺された敗者」として描かれる神が、地元では「開拓の祖」として崇められているのです。
鮎喰川(あくいがわ)の名の由来
神社の前を流れる清流「鮎喰川」の名称も、この創建神話に由来します。 開拓に疲れた大宜都比売命が、川で獲れた鮎(アユ)を食べ、そのあまりの美味しさに元気を取り戻したことから「鮎喰川」と名付けられたと伝えられています。
また、この地が「神領(じんりょう)」という地名であることも重要です。これは文字通り「神の領地」を意味し、古代においてこの一帯が大宜都比売命(およびその祭祀を行う神社)の直轄地として、特別な地位にあった証左と言えます。
なぜ「上一宮」なのか? 奪われた称号と歴史の闇
では、これほど重要な神を祀る神社が、なぜ現在は大麻比古神社の陰に隠れてしまったのでしょうか。そこには古代の政治力学が見え隠れします。
大麻比古神社 vs 大粟神社
古代、吉野川下流域が開拓される以前は、山間部の鮎喰川流域こそが人々の生活圏の中心でした。穀物神を祀る大粟神社が、この地域の筆頭神社(一宮)であったことは想像に難くありません。
しかし、大和朝廷の勢力伸長とともに、朝廷祭祀(大嘗祭の麁服調進など)に関わる阿波忌部(いんべ)氏の政治力が強大化します。その結果、一宮の称号は忌部氏の氏神である大麻比古神社へと移り、大粟神社は「元の一宮」「山側の一宮」という意味を込めて「上一宮」と呼ばれるようになったと考えられます。
江戸時代の棟札と明治の受難
この神社の正統性を証明するのが、境内に残る江戸時代の棟札です。そこには「一宮大明神」「大粟上一宮大明神」といった文字が明確に記されており、近世においても人々の認識が「こここそが一宮である」という点にあったことがわかります。
ところが明治時代、国家神道の整備に伴い、政府はこの社名を「埴生女屋神社(はにゅうおなやじんじゃ)」と改称させます。 「一宮」という権威ある名を奪われ、土着の小さな社のような名前を与えられた屈辱。しかし、地元の氏子たちはこれに屈しませんでした。熱心な請願運動の末、明治28年に現在の「上一宮大粟神社」への復称を勝ち取ったのです。
境内の見どころ

荘厳なる神域
神山町の中心部から少し入った山裾に、神社は鎮座しています。長い石段を登りきると、杉の巨木に囲まれた静寂な空間が広がります。拝殿や本殿の造りは重厚で、かつての格式の高さを今に伝えています。 特に注目していただきたいのは、社殿の配置や彫刻に見られる、穀物と養蚕への感謝の意匠です。
阿波邪馬台国説の聖地
近年、一部の歴史研究家やファンの間で熱を帯びているのが「邪馬台国阿波説」です。 この説では、穀物の女神であり、阿波国そのものであるオオゲツヒメを、女王・卑弥呼に比定する見方があります。 また、神社の背後に広がる山々や地形が、古代の防衛拠点として適していること、近隣で朱(水銀)が産出することなどが、その根拠として語られます。
アクセス方法

基本情報
- 名称: 上一宮大粟神社(かみいちのみやおおあわじんじゃ)
- グーグルマップの位置情報
- 住所: 〒771-3310 徳島県名西郡神山町神領字西上角330
- 駐車場: あり(参道下の広場・神宮寺跡地をご利用ください)
車でお越しの方
- ルート: 徳島市中心部から国道438号線を西へ約40分~50分。
- 目印: 鮎喰川沿いに進み、神山町役場の手前、「寄井(よりい)」の交差点を過ぎて少し進むと、右手に神社の案内や鳥居が見えてきます。
公共交通機関(バス)でお越しの方
徳島駅前のバスターミナルより「徳島バス」を利用します。
- 乗車: 徳島駅前バスターミナルより、徳島バス・神山線(延命 経由 または 名東 経由)「神山高校前」行き等に乗車。
- 下車バス停: 「上角(うえつの)」(所要時間:約50分~60分)
- 徒歩: 「上角」バス停下車後、徒歩約4〜5分。
- バス停を降りて集落内の道へ入ります。案内看板を確認してください。
- ※「寄井中」バス停から歩くルートもありますが、上角が最寄りです。


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