【妙法山阿彌陀寺】熊野・那智の山頂は「死者の国」だった。女人高野と髪を納める奇習「お髪上げ」

和歌山県
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熊野那智大社、那智の滝。 圧倒的な自然と神聖な空気に包まれたこの地は、古くから「蘇り(黄泉がえり)の聖地」と呼ばれてきました。

しかし、なぜ「蘇り」なのでしょうか?

その答えは、那智山が持つ「死後の世界への入り口」としての機能に隠されています。実は那智には、死者の魂が向かうとされる「二つのルート」が存在しました。

一つは、小舟に乗って南の海の彼方を目指す「海上他界 そしてもう一つは、険しい山を登り雲の上を目指す「山中他界」です。

今回は、那智の山頂に鎮座し、「死出の山路」として恐れられ、また愛された女人高野「妙法山阿彌陀寺(みょうほうざん あみだじ)」の深層に迫ります。


那智山が隠し持つ「二つの他界」

那智の信仰を語る上で欠かせないのが、死後の世界(他界)をどこに見るかという視点です。

海の彼方の浄土 補陀落山寺

那智の浜辺にある「補陀落山寺(ふだらくさんじ)」は、観音浄土が南の海の彼方にあると信じる「補陀落渡海」の拠点でした。生きたまま小舟に閉じこもり、海へと旅立つ捨身行が行われた場所です。これは「水平方向の他界」と言えます。

山の上の浄土 妙法山阿彌陀寺

対して、那智の滝のさらに上、標高の高い妙法山頂にあるのが「阿彌陀寺」です。ここは、死者の魂が山へ登っていくという日本古来の「垂直方向の他界(山中他界)」信仰の舞台でした。

海と山。那智山はこの二つのベクトルで、人々の「死」と向き合ってきたのです。


「死出の山路」としての阿彌陀寺

かつて阿彌陀寺は、単なる修行の場ではなく、明確に「死者の行く寺」として認識されていました。「亡者の熊野詣」と語り継がれ、死者の魂は妙法山を訪れ、阿彌陀寺にある「ひとつ鐘」をつくとされています。

平安時代から中世にかけて浄土信仰が広まると、熊野全体が「阿弥陀如来の浄土と見なされるようになります。その中で、阿彌陀寺への登山道は、現世と来世をつなぐ境界線、すなわち「死出の山路」そのものとされました。

阿彌陀寺の奥の院には、このような御詠歌が残されています。

「くまの路をものうき旅とおもふなよ 死出の山路でおもひしらせん」

(今の熊野詣の道のりを辛い旅だと思ってはならない。死後に歩むことになる本当の『死出の山路』の厳しさは、こんなものではないのだから)

昔の人々は、息を切らしてこの山を登ることで、「死後の予行演習」を行い、来たるべき死への覚悟を決めていたのかもしれません。


亡き人に会える場所 奥の院と「樒山」

阿彌陀寺の境内には、現世と死者の世界が交錯するような不思議な場所が点在しています。

樒山(しきみやま)最乗峰

奥の院周辺には、「樒(しきみ)」が鬱蒼と生い茂るエリアがあります。樒といえば、現代でも葬儀や墓前に供えられる植物です。死者が捧げた樒が森となったとされるこの場所は、まさに「死者の森」。静寂の中に、無数の魂の気配が漂うような空間です。

人影なき「ひとつ鐘」

ここには、一つ突けば先祖が喜び、二つ突けば自身の往生が叶うとされる「ひとつ鐘」があります。 この鐘には不思議な伝承があり、「人影も見えないのに、幽かな音をたてて鐘が鳴ることがある」と言われています。それは、彷徨う霊魂が突いた音なのか、あるいは浄土からの合図なのか……。

現在でも、四十九日を過ぎてからこの鐘を突きに来る「ひとつ鐘まいり」の風習が、地元の人々の間で大切に守られています。


肉体を灯明として捧ぐ。伝説の荒行「火生三昧」

阿彌陀寺の奥の院には、苔むした石積みの遺跡がひっそりと残されています。 ここは、平安時代の僧・応照上人(おうしょうしょうにん)が、究極の捨身行である「火生三昧(かしょうざんまい)」を遂げたとされる聖域です。

法華経への絶対帰依と自己犠牲

火生三昧」とは、本来は不動明王が背負う炎のように、深い瞑想によって煩悩を焼き尽くす境地を指します。しかし、この地で行われたのは、文字通りの「焼身供養」でした。

『法華経』には、薬王菩薩が自らの体に火を放ち、その身を灯明(あかり)として仏に捧げたという物語があります。応照上人はこの教えを実践し、衆生の救済を願って自らの体を薪の上に置き、火を放ったと伝えられています。

想像を絶する「木食」の果てに

伝承によれば、上人は長い間、穀物を断ち木の実や草の根だけを口にする「木食(もくじき)」の行を行い、体内の不浄や脂を極限まで落としきった上で、この行に臨んだといいます。

猛火に包まれても上人の読経の声は朗々と響き渡り、その姿は光となって浄土へ旅立った——。 現代の感覚では「恐ろしい」と感じるかもしれませんが、現地に残る「火生三昧跡」の前に立つと、そこにあるのは恐怖ではなく、死をも超越しようとした平安人の「祈りの凄まじさ」です。

女性たちの聖地「女人高野」と「お髪上げ」

阿彌陀寺のもう一つの重要な顔が、「女人高野(にょにんこうや)」としての側面です。

弘法大師・空海が開いた高野山は、明治時代まで厳格な「女人禁制」を敷いていました。しかし、同じく空海ゆかりの寺でありながら、阿彌陀寺は女性の参詣を温かく受け入れました。

魂を預ける「お髪上げ(おかみあげ)」

ここには他では見られない独特の儀礼があります。それが「お髪上げ」です。 「髪には魂が宿る」という信仰に基づき、生前に自分の髪を少し切り取って阿彌陀寺に奉納します(現在は遺髪を納めることが多い)。

これは「逆修(ぎゃくしゅ)」と呼ばれる考え方です。 「私がどこで死のうとも、魂の分身(髪)を浄土の入り口であるこの山に置いておけば、迷わず成仏できる」 という、切実な願いが込められています。高野山に入れない女性たちにとって、ここは魂の安住の地を約束してくれる、優しき救済の場所だったのです。


熊野の本願寺としての実力

神秘的な側面ばかりが語られがちですが、阿彌陀寺は歴史的にも極めて重要な地位にありました。

中世の熊野那智山には、社殿や堂舎の修復・造営の資金を集め、管理運営を行う実力組織「那智七本願」が存在しました。阿彌陀寺は、補陀落山寺と共にその七本願の一つであり、熊野信仰の中枢を担う大寺院だったのです。

多くの本願寺が明治の廃仏毀釈などで姿を消す中、阿彌陀寺はその法灯を今に伝えています。


魂の洗濯に訪れたい「蘇り」の山

  1. 海(補陀落)と山(阿彌陀寺)、二つの他界信仰が那智にはあった。
  2. 阿彌陀寺への道は、死後の旅路を擬似体験する「死出の山路」であった。
  3. 「女人高野」として、女性たちの切実な願いと髪(魂)を受け入れてきた。

那智の滝を見て帰るだけではもったいない。 車で山頂近くまで行くことも可能ですが、もし健脚であれば、古の巡礼者と同じように「かけぬけ道」を歩いてみてください。 眼下に広がる熊野灘の絶景と、死者と生者が交信する静謐な空気が、あなたの魂を「蘇らせて」くれるはずです。


拝観情報

  • 名称: 熊野妙法山 阿彌陀寺(くまのみょうほうざん あみだじ)
  • 位置情報: 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町南平野2270-1
  • アクセス: 那智山スカイラインを利用(駐車場あり)、または那智山バス停から徒歩(本格登山道)
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