京都市北区、鴨川の上流に位置する賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)。
通称「上賀茂神社」。
ユネスコ世界文化遺産「古都京都の文化財」の一つであるこの場所は、天武天皇7年(678年)に社殿の基盤が築かれたと伝えられています。これは794年の平安遷都よりも100年以上前のこと。つまり、京都という都市が生まれる遥か昔から、この地は絶対的な「聖域」として存在していたのです。
今回は、京都の鬼門(北東)を守る比叡山に対し、都の真北(玄武の方角)を守護し続けてきた上賀茂神社の謎と魅力を、神話の深層から紐解いていきます。
創祀の神話 流れてきた「朱色の矢」と雷神の誕生
上賀茂神社の起源を知る鍵は、現存しない幻の歴史書『山城国風土記(やましろのくにふどき)』の逸文に残された、ある「衝撃的な出生の物語」にあります。それは、川遊びをしていた乙女と、一本の「矢」から始まる神秘的な伝承です。
瀬見の小川の奇跡 丹塗矢(にぬりや)伝説
物語の舞台は、現在の鴨川上流にあたる「瀬見の小川」。 下鴨神社の祭神である賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)の娘、玉依比売(たまよりひめ)が川で遊んでいた時のことです。
川上から一本の鮮やかな「丹塗矢(赤く塗られた矢)」が流れ着きました。 その矢のあまりの美しさに心を奪われた玉依比売は、それを持ち帰り、自らの寝床の近くに大切に飾って眠りにつきました。すると不思議なことに、比売はいつの間にか懐妊し、やがて男の子を出産したのです。
この「矢」こそが、実は男神の化身でした。古代において「矢」は、標的を射抜く武力であると同時に、天から地へ一直線に走る「雷(いかづち)」の象徴でもありました。
父は誰か? 天井を突き破った神の子

男の子はすくすくと育ちました。 ある日、祖父である賀茂建角身命は、孫の成長を祝う宴の席でこう言いました。 「お前の父親だと思うものに、この酒を飲ませなさい」
祖父は、この地域の誰かが父親だろうと考えていました。しかし、盃を受け取った男の子は、集まっていた人々には見向きもせず、屋根の棟に向かって盃を掲げ、こう言い放ちました。
「我が父は、天津神(あまつかみ)なり」
その瞬間、男の子は雷鳴とともに龍のような姿となり、天井を突き破って天へと昇っていってしまいました。彼こそが、賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)。すなわち、「雷を別けるほどの力を持つ」上賀茂神社の主祭神としての覚醒の瞬間でした。
母の涙と夢の託宣 葵祭の起源へ
愛する我が子を失った母・玉依比売の悲しみは深く、神に祈り続けました。その想いが通じたのか、ある夜、夢枕に別雷大神が現れ、再び会うための方法を告げます。
「吾に逢はむと欲(おも)はば、馬に鈴を懸け走らせ、葵楓(あおいかつら)を造りて、厳しく飾りて待ちたまへ」
「私に会いたければ、馬を走らせ、葵と桂の葉で着飾り、盛大な祭りをしなさい」——この具体的な指示に従って行われたのが、日本最古の祭礼の一つ「葵祭(賀茂祭)」であり、神馬を走らせる「競馬会神事」の起源なのです。
建築空間の象徴性と「立砂」

「立砂」 神山の具現化と盛り塩のルーツ
二ノ鳥居をくぐり、重要文化財「細殿」の前に立つと、一対の美しい円錐形の砂山が目に飛び込んできます。これが「立砂(たてずな)」です。
これは単なる装飾ではありません。祭神・賀茂別雷大神が最初に降臨したとされる、本殿の背後にそびえる「神山(こうやま)」を模した神聖な依り代(よりしろ)です。
- 頂点の松葉: 向かって左に3本(陽)、右に2本(陰)の松葉が立てられ、陰陽道の思想が反映されています。
- 盛り塩の起源: この立砂は「清めのお砂」として信仰され、現在日本の玄関先で見られる「盛り塩」のルーツになったと言われています。
国宝・本殿と「常若」の思想
神域の最奥には、国宝である本殿と権殿(ごんでん)が鎮座しています。 ここで特筆すべきは、「権殿」が仮設ではなく、本殿と全く同規模・同形式で常に並立している点です。これは、常に新しい建物を用意しておくことで神の生命力を更新し続ける「常若」の思想を具現化したものであり、全国的にも極めて珍しい配置です。
雷神から「航空安全」へ 現代の信仰
厄除けと必勝の神
主祭神の名前にある「別雷(わけいかづち)」は、「雷を別けるほどに強い力」を意味します。その激しい力であらゆる災厄を祓うことから、最強の「厄除け(方除け)」の神として、また物事を推し進める「必勝」の神として崇敬されています。
空を守る神様
現代ならではのユニークな信仰が「航空安全」です。
- 雷神として天空を支配していること。
- 神話において、祖先神が「八咫烏(やたがらす)」となって神武天皇の道案内をしたこと。
これらの要素が結びつき、現在ではパイロットやキャビンアテンダント、海外旅行へ行く人々が「航空安全御守」を求めて参拝に訪れます。古代の雷神信仰が、現代のテクノロジーと結びついている興味深い事例です。
文学とロマンス 紫式部と片岡社

境内には、縁結びのパワースポットとして知られる摂社「片岡社(片山御子神社)」があります。ここには、別雷大神の母である玉依比売命が祀られています。
『源氏物語』の作者・紫式部もこの地を訪れ、和歌を詠んでいます。
「ほととぎす 声まつほどは 片岡の もりのしづくに 立ちやぬれまし」
(ホトトギスの声を待つ間、この片岡の森の木陰に立って、朝露に濡れていましょうか)
表向きはホトトギスを待つ歌ですが、その裏には「将来の良き縁(夫)を待ちわびる心」が込められているとされています。 現在、絵馬掛けには紫式部が描かれたハート形の絵馬が並び、1000年の時を超えて恋の願いが紡がれています。
アクセス情報

アクセス情報
賀茂別雷神社(上賀茂神社) 〒603-8047 京都府京都市北区上賀茂本山339
- 市バス: JR京都駅より4系統「上賀茂神社前」行き(終点下車すぐ・約60分)、または9系統「上賀茂御薗橋」下車徒歩5分。
- 車: 参拝者用駐車場あり。




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