奈良盆地の中央部、磯城郡田原本町。 のどかな田園風景が広がるこの場所は、弥生時代の大環濠集落「唐古・鍵遺跡」を擁し、かつて日本列島における最先端の「モノづくり」の中心地でした。
今回訪れたのは、その中核を担った技術氏族「鏡作部(かがみつくりべ)」の総氏神である「鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにいますあまてるみたまじんじゃ)」です。
- 崇神天皇が恐れ、宮中から出した「鏡」の伝承。
- 製鉄の過酷な記憶を今に伝える「片目の神」。
- そして、現代の「東大阪(八尾・小阪)」のルーツがこの地にあるという事実。
古代技術集団の「信仰」と「移動」のドラマを解説します。
鏡作坐天照御魂神社とは 三神二獣鏡と「試鋳」の伝承
崇神天皇の恐れと「同床共殿」の限界
この神社の創建由緒は、日本の国家祭祀の根幹に関わるものです。
第10代崇神天皇の時代まで、天皇は天照大御神の象徴である「八咫鏡(やたのかがみ)」と宮中で共に暮らしていました。しかし、疫病が流行り世が乱れる中、天皇はそのあまりに強大な神威に畏れを抱き、鏡を宮中の外へお出しすることに決めました。これが後の「元伊勢」伝承、そして現在の伊勢神宮への鎮座へと繋がる旅の始まりです。
しかし、王権の守護たる「鏡」が手元になくなるのは不安です。そこで崇神天皇は、新たに鏡を鋳造することを命じました。 その際、「試鋳(こころみ)」として作られた鏡が、この鏡作坐天照御魂神社に祀られている御神体だと伝えられています。
「天照御魂」とは何者か?
社名にある「天照御魂(あまてるみたま)」という神名も意味深です。 一般的に「アマテラス」といえば皇祖神を指しますが、ここでは「坐(にいます)」「御魂(みたま)」と表現されています。 これは、人格神としてのアマテラスというよりは、「太陽の光を反射して輝く鏡そのものの霊力」を神格化した、より原初的な金属信仰の形を残していると考えられます。
鏡作麻気神社と「片目の神」の正体
本社から北東へ徒歩数分。寺川のほとりに、「鏡作麻気(まけ)神社」が鎮座しています。

鍛冶神はなぜ「片目」なのか?
ここの祭神「天麻比止都禰命(アメノマヒトツネ)」は、別名を「天目一箇命(アメノマヒトツノミコト)」と言います。
「一つ目(片目)」の神様です。
これは妖怪の類ではなく、古代の製鉄・鍛冶集団が信仰した正統な職能神です。なぜ片目なのか? これにはリアリティのある二つの説があります。
- 職業的習性説: 刀匠や鋳物師が、鉄の色温度や曲直を見極める際、片目をつぶって注視し続けた姿が神格化された。
- 職業病説: 高温の炉の炎や、飛び散る鉄片によって片目を失明することが多かった技術者たちの「犠牲」と「聖性」を表している。
ギリシャ神話の鍛冶神ヘパイストスやキュクロプスも身体的な欠損を持つように、洋の東西を問わず、火と金属を操る代償として身体を捧げるという概念が共通している点は非常に興味深いです。
「マケ」の謎 磨くのか、それとも真裸(マラ)なのか
社名の「麻気(マケ)」の由来についても、興味深い説があります。
- 「磨け(ミガケ)」説: 本社の「鏡作伊多神社」で鏡の鋳型を作り(板作り)、この「麻気神社」で鏡を磨き上げたという工程分担説。
- 「真裸(マラ)」説: こちらの方がより民俗学的です。製鉄のタタラ場などは灼熱地獄。男たちは衣服を脱ぎ捨て「真裸(マラ)」になって作業しました。「マケ」は男性器(マラ)に通じ、生命力や生産力の象徴として、金属を生み出すエネルギー(気)を表していたという説です。
静かな境内に立つと、かつてここで汗を流し、火と格闘していた古代の技術者たちの息遣いが聞こえてくるようです。
大和から河内へ移動した「モノづくりDNA」
この鏡作神社がある場所は「田原本町八尾(やお)」や「小阪(こさか)」という地名です。 関西にお住まいの方なら、ある事実に気づくはずです。
「大阪の東大阪市・八尾市と同じ地名……」
実はこれ、偶然ではありません。 古代、この大和盆地の鏡作郷に住んでいた技術者集団の一部が、大和川の水運を利用して河内平野(現在の東大阪エリア)へ移住した際、故郷の地名をそのまま持っていったという説が極めて有力なのです。
- 大和の「八尾」 → 河内の「八尾」
- 大和の「小阪」 → 河内の「小阪」
現在、東大阪市は「モノづくりのまち」として世界的な技術力を持つ中小企業が集積しています。ロケット部品から歯ブラシまでを作るその「技術屋魂」のルーツが、実は1500年以上前の大和の鏡作部にあるとしたら……。 地名は、文字に残らなかった人々の移動の歴史を雄弁に物語っています。
民俗行事「御田植祭」 暴れ牛が雨を呼ぶメカニズム
鏡作神社で毎年2月21日頃に行われる「御田植祭」は、「予祝行事」です。
最大の特徴は「暴れ牛」。 牛の仮面を被った男と、それを操る牛使いが登場するのですが、この牛がとにかく暴れ回ります。観客に突っ込みそうな勢いです。
- 「牛が暴れるほど豊作になる」
- 「牛使いが手荒く扱うほど雨に恵まれる」
これは、金属加工(火)を生業とする氏族にとって、最も恐ろしい「火災」を防ぎ、同時に農業や冷却水として不可欠な「水(雨)」を乞うための切実な儀礼だったと推測されます。 祭りの最後に撒かれる砂は「雨」に見立てられますが、見方によっては鋳造時に飛び散る「火花」のようでもあります。技術と農業が融合した、この地域特有の信仰の形と言えるでしょう。
境内の見どころとアクセス

鏡作坐天照御魂神社は、決して派手な観光地ではありませんが、歴史の深みを感じさせる静謐な空間です。
- 拝殿・本殿: 本殿には「三神二獣鏡」が安置されています(通常は非公開)。建築様式にも注目。
- 鏡池: 鏡を洗った、あるいは水神を祀ったとされる池。
- 鏡作麻気神社: 本社から徒歩すぐ。竹林と巨木に囲まれた「片目の神」の座所。
基本情報・アクセス
- 住所: 奈良県磯城郡田原本町大字八尾816
- グーグルマップの位置情報
- アクセス:
- 近鉄橿原線「八木駅」より奈良交通バス「宮古」方面行き、「鏡作神社前」下車すぐ。
- 近鉄橿原線「田原本駅」からは北へ約1.3km(徒歩20分強)。レンタサイクルかタクシーが便利です。
- 駐車場: 境内に数台分あり。




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