但馬の秘境「名草神社」に隠された二つの顔
兵庫県北部の但馬地方、養父市。鬱蒼と茂る杉の巨木林に覆われた妙見山の山中、標高800mの地点にその社はひっそりと、しかし圧倒的な存在感を放って鎮座しています 。その名は,名草神社(なぐさじんじゃ)。
鮮やかな丹塗りの三重塔、日光東照宮にも比される豪華絢爛な本殿、そして他に類を見ない構造の拝殿。これら3棟すべてが国指定重要文化財という、北近畿でも随一の建築群が、なぜこれほどの人里離れた山奥にあるのか?
しかし、最大の謎はそこではありません。神を祀る「神社」の境内に、なぜ仏教建築であるはずの「三重塔」がそびえ立っているのでしょうか?
その答えは、この神社が持つ「二つの顔」と、日本の歴史が経験した大きな断絶に隠されていました。
「名草神社」と「但馬妙見」、二つの貌
今日の「名草神社」の姿を理解するには、まず、この場所がかつて全く別の名前で呼ばれていたことを知る必要があります。明治維新以前、ここは「但馬妙見(たじまみょうけん)」として、山陰地方に絶大な影響力を持った一大霊場でした 。
「妙見」とは、北極星や北斗七星を神格化した妙見菩薩を祀る星辰信仰のこと 。但馬妙見は、守護大名・山名宗全や徳川幕府からも篤い庇護を受け、福島県の相馬妙見、熊本県の八代妙見と並び「日本三大妙見」の一つに数えられるほどの隆盛を誇ったのです 。その中心を担ったのが、山麓にある寺院・日光院と、その奥之院であったこの山上の聖地でした 。

神仏分離の激震
この輝かしい歴史は、明治元年(1868年)の神仏分離令によって突如、終わりを告げます 。神道と仏教を明確に分けるという新政府の方針により、神仏習合の象徴であった但馬妙見は、その存在を許されませんでした。
山上にあった中心施設(日光院の奥之院)は寺院であることをやめ、「神社」となることを強制されたのです。そして、その際に与えられたのが、平安時代の『延喜式』に名はあれど、所在不明となっていた古社「名草神社」の社号でした 。
驚くべきことに、名草神社に残る明治以前の古文書には、「妙見社」や「妙見宮」という名はあっても、「名草」という名は一切見当たりません 。つまり、「名草神社」という名は、古代から続く信仰の証ではなく、近代国家の誕生という歴史の激動の中で、強大な仏教聖地の遺産の上に、いわば「接ぎ木」される形で生まれたものなのです。
神社に三重塔があるという最大の謎は、この場所が元は仏教寺院「但馬妙見」であったことの、何より雄弁な証拠に他なりません 。

建築美の饗宴 国指定重要文化財を巡る時空旅行
名草神社の境内は、異なる時代に建てられた3つの国宝級建築が奇跡的な調和を見せる、まさに建築の野外博物館です。
三重塔ー 出雲と但馬を結ぶ、奇跡の移築物語
杉木立の間から突如現れる、鮮やかな丹塗りの三重塔。この塔の来歴こそ、歴史ロマンそのものです。
もともとこの塔は、遠く島根県の出雲大社(当時は杵築大社)の境内に、戦国大名・尼子経久によって大永7年(1527年)に建立されたものでした 。
その塔がなぜ但馬の山中へ?
江戸時代、出雲大社で大規模な社殿造営が行われた際、但馬妙見から御神木として優れた妙見杉が提供されました 。その返礼として、
出雲大社は三重塔そのものを但馬妙見に譲り渡したのです 。
寛文5年(1665年)、塔は一度解体され、部材は日本海を船で渡り、険しい山道を人々の手で運び上げられ、この地に再建されました 。地域間の深い信仰の絆が成し遂げた、壮大な文化交流の物語がここにあります。

全国唯一の「四猿」
この塔で絶対に見逃せないのが、最上層の軒下にある「四猿(しえん)」の彫刻 。日光東照宮の「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿はあまりに有名ですが、ここには左頬に手を当てた
「思わざる(悪しきことを思わない)」を表すと考えられる4匹目の猿がいます。この構成は、全国でも名草神社でしか見られない極めて珍しいものです 。
本殿 ― 但馬に花開いた、江戸後期の絢爛豪華な彫刻群
拝殿の奥、一段高い場所に鎮座するのが、宝暦4年(1754年)建立の本殿です 。入母屋造の屋根に千鳥破風と唐破風を重ねた姿は、日光東照宮にも比されるほどの荘厳さ 。
その真骨頂は、向拝周りを埋め尽くす、息をのむほど精緻で躍動的な彫刻群です。
- 躍動する神獣たち:龍や獅子、鳳凰などが、今にも動き出しそうな生命感をもって彫り出されています 。
- 異色のモチーフ:但馬地方では極めて珍しい、鶴や亀に乗る仙人といった、中国の神仙思想を主題とした彫刻が見られます 。これらは京や大坂の名工が手掛けたと推測されており、当時の但馬妙見の文化レベルの高さを物語っています 。
歴史好きへの考察ポイント
三重塔の猿が「見ざる・言わざる・聞かざる・思わざる」という4つの戒めを完全に表現しているのに対し、本殿の獅子の彫刻は「言わざる(口を押さえる)」「聞かざる(耳を押さえる)」に対応する姿は見せるものの、「見ざる」に相当する彫刻はありません 。これは、仏教建築である三重塔が示す教えに対し、後に建てられた本殿が応答するような、神仏習合時代ならではの象徴的な対話の痕跡かもしれません。

拝殿 ― 稀有な形式と劇的な空間構成
元禄2年(1689年)建立の拝殿は、現存する主要建造物で最も古いものです 。この建物は二つの点で非常にユニークです。
- 割拝殿(わりはいでん):建物の中心が吹き抜けの通路になっており、参拝者は門をくぐるようにして本殿へ進みます。現存例の少ない希少な形式です 。
- 懸造(かけづくり):高い石垣からさらに斜面へと張り出し、長い柱で支えられた構造は、下から見上げると城郭のような威圧感と劇的な景観を生み出しています 。
令和4年(2022年)の修復で、内部に掲げられた神功皇后などを描いた絵馬も鮮やかに蘇りました 。

訪問手段と心構え
この歴史の証人を訪れるには、少しばかりの覚悟が必要です。その到達の困難さこそが、俗世から隔絶された神聖な雰囲気を守っているとも言えます。
自動車でのアクセス
- ルート:北近畿豊岡自動車道「八鹿氷ノ山IC」から国道9号線などを経由し約30分 。
- 最重要注意点:山麓の日光院を過ぎると「妙見蘇武林道」に入ります。この道は1.5車線ほどの非常に狭い道となりますので、対向車とのすれ違いには最大限の注意が必要です。運転に自信のない方は慎重にご判断ください。大型車は通行できません 。
- 駐車場:神社入口付近に無料駐車場(5〜10台程度)があります 。
公共交通機関でのアクセス
- ルート:JR山陰本線「八鹿駅」から全但バス「石原」行きに乗車(約20分)、終点「石原」で下車。そこから徒歩で約60分~120分(約9km)という、健脚向けの道のりです 。まさに「巡礼」と呼ぶにふさわしいアプローチです。
共通の注意点
- 冬季閉鎖:冬期は積雪のため林道が閉鎖され、車両でのアクセスは完全に不可能となります 。訪問は春から秋にかけて計画してください。
- 自然災害:豪雨などによる土砂崩れで通行止めになる可能性もあります。訪問前には必ず養父市観光協会などで最新の道路情報をご確認ください 。
位置情報(Googleマップ)
- 住所:兵庫県養父市八鹿町石原1755-6
- Googleマップで場所を確認する
もっと深く知るための参考文献
名草神社の複雑な歴史と建築の魅力に惹かれたなら、これらの書籍があなたの知的好奇心をさらに満たしてくれるでしょう。
自治体史(地域の公式記録をたどる)
- 『八鹿町史』『養父市史』など
- 名草神社の歴史を最も詳しく知るための一級資料です。養父市の公式サイトから購入方法を確認できます。オンラインでの一般販売は限られているため、地元の図書館で閲覧するのも良いでしょう 。
- 購入・閲覧に関する問い合わせ先:養父市歴史文化財課
神社建築・日本建築を知るための本
- 『神社の本殿 建築にみる神の空間』(三浦 正幸 著/吉川弘文館)
- 神社建築の基本構造から意匠、様々な形式までを豊富な図解で解説。名草神社の建築様式を理解する上で非常に役立ちます。
- 楽天ブックスで購入 | 吉川弘文館公式サイト
- 『図説 日本建築の歴史 寺院・神社と住宅 新装版』(玉井 哲雄 著/河出書房新社)
- 寺社から住宅まで、日本建築の歴史をビジュアル豊かに解説した入門書。名草神社をより広い文脈で捉えることができます。
- 河出書房新社公式サイト | 紀伊國屋書店ウェブストアで購入
但馬妙見・妙見信仰に関する書籍
但馬妙見や妙見信仰に特化した専門書は古書が多く入手困難ですが、以下のような書籍が存在します。国会図書館デジタルコレクションなどで探求の糸口が見つかるかもしれません。
- 『密教占星法』(森田 龍僊 著):但馬妙見日光院の元住職による著作で、妙見信仰に関する記述があります 。復刻版がオンライン書店で入手可能な場合があります。
- 『名草神社三重塔と出雲大社 寛文御造営日記』(八鹿町教育委員会 編):三重塔移築の経緯を詳細に記した貴重な資料です 。
- 『ひょうご伝説紀行 ―神と仏―』(兵庫県立歴史博物館 編):名草神社に関連する「妙見の臼」の伝説が紹介されています 。博物館のミュージアムショップ等で購入可能です。
歴史の証言者として佇む聖地
名草神社は、ただ美しいだけの神社ではありません。それは、日本の宗教史における巨大な断層──神仏分離という激動の記憶を、その身をもって現代に伝える「歴史の証人」です。
仏教寺院「但馬妙見」としての栄華と、神道の古社「名草神社」としての新たな貌。二つの歴史が重なり合う境内を歩けば、きっとあなたも時間旅行をしているかのような不思議な感覚に包まれるはずです。
アクセスは容易ではありません。しかし、その先に待っているのは、息をのむほどの建築美と、日本の歴史の深淵を覗き見るような知的な興奮です。一度は訪れるべき聖地が、但馬の山中にあなたを待っています。

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