【下鴨神社・ 賀茂御祖神社】上賀茂神社の御祖の神が祀られる社

京都府
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京都最古の神社のひとつであり、ユネスコ世界文化遺産にも登録されている「賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)

下鴨神社(しもがもじんじゃ)」として親しまれているこの場所は、単なる観光地ではありません。

広大な原生林「糺の森(ただすのもり)」を抜け、朱塗りの楼門をくぐると、そこには1200年以上前から続く信仰と、平安貴族たちが愛した美が今も息づいています。

今回は、下鴨神社の知られざる創始神話から、国宝である本殿の建築様式、そして葵祭や現代のレース守りに至るまで、その多層的な魅力を徹底的に掘り下げて解説します。


京都の都市構造における下鴨神社の聖性

下鴨神社は、上賀茂神社(賀茂別雷神社)と共に「賀茂社」と総称され、古代山城国の豪族・賀茂氏の氏神として発祥しました。1994年には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されていますが、ここは日本の精神文化の基層を形成する重要な場所でもあります。

地理的環境と風水思想

下鴨神社が鎮座するのは、東の高野川と西の賀茂川が合流し、一本の「鴨川」となる三角州(デルタ地帯)です。 この場所は古代の風水思想(四神相応)において、気が集まる神聖な場所とされてきました。平安京遷都(794年)以前から祭祀が行われていたことが分かっており、都の北東(鬼門)を守護する要衝でもありました。

境内に広がる約12万平方メートル(東京ドーム約3倍)の「糺の森(ただすのもり)」は、都市化が進んだ現代の京都において、太古の自然環境を奇跡的に残す「鎮守の森」です。

賀茂神話 八咫烏と丹塗矢の伝説

下鴨神社の本殿には二柱の神様が祀られていますが、ここには日本の古代史において非常にドラマチックな「移動」と「家族」の物語が存在します。

主祭神 賀茂建角身命の正体

西殿に祀られているのは、賀茂氏の始祖である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)です。 実はこの神様、神武天皇の東征において最も重要な役割を果たした「八咫烏(やたがらす)」の化身であると伝えられています。

伝承によれば、彼は日向(宮崎)の曾の峰に降臨し、神武天皇を大和(奈良)へ導いた後、自らは大和の葛城山から山城国(京都)へと移動しました。その後、賀茂川を遡って現在の御蔭山(みかげやま)に鎮まったとされます。 つまり下鴨神社は、「大和朝廷成立の功労者が、安住の地として選んだ場所」なのです。現在、日本サッカー協会のシンボルとして「勝利」や「導き」の神として信仰されているのも、この神話に由来します。

丹塗矢伝説(にぬりやでんせつ) 水辺のミステリー

東殿に祀られているのは、賀茂建角身命の娘、玉依姫命(たまよりひめのみこと)です。彼女にまつわる神話は、日本神話の中でも特に神秘的な「感生神話」です。

ある日、玉依姫命が石川の瀬見の小川(現在の賀茂川の上流)で水遊びをしていると、川上から一本の丹塗矢(赤く塗られた矢)が流れてきました。 姫がその美しい矢を持ち帰り、寝床の近くに挿して眠ったところ、なんと姫は懐妊します。

この「赤い矢」の正体は、乙訓神社の火雷神(ほのいかずちのかみ)であったとされています(※諸説あり)。矢は男性器の比喩であり、古代における「聖婚」の儀式を象徴しています。 こうして生まれたのが、上賀茂神社の祭神である賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)です。「別雷」とは「若い雷(雷神の御子)」を意味します。

父を探す酒宴と「天昇り」

生まれた子供(賀茂別雷命)が成人した際、祖父である賀茂建角身命は盛大な酒宴を開き、こう言いました。

「お前の父親だと思う神に、この杯を飲ませなさい」

すると、息子は杯を天に向けて投げ上げ、「私の父は天上の神です」と言い残して、そのまま屋根を突き破り、雷鳴と共に天へ昇ってしまったといいます。 この衝撃的な別れの後、母である玉依姫命が夢のお告げを聞き、再び我が子に会うために行った祭祀が、現在の「葵祭(あおいまつり)」の起源となったと伝えられています。

賀茂御祖神社」という正式名称の「御祖(みおや)」とは、「親」という意味。ここは上賀茂神社の神様の「母」と「祖父」を祀る、一族のルーツを守る場所なのです。

国宝・本殿に見る建築美「流造」

下鴨神社の本殿(西殿・東殿)は国宝に指定されており、神社建築様式の一つである「流造(ながれづくり)」の代表例です。

「流造」とは何か?

伊勢神宮に代表される「神明造」が直線的で素朴な形をしているのに対し、「流造」は屋根が優美な曲線を描いて前方に長く伸びているのが特徴です。 この長く伸びた屋根(向拝)は、雨の多い日本の気候に適応しつつ、参拝者が雨に濡れずに祭祀を行える実用性と、平安貴族好みの優雅さを兼ね備えています。

現在の本殿は文久3年(1863年)に造替されたものですが、21年ごとの式年遷宮によって、創建当時の姿が美しく維持されています。

祭礼と儀式 葵祭と御手洗祭

下鴨神社の信仰は、国家的な祭礼と、庶民の暮らしに根差した行事の二層構造で支えられています。

葵祭(賀茂祭)

毎年5月に行われる「葵祭」は京都三大祭の一つ。総勢500名以上の行列が、平安時代の装束をまとい、御所から下鴨神社を経て上賀茂神社へと練り歩きます。 特に注目なのが、祭りのヒロイン「斎王代(さいおうだい)」です。かつては皇女が務めた役ですが、現在は一般から選ばれた未婚女性が務めます。十二単をまとった斎王代が、御手洗池で手を清める「御禊の儀(みそぎのぎ)」は、祭りのハイライトとして多くの人を魅了します。

御手洗祭(みたらしまつり)水と再生の儀礼

7月の土用の丑の日前後に行われるのが「御手洗祭(足つけ神事)」です。 靴を脱いで裸足になり、御手洗池に入ります。湧き水である池の水は夏でも20度以下と冷たく、入った瞬間に身が引き締まります。膝まで水に浸かりながら無病息災を祈り、最後に御神水をいただくことで身を清めます。 ちなみに、この池から湧き出る水泡を模して作られたのが「みたらし団子」の発祥だと言われています。

現代に息づく信仰と授与品

下鴨神社は、伝統を守りながらも現代のニーズに合わせた新しい信仰の形を取り入れています。

  • 河合神社と鏡絵馬: 摂社の河合神社は「日本第一美麗神」として知られ、手鏡の形をした「鏡絵馬」にお化粧をして奉納することで、外見だけでなく内面の美しさも祈願します。
  • ラグビーの聖地 境内の「雑太社(さわたしゃ)」は関西ラグビー発祥の地。八咫烏の「勝利」の神徳とも相まって、多くのラガーマンが訪れます。
  • レース守り: 白いレース生地に銀糸で刺繍を施したお守りは、その繊細な美しさからSNSでも話題となり、若年層の参拝意欲を高めています。

下鴨神社(賀茂御祖神社)へのアクセス・概要

  • 住所: 〒606-0807 京都府京都市左京区下鴨泉川町59
  • グーグルマップの位置情報
  • 拝観時間: 6:30~17:00(季節により変動あり)
  • 定休日: 無休
  • 拝観料: 境内無料(大炊殿などの特別拝観は有料)
訪問手段

【公共交通機関の場合】

  • JR京都駅から: 市バス4番・205番系統に乗車(約25分)、「下鴨神社前」または「糺ノ森」バス停下車すぐ。
  • 京阪電車: 「出町柳駅」下車、徒歩約12分。

【お車の場合】

  • 境内に有料駐車場(西駐車場など)があります。

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