【葛城神】土佐に流された葛城神とは?雄略天皇と葛城氏の衰退

奈良県
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「神様が天皇に怒られて、遠い島へ流される」。 そんな衝撃的な事件が、日本の正史『続日本紀』に残されていることをご存知でしょうか?

舞台は古代の大和・葛城山(かつらぎさん)。 登場するのは、強力な武人として知られる雄略天皇(ワカタケル大王)と、葛城の地主神である高鴨神です。

一見すると荒唐無稽なこの伝説の裏には、5世紀に実在した強大な豪族・葛城氏(かつらぎし)の滅亡と、ヤマト王権の激しい権力闘争の記憶が隠されていました。

今回は、奈良から高知(土佐)へと続く壮大な「神の流罪」の物語を紐解き、その歴史の真実を巡る旅へとご案内します。


伝説のミステリー 神と天皇の「狩り」勝負

事件のあらましは、奈良時代後期(764年)の記録『続日本紀』に、過去の因縁話として記されています。

天皇の怒りと神の流罪

昔、雄略天皇が葛城山で狩りをしていたときのこと。一人の老人が現れ、ことごとく天皇と獲物を競い合いました。 その不遜な態度に激怒した天皇は、なんとその老人(神の化身)を土佐国へ流罪にしてしまったのです。

実際の記述を見てみましょう。非常に淡々と、しかし衝撃的な処分が下されています。

▼『続日本紀』巻第二十五 天平宝字八年(764年)十一月庚子の条

【書き下し文】 昔、大泊瀬天皇(おおはつせのすめらみこと ※雄略天皇)、葛城山に猟(かり)す。時に老夫(おきな)ありて、毎(つね)に天皇と獲(え)を争ふ。天皇これを怒りて、其の人を土左(とさ)の国に流す。是、先祖の主(つかさど)る所の神、化して老夫となる。爰(ここ)に放逐せらるるなり。

【漢文】 昔、大泊瀬天皇、猟於葛城山。時有老夫。毎争快。天皇怒、流其人於土左国。是、先祖所主之神、化為老夫。爰被放逐。

神様ですら、天皇の怒りには逆らえず追放される——。 これは、奈良時代において「天皇の力」が神をも凌駕するほど絶対的なものになったことを象徴しています。

かつては「対等」だった二人

しかし、不思議なことに、これより古い『古事記』(712年)では、物語のトーンが全く異なります。そこでは、天皇と神(一言主神)は互いに敬意を払い合い、対等な関係として描かれているのです。

▼『古事記』下巻 雄略天皇

【書き下し文】 此れ誰(た)ぞ。(中略) 「吾(あ)は悪事(まがごと)も一言(ひとこと)、善事(よごと)も一言、言離(ことさか)の神、葛城の一言主(ひとことぬし)の大神ぞ」 と告(の)りたまひき。ここに天皇(すめらみこと)惶畏(かしこ)みて申したまはく、 「恐(かしこ)し。我が大御神(おおみかみ)。うつしおみあれば、何か、現神(あきつかみ)まさんとおもはざりき」

【現代語訳】 (天皇が「お前は誰だ」と問うと、神は答えた。) 「私は、悪いことも一言、良いことも一言で言い放つ神、葛城の一言主の大神である」 これを聞いた天皇は恐れ入り、「恐れ多いことです、我が大御神よ。まさか神が現れるとは思ってもみませんでした」と言い、衣服や弓矢を捧げた

なぜ、時代が下るにつれて物語は書き換えられ、神は「友人」から「罪人」へと転落してしまったのでしょうか?


歴史の真実 滅ぼされた豪族「葛城氏」の記憶

この物語の変質の背景には、5世紀の現実の歴史があります。

「神の流罪」=「氏族の滅亡」

歴史学的な視点から見ると、神話における「神の敗北や追放」は、その神を祀っていた氏族(豪族)の没落を暗喩しているケースが多々あります。

  • 雄略天皇(ワカタケル大王) 埼玉県の稲荷山古墳出土鉄剣にもその名が刻まれる実力者。強力なリーダーシップを持つ一方、対立する皇族や豪族を次々と粛清し、「大悪天皇」とも呼ばれた人物です。
  • 葛城氏 当時、大和盆地の南西部(現在の御所市周辺)を本拠とし、天皇家へ多くの妃を送り込んでいた超有力豪族。一時は大王家を凌ぐほどの権勢を誇りました。

雄略天皇の治世、この強大な葛城氏本宗家は、衰退したとされています。

つまり、「天皇が葛城の神を土佐へ追放した」という『続日本紀』の物語は、雄略天皇が葛城氏を滅ぼし、その勢力を中央から排除した」という歴史的事実が、長い時を経て神話的に変換されたものだと考えられるのです。


流された神の正体と「一言主」

では、流された「葛城の神」とは、具体的にどの神様だったのでしょうか? 『続日本紀』では「高鴨神」とされますが、配流先である土佐側の史料には、はっきりとその名が記されています。

▼『釈日本紀』所引『土佐国風土記』逸文

【書き下し文】 土左(とさ)の郡。郡家(ぐうけ)の西のかた四里に、高賀茂(たかかも)の大社あり。其の神の名を一言主尊(ひとことぬしのみこと)と為(な)す。

【漢文】 土左郡。郡家西方四里、有高賀茂大社。其神名為一言主尊。

土佐では明確に「一言主尊」とされています。 一方で、大和の高鴨神社の主祭神は、出雲系の「味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)」です。

  1. 一言主神: 葛城山にもともといた地主神(国津神)。
  2. 味鋤高彦根神: 葛城氏(賀茂氏)が信仰した出雲系の祖神

これらは本来別の神でしたが、葛城氏がこの地を支配する過程で信仰が習合し、やがて「葛城の神」としてひとまとめに語られ、共に土佐への流罪の憂き目に遭ったのでしょう。


神の足跡を辿る(奈良から土佐へ)

奈良と高知、二つの地を結ぶ聖地をご紹介します。

高鴨神社(奈良県御所市)

~流された神の故郷、全国カモ社の総本宮~

葛城山の麓、金剛山を望む高台に鎮座する古社。京都の上賀茂・下鴨神社をはじめとする全国の「鴨(賀茂・加茂)」社の総本社です。 神聖な空気が漂う境内は、まさに「神の住まう場所」という雰囲気。764年、土佐から神が帰還し、再び祀られたのがこの場所です。

  • 歴史のポイント: 弥生時代中期にはすでに祭祀が行われていた痕跡があり、日本最古級の神社の一つと言えます。
  • 住所: 奈良県御所市鴨神1110
  • 公共交通機関:
    • 近鉄御所線「近鉄御所駅」下車。
    • 駅前から奈良交通バス「五條バスセンター行き」に乗車(約20分)。
    • 「風の森」バス停下車、徒歩約15分。
  • Google Maps: 地図を見る

葛城一言主神社(奈良県御所市)

~「いちごんさん」と親しまれる願いの神~

地元では「いちごんさん」と呼ばれ、「一言だけ願いを叶えてくれる」神様として信仰されています。 境内には樹齢1200年を超える「乳銀杏」があり、雄略天皇と神が出会った場所としての伝承も色濃く残ります。ここでは『古事記』版の「対等な関係」の伝承も大切にされています。

  • 住所: 〒639-2318 奈良県御所市森脇432
  • 公共交通機関:
    • 近鉄御所線「近鉄御所駅」下車。
    • 駅前から御所市コミュニティバス「西コース」に乗車。
    • 「森脇(もりわき)」バス停下車、約5~10分
  • Google Maps: 地図を見る

土佐神社(高知県高知市)

~流罪の果てに鎮まった土佐国一宮~

奈良から遠く離れた高知の地で、流された神を祀るのがこの土佐神社(土佐国一宮)。 かつては「高賀茂大明神」と呼ばれていました。現在の祭神が「味鋤高彦根神」と「一言主神」の二柱であることは、大和での複雑な信仰形態がそのままこの地に運ばれてきたことを物語っています。

  • 歴史のポイント: 社殿の造りは、トンボが飛び立つ姿になぞらえた「入蜻蛉(いりトンボ)」形式と呼ばれる珍しいもので、国の重要文化財に指定されています。
  • 住所: 高知県高知市一宮しなね2丁目16-1
  • 公共交通機関:
    • JR土讃線「土佐一宮(とさいっく)駅」下車、徒歩約15分。
    • または高知市内から「一宮バスターミナル」方面行きバスに乗車、「土佐神社前」下車すぐ。
  • Google Maps: 地図を見る

神話は「敗者」の記憶を保存する

雄略天皇による「神の追放」という伝説。 それは、勝者(天皇・中央政権)によって歴史が書き換えられる過程を示すと同時に、滅ぼされた敗者(葛城氏)の記憶が、形を変えて神話の中に保存され続けてきた証でもあります。

奈良の葛城古道、あるいは高知の土佐神社を訪れる際は、ぜひこの「歴史の闇に消えた豪族」の物語に思いを馳せてみてください。風景が少し違って見えるはずです。

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