【高良大社】高良玉垂命は武内宿禰?物部神?謎の神と古代山城の痕跡

福岡県
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九州・筑後平野を見下ろす高良山。 その山腹に鎮座する筑後国一の宮 高良大社(こうらたいしゃ)は、古代よりこの地域の霊的頂点として君臨してきました。

眼下には筑後川と有明海、天気が良ければ雲仙普賢岳まで見渡せる絶景。

ここには、「神籠石(こうごいし)」と呼ばれる巨大な列石の謎と、主祭神・高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)の正体をめぐる、古代史の深い闇が隠されています。

天空の社殿と絶景 権現造の壮麗

まずは、高良大社の圧倒的なロケーションをご紹介しましょう。 131段の石段を登りきると、そこに現れるのは重要文化財に指定されている壮麗な社殿です。

現在の社殿は、江戸時代初期の万治3年(1660年)から寛文元年(1661年)にかけて、第3代久留米藩主・有馬頼利によって造営されたものです。

建築様式は「権現造(ごんげんづくり)」を採用しています。 これは本殿と拝殿を「石の間」と呼ばれる幣殿でつないだ構造で、日光東照宮などに見られる格式高い様式です。神社の社殿としては九州最大級の大きさを誇り、当時の久留米藩の財力と崇敬の深さを物語っています。


「神籠石」 聖なる結界か、古代の要塞か

高良大社を語る上で避けて通れないのが、国の史跡「神籠石(こうごいし)」です。 社殿を取り囲むように、切石(きりいし)が約1.5km(推定全長約3km)にわたって並んでいます。

この石列の正体を巡っては、長らく論争が続いてきました。

かつての「霊域説」

明治時代、この列石を発見した学会は、これを神の領域を区切る「結界」であると考え、「神が籠る石=神籠石」と名付けました。苔むした巨石が森の中に整然と並ぶ姿は、確かに神聖な気配を漂わせています。

覆された定説 「古代山城」としての真実

しかし、戦後の発掘調査で歴史は動きます。 列石の背後から、土を突き固めた「版築(はんちく)」や、水を排出するための「水門」が発見されたのです。

これにより、現在では「7世紀後半、白村江の戦い(663年)で敗れたヤマト王権が、唐・新羅の侵攻に備えて築いた古代山城(朝鮮式山城)」であるという説が定説となっています。

かつて国を守るために築かれた軍事要塞が、長い時を経て「神の聖域」として再解釈され、信仰の対象となった——。この歴史の変遷こそ、高良山の魅力かもしれません。


祭神の検証 「高良玉垂命」とは誰なのか?

本殿には、主祭神として「高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)」が祀られています。 『古事記』や『日本書紀』にはその名が登場しない、謎多き神です。

一体この神は誰なのか? 古文書に残された記述をもとに、主要な4つの説を検証します。

① 伝説の忠臣「武内宿禰」説

一般的とされているのが、伝説の忠臣・武内宿禰(たけのうちのすくね)であるとする説です。高良大社のホームページの祭神のページでも高良玉垂命の下に武内宿禰の神像の写真を掲載されています。

武内宿禰は、景行天皇から仁徳天皇まで5代の天皇に仕え、300年以上生きたとされる長寿の神です。

【根拠となる古文書】 中世(14世紀頃)の社伝『高良玉垂宮縁起(こうらたまたれぐうえんぎ)』には、以下のように記されています。

高良大明神ハ、武内宿禰ト申ス、此国ノ人王・天照大神ノヒマゴ(曾孫)ニテオハシマス、月神ノ垂迹ナリ」 (高良大明神は武内宿禰と申す。……月神が姿を変えて現れたものである。)

「延命長寿」というご神徳の一致や、神功皇后の三韓征伐を補佐したという土地柄からも、最も整合性が高いとされる説です。

② 「物部氏の祖神」説

古代の有力豪族・物部(もののべ)氏に関わる神饒速日命など)であるという説です。

久留米周辺には「物部」という地名が残り、かつて物部氏の勢力圏であったことは確実視されています。 しかし、物部氏は6世紀に蘇我氏に敗れた「敗者」です。そのため、朝廷に憚って祭神名を隠したのではないか?という推測です。

【根拠となる古文書】 この説を裏付けるのが、江戸時代まで門外不出の秘書とされた『高良玉垂宮神秘書(こうらたまたれぐうしんぴしょ)』です。ここには衝撃的な一節があります。

「高良大明神は保連(やすつら)と申し奉る。……神功皇后と夫婦になりたまふ」 「大祝(おおほうり)は神の御子孫なり、物部と云ふ

高良大明神を「保連」とし、神職のトップである大祝家が「物部」を名乗っていたことが明記されています。これは、祭神が物部氏そのものであることを示唆する決定的な証拠とも言われています。

③ 「中臣烏賊津」説

神功皇后の「審神者(さにわ=神の言葉を聞く役)」を務めた、中臣烏賊津(なかとみのいかつ)とする説です。

【根拠となる古文書】 平安時代後期の『筑後国神名帳』には、祭神の別名と思われる記述があります。

「高良玉垂命 中臣烏賊津連(なかとみのいかつへのむらじ)」

④ 自然崇拝「水神・海神」説

特定の人物ではなく、海や水を司る機能神とする説です。 「玉垂」という名は、潮の満ち引きを操る「干珠(かんじゅ)・満珠(まんじゅ)」を連想させます。

【根拠となる古文書】 『日本書紀』神功皇后の段には、海神からこの宝珠を授かる場面があります。

「海神(わたつみ)、……干珠・満珠の両の珠を奉る」

高良山からは有明海が一望できることから、航海を守る「水神」としての性格が、後に人格神へと変化した可能性があります。


現代に生きる信仰とミステリー

「神籠石」は聖域か要塞か。「高良玉垂命」は忠臣か、それとも隠された敗者か。

高良大社は、これら複数の歴史の層が重なり合ってできています。 どれが真実か一つに決めるのではなく、その重層性こそが、1600年以上続くこの神社の「懐の深さ」なのかもしれません。

境内には他にも、緑と金色の縞模様が美しい「孟宗金明竹(国指定天然記念物)」や、かつては毘沙門堂であり水分(みくまり)の神を祀る「奥宮」など、見どころが満載です。

絶景に癒やされるもよし。 古代の防衛線に思いを馳せるもよし。 古文書を片手に、消された神の痕跡を探すもよし。

ぜひ一度、ご自身の目で「筑後の至宝」高良大社の空気に触れてみてください。


アクセス情報

  • 筑後国一の宮 高良大社(こうらたいしゃ)
  • 住所:福岡県久留米市御井町1
  • グーグルマップの位置情報
  • アクセス:JR久大本線「久留米大学前駅」から徒歩またはタクシー、九州自動車道「久留米IC」から車で約15分
  • 駐車場:あり(中腹および山頂付近)

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